細意志の岩音鳴りて

  最初に言いたいことがある。ロックは若者の音楽ではない。若者から生まれた音楽なだけだ。

 マスメディアは、フジロックを若者の代名詞のように扱うのは、やめて欲しい。あのイベントは、もういい年こいた大人たちの精一杯の憂さ晴らし、オトナになりきれない大人たちによる自己表現の場だ。

 今の若者たちの多くは、音楽に多くのお金や手間を掛け(られ)なくなっている。この時勢に、チケット代だけで何万もするイベントにそんじょそこらの若者は行けない。そもそも、ロックなどという音楽の1ジャンルにこだわらないから若者は若者なのだ。

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 2021年、新型コロナウイルスの感染拡大による非常事態宣言が全国に拡大される中、フジロックは開催された。感染対策を十分に行い、地元の同意は得られているとのことだったが、世間の風当たりは強かった。

 ん?“地元の同意は得られており、安全対策にも対策を講じている”?“世間は反発”?ん?ん?どこかで聞いたことがある構図だぞ。

 原発や米軍基地問題などに対して、これまでの為政者たちがとってきた態度そのものではないか。

 大義名分を掲げ、既成事実を積み上げながら批判を飲み込んでいく手法は、古今東西大なり小なり統治の王道。問題になるのは、“既成事実”の積み上げ方だ。

  今回のフジロックはどうだったか。

 感染終息期ならともかく、今首都圏で起きていることを見れば「抗原キットによる事前検査」 「会場でのアルコールの提供禁止」「スタッフのワクチン接種」をいくら徹底しても必ず感染者が出てしまうことは明らかだったはずだ。「私的キャンセル者へのチケット払い戻し」も本来なら“神対応”なのだが、まるで当然のように受けとめられた。

 不安のハードルが上がっているところに、感染拡大の原因を“若者”にしたい世の中の空気が重なるのだから、この時期の開催は自ら生け贄になったようなものだ。

 こうまでして開催することの意義は何だったのか。第1回(1997年)の失敗を乗り越えたフジロックがそれ以降に大切にしてきたテーマは「自然との共生」であったはずだが、今回最も伝えたかったことは何だっただろうか。

  公式発表はこうだ。

「KEEP ON FUJI ROCKIN’」

昨年フジロックの延期を発表してから、このフレーズを掲げていろいろな取り組みを行ってきました。 開催を待ち望んでくれている皆さまやアーティストなど、たくさんの方々の理解と協力を得て、今日まで支えていただいたこと、本当に感謝いたします。

今年、フジロックは苗場での開催実現に向けて、新型コロナウイルス感染防止対策を徹底し、全ての方々が安心・安全に過ごせる「コロナ禍で開催する特別なフジロック」を目指します。
場内各所で混雑が生じないよう入場人数を減らし、苗場の広大な野外空間における大自然の恩恵を活かした「自然と音楽の共生」を目指すフジロックならではの創意工夫を図り、感染リスクの回避に取り組んでまいります。

また、開催するにあたっては、コロナ禍における新たな制約や制限へのご協力を皆さまにお願いすることになりますが、互いに尊重して思いやりを持っていただくことで、安心・安全に過ごせる空間を、一緒に創り上げられると信じています。

フジロックに携わる全ての方々のさらなるご協力の元、一丸となって開催に向けて動き出してまいります。 そして、今年8月約束の地「苗場」で再び皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

野外フェスティバルの未来は明るいと信じて。NO FESTIVAL, NO LIFE.

 文中の「フジロック」を「東京オリンピック」に置き換えると、恐ろしいくらいにハマることにお気づきだろうか。

>全ての方々が安心・安全に過ごせる「コロナ禍で開催する特別なフジロック」

目指したことが、あのやり方で実現できたと言えるだろうか。

 次にこの動画を見てもらいたい。(FUJIROCK EXPRESSさんによる全文書き起こしはこちら

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 これこそが本当の公式見解ではないだろうか。

 私は、「THA BLUE HERB」の多くを知っているわけではないが、帽子を抜いでカメラの向こう側に頭を下げるのだから、相当な覚悟があったはず。その瞬間、彼らは生命線である“刃”を失ってしまうかも知れないのだから。

 それでも身勝手な主張だと言う人もいるだろうが、本来、国レベルの危機を個人の努力で何とかさせようなんて、身勝手なのはいったい誰なのか。

 このステージが、一人一人がギリギリの現状を打開するために決行したレジスタンスだったとしたら、その行動を責めることができるだろうか。そもそも、黙っていて事態がよくなる保証などないし、実際悪くなる一方ではないか。

 別のステージでは、「サンボマスター」が新型コロナウイルスの影響で中止になった各地の音楽フェスティバル関係者とその幻の観客たちにエールを送る行動に出た。フジロックしか頭になかった私は、恥ずかしく思った。あれで報われた魂もあったに違いない。

 しかし、私はそれでも今回の開催には賛同できない。延期または無観客にして欲しかったし、有観客にするなら開催規模を縮小し、ワクチン2回接種を義務づけるなど主催者にしかできない決定をして欲しかった。この期に及んで、感染拡大を個人の努力に委ねることは、政府のやっていることと本質的には同じだから。

 

 開催の報を聞いてからの私の正直な気持ちは、「なんでここで賭けに出ちゃうんだよ。また世間に嫌われたら取り返しがつかないじゃないか。大好きなフジロックがもうできなくなったら、何を楽しみにすればいいんだよ。」だ。

 本当はすっごく良い奴なのに、世間から誤解される奴になんてなって欲しくない。

 開催後の評価もまだできない状態で、公式が来年の開催予告までしてしまって、この先どうなるのか心配で心配で夜も眠無八幡大菩薩である。

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 私は今回の開催に反対していながらフジロックのライブ配信を見た。オリンピックも延期派だったけれど見た。音楽もスポーツも好きだから。

 実は少し悩んだが、よくよく考えたら、反対するなら見てはいけないなんておかしな話なのだ。「対案ないなら反対するな」とか「権利と義務はセットだ」とか「原発反対なら電気使うな」とかその種の主張と同じ。これに対する私の答えは、「それではまず屏風の中の虎を出してください」で完結している。

 それでフジロックもオリンピックも見ていて思ったのだが、見えているものと感情は切り離せるものではない。自分に好きなものはどうしても見てしまう。

 しかし、確かに好きなものを見られて楽しいことは楽しかったけれど、どこか楽しみきれなかった。家事より優先して見ることもなかった。

 突き詰めれば、音楽業界もスポーツ産業も人気がなければ残れないのだから、みんなが気持ちよく見られる(参加できる)ことは最も重要なはず。 大きなイベントなので、決定プロセスを公開することはとても大事だが、今回はあまりにも本筋と関係ないところで話題になり過ぎた。

 開催しなくてはいけない事情は分かるけれど、しなくていいはずの苦労をみんながしてしまった。そこが残念だったし、この経験を次に生かして欲しい。

 

 残念と言えば、タイムラインで、MISIAが『君が代』を独唱したと知ったときは驚いた。彼女にすれば、きっとこの場へのリスペクトの証なのだろうし、多くの観客は喜んだだろう。

 しかし、私のようなセミオールドファンの受けとめ方は違ったはずだ。ロックフェスティバルでの国歌と言えば、今や伝説と化しているJimi Hendrixの『The Star-Spangled Banner』である。


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 MISIAが知らないはずはないのだが、この彼の演奏の意味を、そしてフジ“ロック”である意味を理解した上で歌ったのだろうか。私には、彼女の天然が爆発したとしか思えない。

  これも後から知ったことだが、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERの一員としてエセタイマーズなるバンドが登場したそうではないか。この記事を読む限りは、本当に“エセ”でしかないという印象である。「替え歌」を披露したようだが、叫んだ言葉の中に遊び心はあっただろうか。そこにタイマーズ、というか忌野清志郎のロックがあると私は思う。


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 MISIAが国歌独唱で清めたのなら、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERは皆でこっちの『君が代』で泥んこ遊びをするべきだった。そんな精神こそ永遠なれではないのだろうか。


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 フジロックは、数年前からフェス離れの危機感からブッキングの方針が変わったと言われている。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやRADWIMPSのようなバンドは、以前ならお客が来ることは分かっていても出演のオファーはなかっただろう。MISIAもそうだ。そのさじ加減が、フジロックがアーティストから一目置かれる存在になった理由でもあったと思う。

 それが感じられなくなってしまったことが悪いと言うつもりはない。フジロックを続けるために必要な変化だったに違いない。しかし、名実ともにロックは死にかけていることは指摘しておきたい。

 

 今年のフジロックに関して、あとひとつ言わせて欲しい。今回のライブ配信はソフトバンクがスポンサーから離れた影響なのか、法的な制限があったのか、実情は分からないが、視聴者がお金を払えるシステムになっていなかった。

 批判と厳しさの中、無料で見せてもらえるだけでありがとうなのだが、ライブにお金を払うことができれば、もっと参加している気持ちになって楽しめたと思う。そういう人が全国にいることがフジロックの強みであるとも思うから。

 「KEEP ON FUJI ROCKIN’」 

 

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(追記)

 これを書き終わってから、今回のフジロックへの批判が、政府補助金や後援の是非に発展していることに気付いた。『あいちトリエンナーレ』で問題となった「表現の不自由展・その後」の構図と同じだ。

 こんなク●ニュースを読みながら、ロックがロックであり続けるにはどうしたよいのか、表現の自由を守るのは誰なのか、みんなもうそろそろ真剣に考えて欲しい。

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