酒と泪とアセトアルデヒド 【2】

 私が働いていたカラオケ店(カラオケボックス)は、基本的に社員は1人(店長)、あとはバイト(パート)が曜日や時間帯によって2~4人程度入る体制だった。時給は780円~900円くらいだったか。

 勤務時間は、昼・夕方・深夜のシフト制だった。私は、夕方勤務が多かったけれど、学生の一人暮らしだったので自由の利く存在として重宝されていたように思う。

 入った頃は、バイト同士の仲も良くて、先輩もみんな優しかった。バイト終わりにそのまま数人で店内のカラオケ部屋で飲み会をしたりもしていた。今思えば、あの気楽さは当時の店長さんの気遣いがあってこそだった。今頃どうしているだろうか。そう言えば、あの店長さん、歌がすごくうまかったな。50代(推定)でMr.Childrenの『Tomorrow never knows』を見事に歌いきっていた。

 ちなみに、その頃の私は、電気グルーヴの『N.O.』がキーの限界だった。石野卓球の歌唱力は侮れないと今も思っている。

 

 いち子はお酒が強かった。彼女が最も好きだったお酒が、VODKAだ。

 いち子も含めたバイト終わりの飲み会は度々あったのだが、慣れない頃、生まれも育ちも牧歌な私は、VODKAの読み方も飲み方も知らず、彼女の挑発に乗って無茶して飲んでは潰れた。

 そしていち子はそんな私に、

>ぜんぜん飲めへんやん!へたっちょ、ダッサー!

と上から罵声を浴びせるのだった。

 

 実は、私はお酒には自信(過信です!)があった。少なくとも女の子より先に潰れたことはなかったので、悔しくて彼女に何度もサシで勝負を挑んだ。そして、敗れ続けた。

 勝てば官軍、負ければへたっちょ。私はバイト先の先輩たちにまで、しばらくの間「へたっちょ」と呼ばれ続けた。

 

 当時ウォッカをどうやって飲んでいたのか、あまりよく覚えていないが、モスコミュールやウォッカリッキー、ウォッカライム、ブルドッグなどカクテルが中心だったように思う。さすがに、ショットグラスでストレート飲みのようなことはしていなかったはずだ。覚えてないから知らんけど。

 運動部出身の私は努力を重ね、やがてウォッカに負けない体になっていった。まるで消毒液のようだったあのウォッカ独特の臭いが、やがてはフローラルの香りのように感じるのだから不思議だ。今ならば、努力と書いてバカと読むだろう。

 そして、ついにその日が来た。

 …勝った。

 私は、いち子に勝ったのだ。

 これまで、常に勝ち気な物言いだった彼女が、もう飲めないと言って勝負を棄てたとき、私の中で何かが変わった。私はもう、へたっちょではない。うまい棒になるのだ!

 私は、温めていた計画を実行することにした。これまでの努力(バカ)はそのためのものだったのだ。

 

 告白である。

 

(続く)

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 参考1)


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

 私もこのどこかにいたはず。

 

参考2)


電気グルーヴ - N.O. 【T.V. Program】

 今ならわかる。適材適所ってこういうこと。