2月は筆が遠い。
過去記事を振り返ると、やはり毎年のことのようで、書いて1本程度。振り絞ってやっと書いている感じ。内容も灰色冬模様なものが多いので、今年こそはパーッと一目惚れの話でもしましょうか?
さて、どういう状態が“一目惚れ”なのかは人によって違うと思います。一度会っただけで気が合いそうだとか、気になって仕方ないようなことは、恋に限らずあると思うのですが、それは“予感”や“期待”ではあっても、いろんな回路をすっ飛ばして自分の中に有無を言わせずに入ってくる感じはないと思います。
古今東西、巷に恋の歌や話は溢れているけれど、私はあまり共感したことはありません。「永遠の愛」や「あなたしか見えない」なんて言葉を操る人たちをずっと疑いながら生きてきましたので、おかげさまでこれからもひとり寂しく生きていくことになるのでしょう。
…え?
漫画やドラマなどで、“運命の出会い”を表現するときに、一瞬世界が止まり、その人以外の全てが視界から消える描写があります。まさに私のハートはストップモーション。
実は私にも一度だけあるのです。全てが止まったことが。あれが私の一目惚れ。視線の向こうには、後光が差していました。
あれは人やない、菩薩、、菩薩様や!
(以下ラップで)
Hit me 釘付け KIMIに磔(はりつけ)
KIMIのEYESは Don't know ジョーイ
聴け Yo! チョーシュー 俺の合図
MAJIで恋するminute man globe
…3、2、1
Oh KIMI に秒殺 !
(ラップここまで)
となりました。
冷静に考えると、これには高校1年という多感な時期であったことが大きかった。あの感覚は、おそらく二度と味わえない。それにしても、今もあの瞬間が脳裏に焼き付いているのだから、この世から恋の歌が消えることはないだろう。
後日談だが、共通の友人に恵まれるという奇跡もあり、彼女とは時々(ドキドキ)話せる仲になった。しかし、その存在の畏れ多さから次の一歩を踏み出すことなく時は過ぎ、進路も決まった高3の冬。もう二度と会えないかも知れないのだからと意を決し、彼女のアルバイトの予定に合わせて待ち合わせをするところまでこぎつけたのだった。
当日は雪。駅に向かうと列車は運転見合わせとの張り紙。私は待ち合わせ場所まで歩くことにした。その距離およそ5㎞。どれほど遅れてしまっただろうか。もしかして、もしかして、、、焦りと祈りの中、辿り着いた先に彼女はいませんでした。いませんでした。しばらくして謝ろうと電話をかけると、彼女はあの日の約束を約束とも思っていないようだった。そう言えば、“もし会えたら”などと運命的な出会いを装おうとしていた私。それ以上何も言えなくて…、Oh KIMI に誅殺!なことがあったのだった。
春は旅人。