思い出した。
TV>「おててのしわとしわを合わせて幸せ」
私>「ほんまや、大発見や~!」
しかし、それは単なる「しわあわせ」に過ぎないと気づくのに時間は掛からなかった。私は、そんな“幸せになれない”素質を持った子どもだったのかも知れない。
今年に入り愛犬と伯父が続けて亡くなったこともあり、何かと手を合わせる機会が増えた。そして、今日ふと思いついた。
「しわとしわ」ではなく、「死と死を合わせて=幸せ(死合わせ)」ではないか。生前の楽しかったこと、面白かったこと、あんなこと、そんなこと、数え切れない思い出や整理しきれない感情があっても、一旦それらを手と手の間にしまい込み、あの世での幸せを願う、その瞬間に「祈り」が生まれる。そして、もしかしたらその瞬間は、煩悩から解放され、ある意味“幸せ”な瞬間でもあるのではないだろうか。
もちろん、その境地に至ったとしても、生死の事実は変わらない。生きるためには祈ってばかりもいられない。気が紛れることはあっても、悲しさや寂しさは必ず折に触れてやってくる。だけど、それこそが私たちがつながっていた(いる)証でもあるのだから、必ずしもマイナスと受け取るべきではないのだろう。大発見や。
そんなことを思いながら、私は今日も頭の中で愛犬の顔の辺りを撫でている。
次は腹の辺りを撫でてやろうか。優しく、ときに激しく。
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参考)先日のNHKFM『世界の快適音楽セレクション』で紹介(A面のみ)されて知りました。ゴンチチさん、スタッフさん、ありがとう。
B面 。。。