別れ際

 帰りのバスが来た。乗り込むのは、私一人。ICカードをタッチし、少し迷って一番後ろの席に座る。久しぶりの街は師走の様相だったが、ここはいつも通りだ。

 「ご乗車ありがとうございます。ご乗車の際は、、、」

 あ、この声は!

 きちんと調べたわけではないが、おそらくこの路線は、運転手を4人で回している。一人は若手、一人は無口、一人は安定のベテラン、一人はマイペース。それぞれに特徴がある。

 今回は、行きはベテランさん。そして、この声はマイペースさんだ。

 マイペースさんは、発車や停止時、停留所の到着や通過、待ち合わせなど、いつも細かくアナウンスをしてくれる。そして、その声はいつもマイクから遠くて聞きづらい。おまけに、アドリブに失敗するといつもゴニョって誤魔化す。しかし、全てに気の良さが滲み出ている。ほっとけないタイプ。

 

 バスが動き出した。乗客は私だけ。窓の外を見ると、高校生だろうか、自転車に二人乗りをしている。ペダルを漕ぐ男の子は黒の上下スエット、荷台の女の子は白いボアフリース。ユニむら以外に見えない二人は、とても眩しかった。

 続いて、犬を連れた中年男性。正確には、犬に連れられた中年男性。リードの長さは心の距離。ずっとあの調子だろうか。

 スーパーの前の停留所で、お婆さんが乗ってきた。ステップから整理券を取るのにも少し時間がかかる。いつもの買い物帰りだったのだろう、少し先の集落の停留所で降りていった。

 結局このあと私が降りるまでの約30分間、他に乗降客はなかった。その間も、マイペースさんのマイペースなアナウンスは続いた。もし、乗客が誰もいなくてもこのアナウンスは続くのだろうか、いや、続いてくれ。

 そんなことを考えているうちに、バスは峠を越え見慣れた田園地帯へ。朝見た雪は解けずにまだまだ残っていた。100mくらい先だろうか、たんぼ道を犬を連れた人の姿が見える。これは注目せねばなるまい。

 犬の動きが止まった。どうやらマーキング中のようだ。終わったと思っても油断してはいけない。私も黄色く染まった雪をかけられたことが何度かある。

 …むむ?この動きは、、、来るぞ…。

 来た!背中を激しく雪面に擦りつける犬。身体を捻り飼い主に乳首を見せつける犬。

 犬を飼った人なら分かるだろう、これはそう簡単には止まらないやつだ。

 私の思いが通じたのか、飼い主はじっとリードを持ったまま動かない。ただただ犬の動きを眺めている。寒風の中、心中お察し申し上げます。あの人は、きっといい飼い主だ。よかったな、犬。

 さて、そろそろ到着だ。マイペースさんのアナウンスにタイミングよく降車ボタンを押さなければならない。何せ、それができるのは私しかいないのだ。

 (ぴんぽーん)

 「次とまりまーす」

 最高のコール&レスポンス。そして言いつけ通りにバスが完全に止まるまで席を立たずに待ち、速やかに降りる。あなたの理想の乗客でいたいから。

 ICカードをタッチし、降り際に小さくありがとうを言った。

 「ありがとうございました。」

 マニュアル的には、そう返せばよいところだろう。マイペースさんからは、「どうぞお気をつけて!」が返ってきた。

 私は、ありがとうを言い直し、バスを降りた。今日は私が最後だろうか。

(発車しまーす!)

 そう聞こえた気がした。

 

 どうぞ良いお年を。