漠然と音楽のこと

 東日本大震災から9年が経った。

 音楽業界は、震災直後こそ自粛ムードだったけれど、その後は積極的に発信していたように思う。ミュージシャンはもちろん、音楽に携わる者たちは、被災地に出向いたり、被災地を思って各地でチャリティを開いたりしていた。それはたぶん、被災者というよりも、自分自身の心を落ち着かせることになっただろう。「音楽には力がある。」そう信じた人も増えたのではないだろうか。

 今回の新型コロナウイルス騒動ではどうだろう。あくまでも私の感覚ではあるけれど、一部のライブやコンサートがネットによる配信に切り替わったくらいで、今のところ、大きな動きはないように思う。

 昨今の音楽業界と言えば、カラオケブームが去り、CD売り上げは激減、頼みの音楽配信サービスも業界全体を潤すまでには至っていない。それでも、会えるアイドルたちの増殖や音楽フェスブーム(バブルと言ってもいい)によってなんとか持ち堪えている。

 

 この状況は、東日本大震災と関係はないだろうか。

 震災後、世の中に「絆」という言葉が溢れた。その善し悪しは別として、不安なときこそお互いの存在を確かめ合いたいという気持ちにうまくハマっていた。

 人とのつながりを求めて“震災婚”が起きたとされるように、人々が一体感を求めてライブに行くようになった、そしてハマっていった、、とも言えるのではないだろうか。

 つまり、みんなが求めていたのは音楽ではなく、“雰囲気”だった…。

 大阪のライブハウスで新型コロナウイルスに感染した観客の多くが40代以上、しかも遠くから足を運んでいた人も少なくないと聞いて、私は、突然そんなことを考えついたのでした。

 

 私が、今心配しているのは、新型コロナウイルスによる公演自粛中の影響ではなく、むしろ、その間に人々の“熱”が冷める(“酔い”が醒める)ことによって、この後もライブやフェスに客が戻らないことです。

 私も含めて、これまでの盛況ぶりに、音楽好きが増えている、底上げできていると勘違いしてしまっていたのでは?

 というのは、これだけ世の中に不安が広がっているのに、今ひとつ人々が音楽を求めている感じがしないし、人々の心に訴えかけるような業界の動きもないからです。

 サブスクリプションにすっかり慣れた今の世代からしたら、音楽の無料配信もそれほど魅力的ではないだろうし、政府に対してわれわれの生活補償が少ない!などと業界を挙げて訴えてみたところで、震災のときのように、人々が音楽に力を感じるとも思えません。

 

 じゃあ、どうすればいいの?と言われても正直なところわかりません。そもそも、心配どおりになるかどうかもわかりませんし。

 ただ、自分なりに考えたところでは、これを機会に楽器や歌を始めようキャンペーンをしたらどうかと思っています。ギターやピアノみたいな王道じゃなくても、小さな民族楽器や口笛などでもいいし、昔の曲をかけながら口ずさんでみるとか、自分の中にある音楽の種を見つけるみたいな自分だけの体験。

 聴き放題だと思い込んでいたサブスクリプション制のサービスも、「(CHAGE and )ASKA」や「電気グルーヴ」の例を出すまでもなく、いきなり聴けなくされてしまう現実があるし、ライブも今回のような突然の自粛だけでなく、今後は電子チケットの普及で融通も利きにくくなってくるだろうし、急に自分の腕からスルリと抜けてしまうことが増えるかも知れません。

 ライブに通ったりや音源を聴き漁るのも楽しみ方ではあるけれど、みんなが自分だけの音や声、リズムなどを見つけて大切にしていけば、音楽業界全体もまだ盛り返せるように思います。

 

 あぁ、こんなことを考えているうちに、この騒ぎが収まってくれないかなー。(エアボンゴをしながら) 


Olivier MOBELI

バレンタインとハートフルブレイク

 かつて、バレンタインデーは「質より量」の時代がありました。男にとっての話です。2月15日の会話は、「誰からもらった?」ではなく、「いくつもらった?」から始まったものでした。

 自慢ではないのですが、私はクラスメイトの女子の大半からチョコレートをもらったことがあります。まあ、小学生の頃の話ですけれど。わ、私にもそれくらいモテた時期があったのです。

 実は、これには少しワケがありまして…。今でもバレンタインデーが来る度に私の心の宿便が異臭を放ちます。

 

 あれは、小学5年生くらいの頃。当時の私は、けっこうお調子者気質がありまして、バレンタインデーの何日も前から、クラスの女子に「チョコちょーだい」と冗談でお願いして回ったのです。今ならわかるのですけれど、小学生もこの頃になると、女子はピュアではないものを嫌います。それに対して、男子というのは、相手の嫌がる反応をコミュニケーションと勘違いしてしまうようなピュアバカな存在です。

 女子にとって、そういう“汚れ”にチョコをあげることは、本命への純度や信頼を下げてしまうことにもなりかねません。でも、あとでいじけられるのも面倒だしなぁ。。あ!そうか、みんなで一斉にあげたら変に思われないし、ついでにきっちりお返しも要求したら、あいつも困るだろうし懲らしめてやれる!よーし、みんなで戦闘バレンタイン開始だ!

 みたいな話になったようで、のちに私はチョコ弾に倒れることになったのであります。

 その頃は、世間的に「3倍返し」という謎ルールがありまして、ホワイトデーには、バレンタインにもらったチョコの3倍の価値があるものをお返ししなければなりません。1ヶ月で3倍ですよ、当時の子に今の金利を教えてあげたいです。1個300円として×3=15個でも13,500円。プアな私は一瞬で破産です。

 次に襲って来るは羞恥心。飾り付けされた「ホワイトデーコーナー♡」に、お返しを買いに行く恥ずかしさったら…。そもそも何を買えばいいの?クッキー?マシュマロ?肉まん?買ったところで、「あー!これ、〇〇で売ってた!△△円!」「みんな一緒のやん!つまらんやん!」みたいなこと言われるの嫌やん!

 そして、男子は知っています。団結したときの女子の強さを。あれは各個撃破で崩せるような相手ではないです。下手に逃げれば背中から一斉に撃たれ、私は短い一生を終えるのです。

 こうなったら、頼れるのは友しかいない。でもそんなことを頼める友はいない。迫り来るXデー、ホワイトデー。

 もう無理だ…。困り果てた私は、ついに母に相談というか丸投げし、お返しを買いに行ってもらいました。値段は忘れましたが、ものは忘れもしません、ペコちゃんがプリントされた赤い缶、ミルキーはママの味です。まじでママの味です。それをクラスのボス的な女子に渡し、今で言うところの“手打ち”にしてもらいました。手打ちだけに痛い思い出です。

 

 さて、クラスの女子の中に、あかりちゃん(仮名)という子がいました。私は、算数、特に文章題が苦手で、よくあかりちゃんに教えてもらっていました。


算数授業小6 分数のかけ算・わり算②(文章題) 例2

 あかりちゃんは、目がぱっちりしていて、ポニーテール。身体は小さくて、少し色黒。目立つタイプではないけれど、頭が良くて落ち着いた雰囲気の子でした。私のチョコ要求にも嫌がったりせずに応えてくれました。

 彼女には、あさみ(仮名)という女の子の友だちがいました。あさみは、クラスのみんなからあまり好かれていなかったので、私はいつも二人の仲を不思議に思っていたのですが、家が近いこともあってか、二人はよく一緒にいました。

 

 ホワイトデーも過ぎたある日、あさみは私を呼び出して言いました。「あかりにお返しした?」と。そうです、私はクラスの女子から逆襲を受けたと思っていたので、一人一人に直接お返しはしていなかったのです。

 あさみによると、どうやらあれは本命チョコらしい。そう言えば、他の子のよりも違った感じだったような…。実際どうだったんだろう。

 義理チョコは要求できても、聞きたいことは聞けない私ピュア。結局、全てそのままにした。一度に多くのものを望んだばかりに、大切なことに気付けなかった。あの日のカカオ、70%ビタースイーツ。

 

 その後、あかりちゃんとは、中学も高校も同じだったのですが、二度と同じクラスにはなりませんでした。部活も彼女は文化部、私は運動部だったので、話す機会もあまりありませんでした。

 高校卒業後、彼女は工学系の大学へ進学しました。今で言う「リケジョ」です。当時は、まだそんな言葉もないくらい珍しかったので、彼女の芯の強さを感じました。

 あとから知ったのですが、あかりちゃんは中学・高校では、男子にコアな人気があったそうです。特に大学では、周りは男ばかりなので、めちゃめちゃモテていたと人づてに聞きました。大学卒業後は、化学分析の仕事に就いて、数年後に結婚したそうです。

 どうか今も、幸せ成分100%で暮らしていますように。 

気まぐれバージンロード

 毎週土曜日のお楽しみ、ゴンチチ(と仲間たち)がお送りするNHK-FM『世界の快適音楽セレクション』が、今回で1000回目の放送を迎えたそうです。おめでとうございます。これからも、愉快な時間を僕にください。

 今回、番組中で紹介されていたこの曲(バージョンは違うかも知れません)、


Masabumi Kikuchi-Circle/Line

 私は、「アフロビートが入った、今っぽい踊れる感じだな」という印象だったのですけれど、これが40年ほど前の曲というのを解説で知って驚きました。

 あとで調べましたら、正確には、ジャズミュージシャン菊地雅章 が1981年に発表したアルバム『SUSTO』に収録されている曲で、なんというかジャズ~クラブミュージックをこよなく愛するその筋の方からは、「お前、この程度も知らんのか!もっかいTMネットワークから出直してこいや!!」と怒鳴られるくらいの名盤(名曲)だそうです。すみませんでした。

 それはそうと、解説の方(渡辺亨さんと思います)の「今この曲を若い人が聴いたらどう思うか?」「自分は、若い頃にこの曲に出会ってその後の音楽観に影響を受けた」みたいな話は、私もいつも思っていて、この“若い人”には、今流行している音楽しか聴いていない若者たちというニュアンスが含まれていて、「一回これ聴いてみて!ほら、まじスゲーでしょ!」な期待と、「いや、やっぱり自分の頃とは違うのかも…。」な不安が混じっている状態です。

 そんながんばれ負けるな中高年の域である私が、今回の放送を聴いてから少し違う境地に至りましたので、以下に書き残していこうと思います。

 

 それにはまず、「今の若者がこの曲を聴いたら」の前に、「自分が今の若者の曲を聴いたら」から語らなければ…、という訳で、今売れているアーティスト(の曲)と私の率直な感想を書いておきます。

 ただし、私は元々ラブソングの中身にはあまり興味がないこともあって、歌詞の解釈や評価は割愛させてください。

 ちなみに、どの曲もきちんとフルで聴いたのは今回が初めてです。 

 1.米津玄師 『Lemon』 


米津玄師 MV「Lemon」

 彼については、未だに「なんで袈裟着てないんだよ」くらいの理解度なのですが、楽曲を聴いて浮かんだのは、CHEMISTRY『PIECES OF A DREAM』(2001年)とレミオロメン『粉雪』(2005年)でした。CHEMISTRY×レミオロメンでケミオロメンとか言ったら、またその筋の人から怒られるんだろうな。


CHEMISTRY 『PIECES OF A DREAM』MV


粉雪 - レミオロメン(フル)

 

 2.あいみょん『マリーゴールド』


あいみょん – マリーゴールド【AIMYON BUDOKAN -1995-】

 彼女については、世間の評判からフォークやJロック的なスピリットを持った“期待の女性シンガーソングライター”という位置づけなのかな、とは思うのですが、私は、PVも含めてCocco『カウントダウン』(1997年)を聴いてから、その手の触れ込みのアーティストに対しては何を見ても聴いても物足りなさを感じてしまう症候群なので、この曲からも期待は感じなかったです。


Cocco - カウントダウン 【VIDEO CLIP SHORT】

 

 3.Official髭男dism『Pretender』


Official髭男dism - Pretender[Official Video]

  彼らの名前は知っていたのですが、本当に冗談抜きでごく最近まで「ルネッサーンス!」でブレイクしたお笑いコンビ「髭男爵」のパロディ的な何かと思っていました。楽曲的には、もうBUMP OF CHICKEN『天体観測』(2001年)しか浮かびませんでした。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」スペシャルMV

 

 4.King Gnu 『白日』


King Gnu - 白日

  彼らについては、バンド名がファンクバンドっぽい響きだったので名前だけは気になっていたのですが、これも本当に冗談抜きで、曲名をずっと『白目』と見間違えていて、こいつら正気か?と思っていました。楽曲的に浮かんだのは、『白日』と来たら吉田拓郎『落陽』でした。


落陽 (高中バージョン)

 

 もうおわかりかと思うのですが、これらは感想と呼べるようなものではありません。ただ単に、これまで自分が聴いてきた音楽を上位にして系譜の中に収めようとしている、、更に言えば、ディスって気持ち良くなりたいだけです。

 「今の若者がこれを聴いたら」を語る前に、私は今の若者の音楽を感じとることができません。正直なところ、Lemonのあそこがすごいとか、あいみょんは本物、みたいなことを言う中高年に対しては、どんだけ思春期やねんと思ってしまいます。そんな私に若者の音楽を語る資格などありませんし、そもそも若者と言っても一人一人違うし、十把一唐揚げに食べてはいけないですよね。

 

 そんなわけで、先に触れた“今回新たに至った境地”についてですけれど、結局は、若い頃の自分と今の若者を比べることに意味は無いし、いろんな曲を聴くというのも音楽というか、人生の楽しみ方のひとつであって全てではないと考えるべきと思うに至りました。

  年齢に関係なく、今この曲を聴いて幸せだとかカッコイイとか泣けちゃうだとか、そういう瞬間があることがまず尊い。そしてその瞬間とは、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。初めての感動はもう二度と味わえないのだから、ただただ今の己のために音楽を聴き、みだりに他人の楽しみに立ち入るべきではないのですこんばんはわしが米津老師じゃ。の境地にはまだまだ至らない私ではありますが、無理に今を理解しようとせずに、今年も自分の感性に従って愉快に音楽の世界を楽しみたい。今年は、そういう一年にしたいと思いました。

 

引いて納得

 元旦は寝て過ごし、昨日は寝ぼけて初詣に行ってきました。

 いつもの神社でいつものおみくじ50円。去年まで2年連続で大吉だったので、そろそろ、、と思っていましたら、やはり今年は末吉に。長男でも末吉に。

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 昨年までの勢いはないので、落ち着いて物事を運ぶように、とのお告げなのでしょうが、さすがに

>出来るだけ身をへり下って 何事にも我から進んでしないがよい
 これは、ちょっと…。流れに身を任せようにも、

>願事 他人に妨げられる恐れあり

>縁談 思わぬ人にさまたげられる当面控えよ

 とのことですし、抗っても

>争事 理ありても負けます

ですから、これまた辛い…。めっちゃストレスフル。

 でもまあ、気持ちを落ち着けて勉強していれば、体も大丈夫な感じなので、おとなしくユーキャンでも始めようかな。とりあえず、詳しくは明日の朝刊折込チラシで。

 それと、今年の注目は、

>恋愛 良い人ですが危い 

 これは今までのおみくじ歴で見たことのないお告げです。すごく想像力が働くお告げです。

 昭和風に言うところの“火遊び”みたいな展開が私を待っているのでしょうか。「危いけれど良い人」の底は知れていますけれど、「良い人だけど危い」の底は知れません。考えてみれば、これまでの人生、ご安全にご安全にと生きてきましたけれど、結局は幸せの縁をただ回っていただけ。今はもう生きているだけで危険と評される域に達しているのですから、ここはひとつリスク覚悟で勝負に出るしかないねそうねアムロ出ますくらいの気持ちにさせるお告げです。

 というわけで、今年はそんな危険な運勢を上書き保存するために、違うところでもう一度おみくじ(30円)を引きました、そうです私はいくじなしです。

 結果は、小吉。どうやら今年は小さくまとまるしかなさそうです。
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 でも、すごく素敵な歌が詠んであって、上書き保存して正解でした。 

>不幸にも強く 幸福にも酔わぬ不動の人

 もしこんな人になれたら、多分誰も近づいてこないし、友だちも恋人もできないだろうけれど、森の中で動物たちと仲良く暮らせそうな気がします。

 項目別に見ても、

>願事 人の助力ありて叶う

>縁談 決着遅けれど成る 

ですので、最初のおみくじよりも光が感じられます。

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 ちなみに、あの危い人との出逢いは、「恋愛」の“れ“の字もなくなりましたので、私は今年もまた大切な何かを失った気がします。

 それでは、貴重な読者の皆さま、今年もよろしくお願い致します。

よいおとしを

 今年を振り返ってみてましても、特にビッグニュースがあったわけでもなく、かと言って漢字一文字で表せるほど単純でもなく。でもとりあえず、自分なりにそこそこ頑張った一年だったと思います。

 ところで、私は大掃除というのはしない派なのですが、今日は天気が良かったこともあって、トイレをわりとしっかりめに掃除をしました。細かい話ですけれど、トイレの中って、トイレットペーパーのホコリがけっこう凄いですよね。“チリ”紙って言い方の由緒正しさを感じます。そして、チリも積もれば大和魂というわけで便器を磨きました。私ったら便器のこと全然好きじゃないし、綺麗にしたって誰に褒められるわけでもないのですけれど、夢はこの綺麗になった便器で一番にうんこをすること、それも子どもの頃夢見たでっかいうんこをしてやることだベベべベーン!そんなわけで、今日は綺麗になった便器で一番にうんこをすることのためだけに生きていたのですけれど、先程トイレに入りましたら、明らかにそれらしい残り香がしまして、誰だ!?苦労して手に入れた油揚げを横からかっさらうようなトンビ野郎は!ああそう言えば、さっきおかんがやたらすっきりした顔で話かけてきたな。さてはお前かーッ!私を生んだのは!違う!私の便器を汚したのはーッ!

 とはさすがにならなかったのですけれど、今年最後に小さな親孝行ができたような気がします。

 それではみなさん、今年も残りわずか。よいおとしをお迎えください。