細意志の岩音鳴りて【追補】

 前回、今年のフジロック開催について書いてからおよそ1ヶ月、meganegadoushita.hateblo.jp

その間に見えてきたこともあったので、書き足しておくことにする。

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 「こんなときにロックフェスだと?しかも国からお金もらっているだと?フジロック許すまじ!」

 前回書いた時点の世間の雰囲気は、そうなりかけていたように思う。

 しかし、そこにラスボス登場。『NAMIMONOGATARI 2021』である。ネットで拡散されたド密な会場の様子の動画により、標的はフジロックから彼らに変わり、世間の雰囲気は完全に「成敗モード」に移行した。

 当初は私も、「こいつら日本もヒップホップも殺す気か!」などと思ったのだが、イベントの歴史は意外とあり、今回は新しい試みも始めようとしていた矢先だったYOだ。

www.barks.jp

 リンク先にもあるが、2012年からは子どもたちにストリートやサーフカルチャーに親しんでもらうプロジェクトも進めており、いったいなぜあんなことになってしまったのか、フジロックと同じく悔しい思いをした人も少なくないのではないだろうか。ちなみに、今年はこのキッズイベントは中止になったようだ。


www.youtube.com

 主催者と一部の観客・出演者によって、今後のあらゆるイベントの開催に決定的な悪影響を及ぼしてしまったことは事実で、報いを受けても当然ではあるが、私には納得できないことがある。

 まず、愛知県知事の対応である。自分が刑事か検事にでもなったかのように追い詰める態度に、世間的には好意的な声のほうが多いようだが、私は県側に全く否がないとは思えなかった。自分たちに矛先が向かわないように、全力で潰しにかかったと言えば言い過ぎだろうか。もし動画が拡散されなければどうなっていたことやら。

 

 次に補助金である。フジロックと同じくNAMIMONOGATARIの補助金も、経済産業省主管の「コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金」である。補助金交付規程には、

国内外の新型コロ ナウイルス感染拡大の影響が長期化する中、日本発のコンテンツの海外展開のプロモーションの機会が失われていることを受け、(中略)日本発のコンテンツの海外展開を促進し、日本ブーム創出を通じた関連産業の海外展開の拡大及び訪日外国人等の促進につなげることを目的とする。

とあるので、要するに景気対策。経済産業省版“GoTo”のようなものである。コロナ禍でも省の予算を確保するための“こじつけ”のように見えなくもない。

 日本発のグローバルな発信が要件になっており、インターネットによる配信は必須。フジロックのライブ配信の方法が少し変わったのも、UMIMONOGATARIのステージ側からの動画がいち早く出回ったのもおそらく、このことがあったからではないだろうか。

 そして、UMIMONOGATARI騒動の後に、『SUPERSONIC 2021』(旧SUMMER SONIC)の開催を巡り、千葉市が後援を取り消す事態が起きた。これは愛知県知事が強い態度をとって支持されたことも影響したと思う。

 しかし、このときは既に感染は減少に向かいつつあり、この期に及んで取り消すなら、なぜ最初から後援をしたのかという疑問は拭えない。これは憶測ではあるが、SUPERSONICも先の補助金を申請しており、後援を取り消されれば補助金が受けられなく可能性もあり、脅迫に近い行為だと思う。その意味では、フジロック主催者と開催地の信頼関係を裏付けることにもなった。

 

 さて、ここからが私の納得がいかない本題に入る。

 そもそも、国民はもう二年もあらゆる楽しみを我慢している。「石の上にも三年」のオチでも欲しいのだろうか、ここに来て更に締め付けが強くなっている。しかもその方法は、権力側からの「要請」と世間の「空気」だ。

 もちろん、いろいろと支援制度は用意されているが、必要なところに行き届いているとは思えない。

 この責任を誰が負うべきだろうか?

 「二度あることは三度ある」「仏の顔も三度まで」というが、感染の波は既に五度である。国が未だに法的に明確な補償制度や開催基準を作らないため、その都度主催者は世間の顔色を窺いながらやらざるを得ない。やると決めれば、皆の生活のために強引にもなるだろう。

 イベントの例を出すまでも無く、私の周りでも地域の祭りや行事を巡って、賛成/反対で意見が分かれてしまっている。それだけならいいのだが、人間関係までもおかしくなりかけている。もともと、考え方が違ってもひとつになれる場であったはずが、逆に互いの違いを顕在化させるという皮肉。これはこの先、思った以上に根が深くなる気がしている。

 私は、その“落とし所”として、政治があえて嫌われ役を引き受けるしかないと思う。これまでのように、感染対策の責任を個人に押しつけ、政治は景気対策と称して果実を獲ろうとするやり方は、ド短期ならウヤムヤにもできるだろうが、年単位では歪みが明らか。しかも、その謳われる効果すら疑わしく、ひとつのミスで炎上してしまう。そんな世の中で、これ以上個人がリスクを取ろうとするだろうか。

 

…随分と話が飛躍してしまったようだが、何党でもいい、今は嫌われても、後に歴史が証明する人が現れて欲しい。かつてのロックやヒップホップがそうであったように。