「学校で掃除を罰として使うな。家の掃除をしている主婦は毎日何の罰を誰から受けてるというのか。学校で『罰として掃除』を覚えた子が、帰宅して母親と家事を蔑むようになる害がどれ程大きいか」昔聞いてめちゃくちゃ同意したなぁ。
— sanaharano (@sanaharano) 2015, 12月 12
そう言えば、学校で罰として掃除させられたことがあった。
友だち同士で掃除当番を押し付け合いしたりもしてた。特にトイレ掃除。
トイレ=ウンコくらいに思ってた。考え過ぎや。
他にも、競い合わせて一番最後の人には罰ゲームってのもよくあった。
これは大人になってからもしがちだった。手っ取り早く盛り上がるし、公平なルールなように感じるから。
でも、今考えるとあまりよろしくなかったな。
何のための罰なのか、どんな罰を与えるべきなのか、そもそも罰は必要なのか、罰より良い方法はないのか、考えてみたこともなかったし、考える機会もなかった、、
というよりも、それが本気の“罰”だなんて意識はなかったから。
これって、けっこう罪なき罪。
そんな罪なき罪が、自分や他人を責めたり罰したりすることに鈍感にさせているのでは?
「(自殺やうつ、イジメやハラスメントを)みんなでなくそう!」の類が空々しく聞こえるのは、アリバイ的なアクションへの嫌悪感だったはずなのに、自分の鈍感さに気付いたとき、自殺やイジメがなくならない理由が急にリアルに響いてきた。
以上、学校で掃除を罰として使うのは良くないよね、という話から自分は病理を悟りましたみたいな話に展開していったのですがつまり、考え過ぎや。