【続々】私のハートは菩薩モーション

(前回まではこちら)

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 ミスコンけしからん論者の方たちも、誰が選ばれたかは気になるところだろう。

 菩薩様に一票奉ることに決めていた私も、校内に広がる予想のことが気になっていた。私の学年では、ミスターはSくん、ミスはMさんとDさんが有力候補だった。

 ミスター候補のSくんは、身長は180センチ超え、野球部のエース。勉強は苦手だけど社交的。坊主頭でも映える濃いめの顔立ちという学園ものには“テッパン”のスペックなので、まあ順当だろうなという感じだった。私の菩薩様のお相手には最もふさわしくないタイプだ。

 問題はミスだ。MさんとDさんは、各出身中学でも不動の人気だったらしく、このコンテスト以前から男衆の間では人気を二分する存在だった。

 しかし、両者の雰囲気は対照的だった。

【Mさん】

 ・会いに行けるアイドル的

 ・明るく愛想が良い

 ・スカートの丈が短い(校則ではアウト)

 ・リップクリームは色の付いたグロスタイプ

【Dさん】

 ・クールな委員長的

 ・常に学業成績上位

 ・スカートの丈が少し長い(番長ではない)

 ・ナチュラルに整っている

 

 喩えがあだち充作品で恐縮だが、二人は校内ではちょっとした『みゆき』のようだった。


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 私は、どうしてこの(本家みゆきではない)二人がこんなに人気があるのか分からなかったのだが、とにかく男子生徒はどちらが勝つかで盛り上がっていた。

 

 そして迎えた結果発表の日…

 ミスターはSくん、ミスはMさんに決まった。

 あとで聞いたところでは、この二人は付き合った(ていた?)らしいですヒューヒュー!

 Dさんにならなかったのは、彼女は告白した男へのフリ方がキツいという噂が影響したのかなどと考えていたのだが、今思えば、無駄にモテる状態がイヤだから、そういう態度をとっていたのかも知れない。モテる人にはモテる人の苦労があることを、あの頃の私は知らなかった。

 ちなみに、DさんもMさんも私とは出身中学もクラスも部活も違ったこともあり、結局3年間話をすることもなく終わった。

 特にDさんのことは、勝手に良家のお嬢様か何かと思っていたが、大人になってから偶然仕事で彼女の家を知り、全くの質素なご家庭と分かった。

 よくよく考えてみれば、ほぼ見た目だけで判断することの難しさよ、愚かしさよ。見た目の好みは好みとして、個人の心の中に仕舞っておけばいいものを、それを堂々とさらけ出して周りを巻き込むミスコンなどは、差別だ何だと言う以前の問題ですよね~。などと言う資格は私にはないが、いつかDさんと会う機会があれば、少し話をしてみたいと思ったのだった。

 

 ところで、菩薩様はいったい誰に入れたのだろうか。

 私はあなたに入れました、ご存じではないでしょうが。

 (つづく)

【続】私のハートは菩薩モーション

(↓前回記事) 

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 大好きなはずなのに、恋愛対象ではなく崇拝対象になってしまう、それが菩薩モーション。

 かどうかは知らないけれど、心底付き合いたいという気持ちはなかったように思う。付き合えないのは構わないが、会えないのは困る。学校なんて、好きな子に会えるから行くんじゃないの?

 寅さんが満男に言うところの、燃えるような恋、大声出してのたうちまわるような恋、恥ずかしくて死んじゃいたいような恋ではなかった。せいぜい、あとからアクセス狙いでブログに書いてしまうような恋だ。

 正直なところ、一目惚れと言いながら一途に想い続けたわけでもなく、他の子を好きになったりもした。あの日の行動は、恋より焦りからのことだったのだろう。

 今回、気付いたことがある。一目惚れから始まった高校生活だったが、校内での彼女と思い出は、ない。ないのだ。これは自分でもショックだった。会えば話ができるくらいの仲にはなっていたのだが、笑い合ったとか怒らせたとか、そういう記憶がない。今でも言えることだが、「好かれたい・伝えたい」よりも「嫌われたくない・知られたくない」気持ちで接していると、結局何も残らないように思う。

 なので、これから書くことは彼女との思い出ではない。

 あれは高校2年の時だったか、生徒会の企画で『ミス・ミスターコンテスト』が実施されたことがあった。文化祭の時に、校内一の美男美女を全校生徒による投票で決めるという、今ではアウトなイベントである。時代的に、まだまだミスコンブームは残っていたし、先生的にも生徒会の意思は最大限尊重する決まりであったので、このイベントの問題性を指摘する人はほぼいなかったように思う。しかし、私には大問題であった。

 「菩薩様がミスになったらどうすんだよ。」

 

 彼女は私の菩薩様ではあったが、他の者は彼女の存在に気付いていない、はずであった。実際、同級生から彼女の話を耳にすることはなかった。彼女は、内気でもないが、積極的に人と話したり、行動したりするタイプではなかった。部活動などで目立った活躍をしていることも、ドジっ子眼鏡ちゃんでもなかった。しかし、すらりとした長身に、風に揺らぐセミロング、媚びない顔立ちは、いつも私の鼓動を速めた。

 我が校の「ミス・ミスターコンテスト」は、希望者によるエントリー制ではなく、全生徒に票が配られ、意中の男女1名ずつを記入し、投票箱に入れることになっていた。つまり、私を含め全生徒が実質的にフルエントリーされる仕組みであった。

 これは危険だ。これを機会に菩薩様の存在が他の者たちに知れてしまうかも知れないではないか。こういうイベントは、出たがりが勝手にやっていればいいのだ!入れるな!入れるなよ、彼女には絶対に入れるんじゃないぞ!

 生徒会の説明によると、全体の順位(得票)は公表しないルールになっていたが、ちょっと待って欲しい。集計を担当をする生徒会の役員は、結果の全てを把握しているではないか。ということは、「あれこの子、あんまり聞いたことないけど、けっこう票入ってない?」「ああ、そう言えば、この子良いよね!」みたいな話になって、その情報が生徒会の役員やその一部のお友だちに漏れて、とんでもない奴が菩薩様に告白とかしたらどうすんだよ。利権許すまじ! 

 

 本当に、バカそのものなのだが、私は投票用紙に誰の名前を書こうか真剣に悩んだ。悩んだ末に、“ミス”の欄には彼女の名前を書いた。自分のこういうところを直したほうが良いと今でも思う。

 しかし、本当に悩んだのは、“ミスター”の欄である。このイベントは、「ミスター/ミス」に選ばれると、校内一の理想のカップルとして扱われることになっていた。つまり、他の男の名前を書けば、菩薩様との交際を認めてしまうことになる。菩薩様との交際を許されるのは、お釈迦様だけである。適当な名前を書くわけにはいかぬ…。いかぬのだ!

 

  結局、誰の名前を書いたのか。実ははっきりとは覚えていない。曖昧ではあるが、自分の名前を書いて1票だった奴がいるなんて、みんなに広まったらどうしようと随分心配していた記憶があるので、もしかしたら、私、入れちゃったのかも知れない。

 

(つづく)

【追補】目を開けろ

 前回の記事を書くに至るにはもう一つ伏線がありました。SNSのタイムラインに流れてきて知ったこの動画です。 


Toshinori Kondo Blow the Earth in Tohoku 2011

 私は近藤等則さんのトランペットの音が好きでした。(昨年10月に亡くなった際に記事で触れたことがあります。)

 しかし今回は、演奏よりも録られた時期と場所に驚きました。私がボランティアとして被災地に行っていたのと同じ2011年5月、県は跨ぎますが場所も近くだったのです。もしかしたら、同じ道を通ったかも知れません。

 この動画を観るまで、近藤さんがこのような活動をしていたことを全く知らなかったのですが、私と同じあの海にいたカモメの声が演奏の一部のように入っていたりして、時空を超えたつながりを感じました。

 もう一つ不思議なことがあります。

 私が昔よくお世話になっていたcafeのオーナーでDJのCさんという方がいます。私は偶然、そのCさんと被災地からの帰りに出会ったことがありました。昼間に、しかも電車の乗り換え待ちでたまたま改札を出ていたタイミングで会うなんてこと、後にも先にもあの時だけです。 記憶によれば、奥さんと喧嘩したとかなんとかでたまたま駅に来たと言っていたような、いないような。

 このCさんは、近藤さんの長年の友でした。つまり、考えようによっては、このとき既に伏線が敷かれていたことになりはしませんか?

 そしてこれまた因果なことに、冒頭で書いた動画を知るきっかけになったSNSというのが、Cさんの奥さんの投稿なのです。私は、その投稿で近藤さんの意志を継ぐ存在を知り、自分も折を見て何か残そうという気になっていたのです。

 すれ違いもあれば、どこかで繋がることもある。人生って不思議なものですね。 

youtu.be

目を開けろ

>黙祷

 SNSのタイムラインに今年も流れ込んできた。あの時刻に合わせて。

 私はこの種の発信をする人たちが嫌いだ。

 「黙祷」の意味を分かっているのだろうか。

 わざわざ言葉に出すなよ。黙ってできねーのかよ。アンパンチかよ。

 だいたい文字打ち込んでから、ちゃんと目ぇ閉じてんの?enterして終わりじゃねーの?

 あとから「黙祷しました。」とか、前もって「今日は黙祷します。」ならわかるよ。でも、わざわざ時刻に合わせて“黙祷”って打つって、イベントか何か仕切ってるつもりかよ。

 

 …私は明らかに苛立っていた。

 もう、いつものことだが、この日が近づくと落ち着かない。マスメディアは特集を組み、周囲でも話題に上がることが多くなるが、私からはなるべく触れないようにしている。黙祷はしない、というより出来ない。浮かんでくるから。そして何より、目を開ければ嘘だらけの現実しか見えない。したくない。

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 10年前、私は職場のテレビで中継映像を見ていた。ヘリは、津波が川を遡り、家が、田んぼが、道路が、空港が濁流に呑まれていく様子を伝えていたのだが、まるで映画でも観ているようだった。急に現実味を帯びたのは、迫る津波から逃げる車が映り込んだときだった。

 あとからわかったことだが、カメラは、ただ撮っていただけではなかった。みんな、それぞれの辛さがあったんだな。

note.com

 私は、同年の5月にボランティアとして被災地に行った。今回、当時のブログを読み返してみた。それまでインターネットで晒されることを何より恐れきた私が、身バレ覚悟で書いたのだから、気概だけは確かだ。

ittotsu.jugem.jp

   被災地のためにと精一杯書いたはずだったが、改めて読むと己の不甲斐なさを嘆きながらも、結局は自己満足と高揚感に包まれていたことが分かる。自分は誰かを助ける側であると信じ、いつかはヒーローになりたい(なれる)と思っていた、いたのだったが…

 詳しくは書かないが、それから数年後、私は病気になり、名前も知らない人から命をもらい、生き長らえる経験をするのだった。

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 タイムラインから流れる“黙祷”が少なくなると、私はだんだんと落ち着きを取り戻した。

 当事者にとって、10という数字に意味は無いが、自分なりの節目として書き残しておこうと思った。書いているうちに、気持ちの整理もついてきた。

 あれから被災地がどう変わったか、私はもう一度この目で確かめなければ死ねないと思ってきた。それが、苦しいときの支えにもなった。

 しかし、そろそろ代えどきかも知れない。まだ少し時間は掛かりそうだが、もっとフラットな気持ちであの海へ行こう。

 今はそうしたいと思っている。黙祷はしない。

私のハートは菩薩モーション

 2月は筆が遠い。

 過去記事を振り返ると、やはり毎年のことのようで、書いて1本程度。振り絞ってやっと書いている感じ。内容も灰色冬模様なものが多いので、今年こそはパーッと一目惚れの話でもしましょうか?

 さて、どういう状態が“一目惚れ”なのかは人によって違うと思います。一度会っただけで気が合いそうだとか、気になって仕方ないようなことは、恋に限らずあると思うのですが、それは“予感”や“期待”ではあっても、いろんな回路をすっ飛ばして自分の中に有無を言わせずに入ってくる感じはないと思います。

 古今東西、巷に恋の歌や話は溢れているけれど、私はあまり共感したことはありません。「永遠の愛」や「あなたしか見えない」なんて言葉を操る人たちをずっと疑いながら生きてきましたので、おかげさまでこれからもひとり寂しく生きていくことになるのでしょう。

 …え?

 漫画やドラマなどで、“運命の出会い”を表現するときに、一瞬世界が止まり、その人以外の全てが視界から消える描写があります。まさに私のハートはストップモーション。 

youtu.be

 実は私にも一度だけあるのです。全てが止まったことが。あれが私の一目惚れ。視線の向こうには、後光が差していました。

 あれは人やない、菩薩、、菩薩様や!

(以下ラップで)

 Hit me 釘付け KIMIに磔(はりつけ)

 KIMIのEYESは  Don't know ジョーイ

 聴け Yo! チョーシュー 俺の合図

 MAJIで恋するminute man globe

   …3、2、1

 Oh KIMI に秒殺 !

 (ラップここまで)

となりました。

 冷静に考えると、これには高校1年という多感な時期であったことが大きかった。あの感覚は、おそらく二度と味わえない。それにしても、今もあの瞬間が脳裏に焼き付いているのだから、この世から恋の歌が消えることはないだろう。

  後日談だが、共通の友人に恵まれるという奇跡もあり、彼女とは時々(ドキドキ)話せる仲になった。しかし、その存在の畏れ多さから次の一歩を踏み出すことなく時は過ぎ、進路も決まった高3の冬。もう二度と会えないかも知れないのだからと意を決し、彼女のアルバイトの予定に合わせて待ち合わせをするところまでこぎつけたのだった。

 当日は雪。駅に向かうと列車は運転見合わせとの張り紙。私は待ち合わせ場所まで歩くことにした。その距離およそ5㎞。どれほど遅れてしまっただろうか。もしかして、もしかして、、、焦りと祈りの中、辿り着いた先に彼女はいませんでした。いませんでした。しばらくして謝ろうと電話をかけると、彼女はあの日の約束を約束とも思っていないようだった。そう言えば、“もし会えたら”などと運命的な出会いを装おうとしていた私。それ以上何も言えなくて…、Oh KIMI に誅殺!なことがあったのだった。

 春は旅人。


いい日旅立ち 山口百恵