TM NETWORK考【2】(発症中)

 1987年4月8日に発売されたTM NETWORKのシングル曲『GET WILD』は、何代にも渡って交配を続けた。

 『GET WILD』→『GET WILD’89』(1989年)→『GET WILD DECADE RUN』(1999年)→『GET WILD 2015』(2015年)

 シングル盤だけで4代。アルバムやライブのミックスなどを加えるとどれほどになるのだろう。街中が親戚だらけ。まさに“WILD&TOUGH”を体現したような曲である。

 このようなことから世間からネタ的に消費されることもある同曲ではあるが、なんだかんだで今日もどこかで誰かが口ずさんでいるであろう。アスファルトタイヤを切りつけながら。また或る時は台所でネギを刻みながら。

 

 先ほど、

>“WILD&TOUGH”を体現したような曲

 と書いたが、実際は小室哲哉の弱さや繊細さがこの曲を何度も生まれ変わらせたと思っている。「出せば売れるから」という単純なことではなく、彼はこの曲をミックスすることによって成仏へと導きたかったのではないだろうか。人々が手を合わせて「GET 浄土 」を願い続けるように、彼はこの曲に何度も手をかけ、乗り越えようとしたのである。

 

 『GET WILD』は、TM NETWORKの一番の出世曲と言って良いだろう。

 しかし、彼の中では、世間は自分の貢献度を過小評価している、つまり他の要素(アニメ「シティーハンター」のタイアップ、作詞家小室みつ子の世界観、ボーカル宇都宮隆のスター性、木根尚登の、木根尚登の、、木根尚登の、、、サングラス越しの微笑み)よりも軽く見られているのではないかという不安と、自分の作曲者としての力、というよりもヒットする要因としての“曲”の持つ力を世間に見せつけたい気持ちが強くなった曲でもあったのではないか。

 前年(1986年)に彼が作曲した『My Revolution』/渡辺美里のヒットもそうだが、曲としての成功が、必ずしも世間における自身の認知度を押し上げることにはならない。渡辺美里のような強烈な個性を持ったボーカリストが歌えばなおさらである。

 TM NETWORKの中心人物でありながら、表看板である宇都宮隆がいる限り自分はステージの真ん中には立てない、そして表現の幅も“TM”らしさという制限がかかる。そんなコンプレックスとジレンマが入り混じった複雑な感情を抱えていた一人の若者でもあった…。そんな見方はできないだろうか。 

 『GET WILD』ヒット後に出されたアルバム、特に『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』(1988年発売)からは、単なるシングルの詰め合わせではなく、アルバム全体としての作品性が一気に高まった。当時の私も「なんか今までと違うぞ」と感じたくらいだから、彼の複雑な感情は“TM”という枠の限界を試しにかかっていた。『RHYTHM RED』(1990年)、『EXPO』(1991年)の両アルバムもきっとその感情が作り出したものだ。

 そして、忘れてはならないのが、1988年に発売された小室哲哉のソロデビューシングル『RUNNING TO HORIZON』である。この曲は、ひどい、なにがひどいって、ボーカルの小室哲哉である。しかし、売れた。オリコン週間チャートで1位を獲った。ステージの真ん中に立った。「シティーハンター(3)」の“オープニング”テーマになった。小室みつ子の詞に宇都宮隆ではなく、小室哲哉の声が乗った。いくつもの『GET WILD』越えを果たしたのである。

 彼は、売れるには“曲(「フレーズ」)”の力が大きいことを逆説的に証明してみせたのだ。私はこの曲を『RUNNING TO 自己顕示欲』と名付けた。 

 

 先に述べたとおり、それでも『GET WILD』をGET 成仏できなかったわけであるが、彼の内に秘めたに複雑な感情は、1994年にTM NETWORKの実質的な解散(TMNプロジェクト終了)を宣言したのち音楽アーティストからプロデューサーへと自身の幅を広げる原動力にもなったはずである。

 

 1990年代の終わりから2000年代に入る頃には、小室哲哉の商業的な成功は明らかに陰っていった。音楽以外で世間の耳目を集めることのほうが多くなってしまい、多くの人は5億円詐欺事件で「小室は終わった」と思ったであろう。私もそう思った。

 

 しかし彼は復活を果たした。エイベックスの力添えも大きいだろうが、それも本人の音楽的才能があってこそである。私はこの頃(2010年頃~)の彼の活動には詳しくないが、AAAなどの人気アーティストに楽曲提供したりライブをネット配信したり、音楽活動をしていると知った時は、本当にうれしかった。

 「TM NETWORK」としてツアー活動や曲作りもするようになって、彼の立場的にはTM NETWORK初期~中期のような感じだったのではないだろうか。

 失意の彼が再び拠り所としたのは、彼が終わらせたTM NETWORKだったというのは興味深い。小室哲哉から別れを告げられてからも、宇都宮隆と木根尚登はどっこい音楽の世界で生きていた。もちろん交流はあったのだろうけれど、2人(3人?)はずっと再び集まるのを待っていたのかも知れない。誰もいなくなった故郷を想って。

 

 …ところが!の先日の引退表明である。

 

 彼がプライベートで心身ともに疲れていたというのは本当だろう。

 しかし、引退の決め手は、それ以上に音楽活動以外で自分を評価されるのがたまらなく嫌だったからに違いない。5億円詐欺事件の時は、少なくとも仕事内のことだった。だから、自分を取り戻せる余地もあった。音楽のことは音楽で返せるが、プライベートなことで下された自分への評価に対してはどうしようもない。そうなのだ、ひとりの人間としての彼は弱く繊細なのだ。そして、二度目に立ち上がるのは一度目よりも多くのエネルギーを要することを彼は知っていたのだ。

 

 そんなことを思いながら『GET WILD』の歌詞を読み直すと、まるで彼のことを歌っているようでならない。

 

 彼にはまだまだミックスし続けてもらわなくてはならないのだ。
 

 

  それにしてもなんなんだこの長文は。尻と肩の痛みに耐え、文章を積んでは崩してを繰り返しながらずっと書いている。これか、これがTM NETWORKのフォースなのか。

 (続く)

 

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 参考)

 ゲゲゲのゲットワイルド(お約束)


Get Wild

ムムム胸騒ぎの腰つき