【完】私のハートは菩薩モーション

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 「コンチキチン、コンチキチン…」

 祇園囃子の鐘の音 我が青春の響きあり

 宵山だったか、宵々山だったか、私は菩薩様と待ち合わせをしていた。三条大橋東詰、高山彦九郎像前。

 こんなことは高校3年の冬、地元の駅で告白未遂に終わったあの時以来である。聞いてくれ、今回は夏の京都だぞ?

 お囃子ではbeatが足りない。私は完全に高ぶっていた。

 この幸運を与えてくれたのは、高校からの共通の友人ANさんだった。当時、私は大阪、菩薩様は京都、ANさんは東京でそれぞれ1人暮らし。離れてはいたが、ANさんは、菩薩様とよく連絡を取り合っており、私にも時々連絡をくれていた。

 ある日、ANさんから電話があり、菩薩様に元気がないみたいなので、私に様子を見にいって欲しいという流れになった。地方から都会に出た者によくあることだが、菩薩様も新生活に馴染めないでいるらしい。 そうなのだ、菩薩とは仏に導くと同時にまだ仏に達していない存在、つまり人間でもあるのだった。私にはいつも落ち着いている彼女の一面しか見えていなかった。

 思いがけないオファーにより、私は堂々と菩薩様に連絡をとれるようになり、本日晴れてここにコンチキチンの機会を得たのである。

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 高山彦九郎像前には私の方が早く着いた。一応、最近買った服を着て頑張ってみたつもりである。遅れてきた菩薩様は、、彼女は、、、白い、、白い浴衣姿だった。先に言っておくが、私はこの時点で勘違いをし始めている。

 二十歳の夏、京都、祇園祭、初めて見る彼女の浴衣姿、、舞台は整った。かつて一目惚れをした時とは違い、もしかして今なら手が届くのではないか、そう思わせるのに十分だった。

 久しぶりに見た彼女は、顔がやや丸くなり、眉を整えていたからか、別人のようだった。一生懸命に都会の人になろうとしているようにも見え、戸惑ったのを覚えている。高校時代は、自分から容姿のことを言うような人ではなかったはずだが、この日は「私、太ったでしょ?」などと自虐気味な発言が続いた。大学で勉強についていけないようなことも言っていた。

 卒業アルバムの中に見つけた無防備な笑顔は、もう見られないのだろうか…。これはとにかく褒めなければ!!

 「浴衣、すごい似合ってる。」

 「ありがとう。そんなこと言ってくれるの、〇〇君だけ。」 

 彼女を喜ばせようと思って掛けた言葉であったが、嬉々としたのは私だった。

 (だけ!?だけってことは、彼氏はいない、近寄ってくる男もいないってことやん!)

 正直に言うが、私は卒業後も彼女への想いを忘れていたわけではなかったが、この待ち合わせの時点では、付き合える自信はなかった。

 しかしどうだろう、今目の前にいる彼女は、私が勝手に作り上げた菩薩様ではない、等身大の悩める一人の女子大生だ。

 ここからの私はこれまでになく強気になっていた。おそらく、プライベートに探りを入れたり、彼女を笑わせようと必死になっていたことだろう。雰囲気は悪くなかったはずである。…今だ、今しかない!南無八幡大菩薩!!

 私は、彼女に告白をした。

 この場では「少し考えさせて欲しい」くらいのことは言われても、結果には自信があった。エビデンスはさっき見つけた。

 彼女の答えは早かった。

「私、〇〇君のことは友だちとしか思えへんの。」

「トモダチ?」

 私はエビデンスを求めて質問を重ねた。

「え?彼氏おるの?」

「おらんよ。」

「じゃあ、好きな人は?」

「うーん…、おるといえばおるけど…。」

  彼女は答えを渋ったが、私はエビデンスを求め続けた。とにかく自分に諦めがつく言葉が欲しかった。そして、遂に意外な人物の名前を聞くことになる。

「TKさん。」

「TKさんて、あのTKさん?」

  あなたは覚えているかしら。TKさんとは、私が高校1年の時に告白してフラれた子が好きだった“クール”で顔が小室哲哉のTK先輩のことである。またしても彼が私の前に立ちはだかったのだった。

 コンチキショー コンチキショー 諸行無常の響きあり

 盛者総取り、滅びたの俺だけやないか!

 そう言えば、彼女とTKさんは出身中学が同じだ。彼女は何年間、彼に思いを寄せていたのだろうか。私が知らなかっただけで、過去に付き合ったりしていたのだろうか。

 さすがにそこまでのエビデンスは求めなかった。もう十分だった。

 それからどうやり過ごしたのかは全く覚えていない。

 しかし後から一つ、思い出したことがある。あの日の「ミス・ミスターコンテスト」のことだ。菩薩様はきっと、ミスターの欄にTKの名を書いたのだろう。

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  祇園で滅びた後、ANさんから手紙が届いた。

 >菩薩ちゃんのことは、残念だったね。

 なんや、筒抜けやないか…。だから“トモダチ”なんて信用できないと思ったりもしたが、本物の仲同士なら話して当然かも知れない。

 菩薩様とはそれ以来会うことはなかったが、ANさんとはしばらく交流が続いた。私が東京に行った時には、二人で遊んだりもした。

 就職の話になったときのこと、彼女は空港のグランドスタッフになりたいと言った。今でこそ、グランドスタッフは人気職らしいが、当時は女性が目指す空の仕事と言えば「スチュワーデス(キャビンアテンダント)」が一般的だった。

「ふーん。そういう仕事があるのか。なんでスチュワーデスじゃないん?」

「わたし、背が低いでしょ?だから無理なん。でも空にかかわる仕事がしたくて…。」

 私はハッとした。私の中ではいつもどこかぼんやり屋さんのANさんに、こんな芯の強さがあったとは。高校時代、訛りが少なかったのも英語の成績が良かったのも将来を見据えてのことだったようだ。

  その後、何があったというわけでもないが、お互い就職活動や引越しなどでいつの間にか疎遠になってしまった。社会人になってから高校の同窓会があり、ANさんも来ていたらしいが、集まりが苦手な私はいつも欠席だった。

 結局、ANさんがグランドスタッフになれたかどうかはわからない。なっていたとしても、新型コロナウイルス蔓延以降、相当な苦労をしているだろう。

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 振り返れば、高校時代のANさんは、クールをこじらせて周囲にただの暗い奴と思われていた私にも抵抗なく接してくれる数少ない人だった。菩薩様と話せるようになったのも、「その子」のことを教えてくれたのも、卒業後につながりが保てていたのも、みんな彼女のおかげのようなものだ。もしかしたら、あのオファーも…。

 ANさんは、なんというか、誰かを応援できる人だった。地上から飛行機を見送り、乗客を迎えるグランドスタッフに向いているはずだ。

 私はなぜ、あのとき「You can fly!!」くらいのことを言ってあげられなかったのだろう。

 彼女こそが菩薩様だったのに。


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