酒と泪とアセトアルデヒド【6】

 私は、近頃いち子の様子がおかしいと感じていた。妙によそよそしいのだ。

 誰でも機嫌の悪いことくらいはある。こちらがいつもどおりに接していれば、そのうち元に戻るだろう。最初はそのくらいに思っていた。

 しかし、どうやら私にだけ様子がおかしいことがわかってきた。

 いつもなら私に真っ先に世見話をしに来ていたのがなくなった。「へたっちょー!」と私を呼びつけてやらせていた生ビール樽の交換も後輩に頼むようになった。

 このようなことが続いて、最高トリオのコンビネーションもぎこちなくなり、私は苛立ちを隠せなくなってきた。なぜ私だけが避けられなければならないのだ。私には全く心当たりがない。

 「なんでや!」

 ついに私は、厨房でいち子に不満をぶつけた。いち子に対して声を荒げたのは、これが初めてだったと思う。いち子は、ビクッと怯えた顔をした。

 「しまった!」と私は思った。今までいち子のあんな顔は見たことがなかったし、させてはいけなかった。気持ちとは裏腹にそこから更に詰め寄ったような気もするが、あまり思い出せない。

 しかし、いち子の口から明らかにされた事実は覚えている。

 「Kさんに言われた」というのだ。

 これにはさすがに驚いた。いや、呆気にとられたに近いか。

 

 Kさんとは、あのKさんのことだ。彼は、私といち子の関係を最初の頃からずっと知っていて、しかもそれを楽しんできた人ではないか。私(といち子)の兄貴分であり、今は最古参としてバイトのみんなをまとめなければいけない立場でもある。

 「どんなけデストロイヤーやねん!」

 と、Kさんにツッコミを入れる余裕などは当然なく、私は信頼できる同僚からの情報や過去の出来事を整理し、現状把握に努めた。

 ああ。そう言えば、、

 

 バイトが終わって、そのまま飲み会をしたことがあったが、いち子はKさんと随分と一緒にいたような。いち子には、キャラ的に誰にでもそういうところがあるし、Kさんは「やめろー!」とか言ってはしゃいでいたような記憶はある。で、その日は結局、カラオケ部屋に二人で入って出てこなくなって、私はウォッカを飲んで随分と荒れていたような。まあでも、昔から似たようなことはあったしなぁ。 

 ん?二人は付き合ってる?いつから??

 でも、おかしいではないか。Kさんには、恋人がいる。言い過ぎかも知れないが、Kさんにはもったいないくらいの人だ。

 彼女は、バイト先にもよく遊びに来ているし、私やいち子ともすっかり顔なじみである。Kさんより年下だけど、姉御っぽいところがあって、怒らせるとすごく恐いことも周知の事実だ。

 だから、もし浮気するにしても、私や恋人を裏切ってまでバイト先の後輩、しかもかつて“圏外”扱いしていた子に手を出す???というか、いち子が私との“友だち”関係より、Kさんとの“報われない”関係を選んだというの???

 どっちもないだろう、フツー。そうだ、これは何かの間違いだ。よし、ここはひとつ穏便に。しばらく様子を見ることにしよう!

 というわけでもなかったが、私は妙に落ち着いていた。私の代わりに怒ってくれる人がいたせいかも知れない。 

 

 結論から言えば、いち子は、いつからかK(呼び捨て)のことが好きだったのだ。Kと、いつどこまでの関係になっていたのかはわからないが、彼に支配欲が生まれ、いち子はそれを受け入れていたのだから、まあ、それなりの関係にはなっていたのだろう。

 つまり、私がへたっちょなだけだったのだ。

 

 事の顛末は、やや端折るが、この一件がKの彼女に知れることはなかった。いち子も目を覚ましたのか、Kから気持ちは離れていった。理由は、いくつかあっただろうが、ひとつは束縛がしんどかったからのようだ。

 後にわかったのだが、Kがルーズになっていたのは、人間関係だけではなくて、仕事の中身もだった。Kは、バイト先からの信頼も失っていったのだった。

 

 こうして私といち子は、元の“フラット”な関係に戻ったのだが、お互いの就職(活動)のことなどもあり、バイト先で一緒になる機会は少なくなっていった。

 だんだんと別れのときが近づいていた。


(메종일각 OST) ED 2 시네마 Cinema Full Version

 さて次回、静かなラストシーンへ?

 

酒と泪とアセトアルデヒド【5】

 バイト先の厨房でいち子に交際を断られた後、確かにフラれたショックはしばらくあったが、いち子との関係は変わらなかった。

 これは決して、負け惜しみや強がりなどではない。バイト先の気の合う二人のままだった。どちらかが(まあ私だ)が、これ以上を欲しなければ、ずっと続くはずの関係だ。呼び名も“へたっちょ”のまま。

 そうこうしているうちに、私にも後輩ができて、仕事を教えたりもするようになった。新しく年下の女の子が入ってきて、バイト先の年上の先輩のことを好きになるという話はありがちだけれど、私の後輩は男の子だった。

 彼は、テニスが得意で体格が良く、カラオケではGLAYの『HOWEVER』を歌い上げるような男前はあなたでしたFuuuuuU!

 そして、ひとりっ子だったせいか、やがて彼は私のことを兄のように慕ってくれるようになった。

 バイト先のシフトは、彼と私といち子の3人が一緒になることが多かった。彼は、仕事を覚えるのが早く、なかなか頼れる後輩だった。私といち子の仲もよく理解していた。今でも、この頃のトリオは最高の取り合わせだったと思う。

 しかし、バンドなどにもよくある話だが、男2人に女1人のパターンは、いったん恋愛要素が絡んでくると、それまでの関係性が変わってしまうものである。

 後から入ってきた彼のことを、いち子が好きになってしまい、私はいち子と彼の幸せや全体のバランスを考えて距離を置かざるを得なくなってしまうのである。

 彼は、熱く柔軟さに欠けるところはあったが、人を裏切るような人間ではなかった。私が二人をしっかりと祝福しさえすれば、私が失うものは最小限で済むのだ、、、私は経験的にそれを知っていた。

 

 のような妄想をしたことがないこともなかったが、実際には、いち子は彼の事を自分の手下(まあ私だ)の手下くらいにしか見ておらず、そんなことには至らなかった。

 

 トリオの良好な関係はしばらく続いたが、やがて青天の霹靂が私を襲った。

 いち子が私を避けるようになったのだ。

 

(続く)

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参考)


GLAY HOWEVER

最後まで歌いたいけど(普通の人には)歌えない。

そのもどかしさが罪。

 

酒と泪とアセトアルデヒド【4】

 あなたに好きな人がいるとする。

 そのことを一番先に誰に伝えるべきか。

 それは、あなたの好きな人、その人である。

 

 私のバイト先(カラオケボックス)には、アルバイトの主のような男性がいた。

 昼間も別のところで仕事をしていると言っていたが、決まった会社では働いていないようだった。

 年齢は20代半ば~後半くらいだったと思うが、愛車は白いトヨタマークⅡ、いつもセカンドバッグを小脇に抱え、前髪には軽くパーマを当てているという風貌。口癖は「マコンデ!」その意味は今もわからない。

 若干の胡散臭さは漂うものの、この店の最後のレジ締めは、店長以外では主にその人が担うなど、バイト先では一目置かれた存在だった。ここでは、イニシャルKさんとしておく。

 私は新人バイト時代から、Kさんに仕事を教えてもらう機会が多く、慣れてくるとバイト先のピラフをくれたり(アカンけど!)、休みの日には遊びに連れて行ってくれたりもするようになった。

 ある日のこと、私とKさん、別の先輩と3人でバイト先の近くにある焼き鳥屋に行った。焼き鳥素人だった私は、「ハツ」や「シロ」、「ホトケ」とはいったいどこの部位のことなのかを彼らから教わった。

 そしてもう一つ、教えてもらったことがある。

それは、

 「いち子、いけるって。」

である。

 大体、若い者同士が集まれば、惚れた腫れたの話になるのは必定。酒が入れば加速するのも必定。話はバイト先の女性たちのことになり、誰がどうとか、誰とこうとかの話になった。Kさんらは、

 「えー!いち子のどこがえぇの??」

 「あいつもお前のことを気に入ってるから、付き合えや!絶対いけるって!」

 などと、悩める私を随分と盛り上げてくれたのだった。 

  

 そうなのだ。その後の私は、いち子との運命を賭けたウォッカ勝負に挑むことになるのだが、それは半ば仕組まれた筋書きなのだった。そして、自信満々で彼女に告白し、散ったのだった。

 哀れなへたっちょ。

 馬鹿なへたっちょ。

 

(続く)

 

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参考)


タッチ 最高の瞬間 #17 HD Touch Best Mooments part 17

 回れ回れ言うたん誰や。

 

酒と泪とアセトアルデヒド【3】

 「…好きや。」

 だったか、もっと軽い調子だったか、もう言い回しは忘れたが、私は酔った(勝利の)勢いもあって、いち子に告白をした。

 彼女のわがままな言動も、読めない行動も好きだったし、何より一緒にいて楽しかった。彼女も私との居心地の良さを感じていると信じていた。ただ、当時の私は、男は女に負けてはいけないみたいな考えがあった。それは、精神的に優位に立ちたいという現れだったのだろう。だから、告白はいち子を酒で負かしてからでなければならなかったのだ。バカ。

 

 いち子の答えは冷静だった。

 「へたっちょは、酔ってるからそんなこと言うんやん。」

 

 「そんなことないって!」

 何度言っても彼女にかわされるだけだった。確かに酔っているけれど、これは前から決めていたことだし、決して嘘じゃないのに。

 

 私は、フラれたのだろうか。いや、違う。

 いち子は、私の告白の仕方が気に入らなかったのだ。いつもとちょっと違う夜のへたっちょへの照れもあっただろう。私は知っていた。普段、強がってはいるが、彼女にもそういう可愛いらしいところがあるのだ。

 

 後日、バイトで彼女と一緒のシフトに入った時、私はいち子を厨房に呼んだ。

 

 「いち子、今日はちゃんと素面やから、、、」

 

 そして、2度目の告白をした。

 キミはこれを待っていたんだろう?

 

 「嬉しい。けど…」

 

 「けど?」

 

 「好きって言ってくれるのは嬉しいけど、付き合えへんわ。」

 

 「…え?」

 

 1度目の告白からの私は、心理学でいうところの「正常性バイアス」の状態だった。

正常性バイアスを知っていますか?「自分は大丈夫」と思い込む、脳の危険なメカニズム - 日本気象協会 tenki.jp

 そこから覚めた今、迫りくる現実に対応を迫られた。 

 必死になってダメな理由を聞いてみたりもしたけれど、どうなるものでもなかった。現実を認めるしかない。今は退け、退くのだ。

 私は、自分の心のノートにあった「日本三大“おことわり”」(=いいひと・友だち・今のままでいよう)に新たにもうひとつ、

・好きって言ってくれて嬉しい

を加えた。

 

 結果はフラれたけれど、この厨房でのやりとりを知らない人から見れば、離婚した後もコンビを解消しなかった「唄子・啓介」の夫婦漫才のように、しばらくの間、二人は何もなかったかのように過ごした。


唄子・啓助のおもろい夫婦 第532回

 

 恋愛に限らず、私は落ち込んでも家で一人酒はしない。代わりに音楽を聴いた。

 特に眠れない夜には、布団に入り明かりを消し、静かにHolly Cole のアルバム『Girl Talk』を聴いた。何を歌っているのか、さっぱりわかってはいなかったが、私の子守唄アルバムだった。繰り返し聴いているうちに、気がつけば時計が随分と進んでいたときのことは今も忘れない。

 

 さて、酒と泪はこれくらいにして。

 ここからがアセトアルデヒドだ。

 (続く)

 

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 参考1)

 この曲を聴いて、声を聞きたくなった人のことをあなたは愛しています。


Holly Cole Trio - Calling You

 知らんけど。

 

参考2) 

 これは再発盤。(※Calling Youは別アルバム『Blame It On My Youth』に収録)

ガール・トーク

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酒と泪とアセトアルデヒド 【2】

 私が働いていたカラオケ店(カラオケボックス)は、基本的に社員は1人(店長)、あとはバイト(パート)が曜日や時間帯によって2~4人程度入る体制だった。時給は780円~900円くらいだったか。

 勤務時間は、昼・夕方・深夜のシフト制だった。私は、夕方勤務が多かったけれど、学生の一人暮らしだったので自由の利く存在として重宝されていたように思う。

 入った頃は、バイト同士の仲も良くて、先輩もみんな優しかった。バイト終わりにそのまま数人で店内のカラオケ部屋で飲み会をしたりもしていた。今思えば、あの気楽さは当時の店長さんの気遣いがあってこそだった。今頃どうしているだろうか。そう言えば、あの店長さん、歌がすごくうまかったな。50代(推定)でMr.Childrenの『Tomorrow never knows』を見事に歌いきっていた。

 ちなみに、その頃の私は、電気グルーヴの『N.O.』がキーの限界だった。石野卓球の歌唱力は侮れないと今も思っている。

 

 いち子はお酒が強かった。彼女が最も好きだったお酒が、VODKAだ。

 いち子も含めたバイト終わりの飲み会は度々あったのだが、慣れない頃、生まれも育ちも牧歌な私は、VODKAの読み方も飲み方も知らず、彼女の挑発に乗って無茶して飲んでは潰れた。

 そしていち子はそんな私に、

>ぜんぜん飲めへんやん!へたっちょ、ダッサー!

と上から罵声を浴びせるのだった。

 

 実は、私はお酒には自信(過信です!)があった。少なくとも女の子より先に潰れたことはなかったので、悔しくて彼女に何度もサシで勝負を挑んだ。そして、敗れ続けた。

 勝てば官軍、負ければへたっちょ。私はバイト先の先輩たちにまで、しばらくの間「へたっちょ」と呼ばれ続けた。

 

 当時ウォッカをどうやって飲んでいたのか、あまりよく覚えていないが、モスコミュールやウォッカリッキー、ウォッカライム、ブルドッグなどカクテルが中心だったように思う。さすがに、ショットグラスでストレート飲みのようなことはしていなかったはずだ。覚えてないから知らんけど。

 運動部出身の私は努力を重ね、やがてウォッカに負けない体になっていった。まるで消毒液のようだったあのウォッカ独特の臭いが、やがてはフローラルの香りのように感じるのだから不思議だ。今ならば、努力と書いてバカと読むだろう。

 そして、ついにその日が来た。

 …勝った。

 私は、いち子に勝ったのだ。

 これまで、常に勝ち気な物言いだった彼女が、もう飲めないと言って勝負を棄てたとき、私の中で何かが変わった。私はもう、へたっちょではない。うまい棒になるのだ!

 私は、温めていた計画を実行することにした。これまでの努力(バカ)はそのためのものだったのだ。

 

 告白である。

 

(続く)

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 参考1)


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

 私もこのどこかにいたはず。

 

参考2)


電気グルーヴ - N.O. 【T.V. Program】

 今ならわかる。適材適所ってこういうこと。