そして、翌々週の診察。
先生>「あー、だいぶ良くなりましたね。しこりみたいなのは残っていますけど。このままでも前みたいな、すぐの再発はないと思いますが、どうしますか?手術しますか?」
私>「再発の可能性はなるべく低くしたいので、お願いします。手術したらすぐ問題なく生活できますか?」
先生>「うん、普通は2週間後に抜糸ですね。でも、中には4週間経っても傷口が良くならない人がいるんですよ。バスの運転手さんなんですけどね、その状態でずっと運転してるんですって。あはは。さて、それじゃあ手術の説明。」
私>「…え?」
その運転手さん、切った意味があるのだろうか、、、。全然発車オーライじゃないじゃない。
やっぱり痛むから腰を浮かせながら運転したりしてるのだろうか。もしもその運転手さんのバスに乗り合わせたなら、降りるときに「キース・ジャレットのライブを見ているようでした。ありがとうございました。」と声を掛けたほうが良いだろうか。
もちろん、手術のことにもお尻にも触れずに。
そして、走り去るバスに向かって私は5回大きく尻を振るのだ。
「おだいじに」と願いを込めて。
先生の話によると、1回目にしたのは腫れた患部から膿を出す“処置”であって、手術ではなかったらしい。そうだ、確かにあの部屋は「処置室」だった。
今度は手術なので、事前の承諾書の提出やら血液検査もあるし、当日は「手術室」で血圧や心拍数のモニターもつけて、痛み止めも麻酔担当がする。それなりにリスクもあるとのこと。
私はなんだか大げさとも思える事態に不安になってきた。もちろん、先生はそんなことを気に掛けている様子などない。
おかげでこちらもあまり気を遣わなくて済むのだけれど、私のような考え過ぎるタイプの人間には刺激が強い感じもある。
外科医というのは無邪気というか、面白がるというかそういう気質の人が多いのだろうか。そうではなかったとしても「身体を切る=迷いを断つ」みたいなことができる人たちであろう。
先生、どうせなら無駄に揺れるこの心を断ち切ってください。
さて、そんなこんなで話は手術当日(ドキュメント【2】看護師の問診シーン)に戻る。
看>「これも確認なのですが、今日手術する場所はどこですか?」
私>「臀部、、、右臀部です。」
この答えを聞いたとき彼女はどう思っただろうか。彼女の表情はマスクで見えなかったが、「素直に“尻”って言えばいいのに。」と思っただろうか。
こういう場合、恥ずかしさの数だけ画数があるのだよ、“臀”部は何画だい?看護師さん、わかるかな?
看>「はい。では、手術室に入りますね。こちらです。」
彼女は、そう言って床のペダルを踏んだ。
すると、目の前の扉が開き、その先にもう一つ扉が見えた。あれが我らが目指す「手術室」だ。
前に進んでその最後の扉を開けるペダルを踏むと、萬斎先生と研修医らしい先生、そして麻酔担当医(?)の女性の姿が見えたのだが、この頃には胸のドキドキがかなり高まっていた。彼女が踏んだのは私の心のアクセル。
手術室の中に入ると手術台にうつ伏せになるように促され、下着は膝のあたりまで下ろされた。煌々と照らされた照明の下でも決して輝くことはない尻を晒し、私は看護師に渡されたクッションを抱き、泣いた。
と、そこまでのことはなかったが、とにかく緊張してしまい、目の前に置かれた(心拍や血圧などの)モニターをまともに見ることができなかった。うつ伏せなので、私の背中側の世界で何が起きているのかは想像するしかない。胸のドキドキはドッキンドッキンへ。時々機械が発する警告音?から推測するに、モニターの数値もかなり上がっていたことだろう。
先生は私の様子を察したのか、前回の膿出しのときのように何やらいろいろ話をしながら手術を始めた。とは言っても、研修医?へのレクチャーのような、ただの世間話のような内容がほとんどで、この時私は、この先生がただのお喋り好きである可能性に気づいたのだった。
さて、緊張の方は、お尻に局所麻酔を打つまでがピークだった。麻酔の効果なのか、それとも別の何かを打たれたのか。モニターで数字を確かめる気にはなれなかったが、しばらくすると体感的には不思議なほどドキドキは収まっていった。
看>「名前を言ってください。」
私>「は?私のですか?」
意識の確認だったのだろう。この期に及んで、自分の名前以外(先生の名前や患部の名前など)を聞かれた可能性もあると仮定し、質問で質問を返すとは我ながら大したものである。もちろん褒めてはいない。
手術は順調に進み、自宅の布団の上で尻を出しているかのような気分でいたところ、急に今まで一番大きな痛みが走った。
私>「(ウッ!)先生、ちょっと痛いです。」
先生>「あ。やっぱり痛いですよね。お尻の筋肉を焼いてますから。これしとかないと、あとで出血の量が全然違いますからね。」
ここで先生について気がついたことが、もうひとつあった。この先生は基本的に「事後報告」なのだ。
そうしてバチッ、バチッと音がする度に痛みが走る。仔牛の焼印押しってこんな感じだろうか。私のかわいい筋肉はどうなっちゃうの、教えてテリーマン。
そんなことを考えているうちに、縫合に入り、やがて無事に手術は終わった。
全てに「ありがとう」としか言いようがない。
手術時間は、実質30分ほど。
保険点数は3万3710点(内手術料3万2300点)、自己負担金額は3割負担で1万110円だった。
ひとつだけ心残りがあるとすれば、
先生>「よかったら手術室を出たときに、切ったものお見せしますよ?」
私>「けっこうです。葬ってください。」
と言ってしまったことである。先ほどまで自分の身体の一部だったのだから、ひと目見てお別れするべきではなかったか。次、あの世で会おう。私の粉瘤。
そして、心配していた予後であるが、先生からお墨付きをもらい、予定通り術後2週間で抜糸も済んだ。投稿時現在、押さえれば少し痛みはあるものの生活にキース・ジャレットはない。
(完)
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参考)
下品なので見ないほうがいいです。見ないほうが、、
だから言ったでしょう?
テリーマンがわからない方へ
額の印は肛門ではありません。