息を整え、エスカレーターへ。
ここを上ると、駅の喫煙所がある。囲いはしてあるが天井やドアはなく、衝立で仕切られただけのような構造だ。こんなところにも京都らしさを演出だろうか。
そのため、臭いと煙が容赦なく漏れ出てくる。なんなら人間も漏れ出てくる。
私はエスカレーターの途中で息を止める。そして冷たい視線を彼らに向ける。彼らは皆、いつも遠い目をしており、これまで一度も目が合ったことはない。
…苦しい、急ぎ足で通り過ぎ、角を曲がるとそこは「551の蓬莱」。臭いに惹かれていつも人が並んでいる。
毎度思うが、なんなんだこのレイアウトは。
ここさえ抜ければ、あとは改札へ向かうだけだ。マスクの中で大きく息を吐き、臭いの国に別れを告げる。
電光掲示によると発車時刻までは、まだ少し時間があるようだ。
…トイレに行きたい。ICカードをタッチし、ピッ!次はおしっこピッ。改札を抜け連絡橋を電車を待つホームとは逆方向へ。
そこで私は、向かい側から来る女性にドキリとしてしまった。トリガーは彼女の着ていたワンピースだった。思い出の中の彼女と同じく、ロングワンピースがよく似合っていた。
目の前の彼女は、20代前半くらいか。KF94風カラーマスクに大きめのセルフレーム眼鏡、髪は黒いロングストレート。ボタニカル柄のワンピースに、ストリートっぽいキャップを合わせてくるところは、いかにも今風。大きなスーツケースを引き連れて歩く姿は、K-POPアイドルのオフショットのようだった。
雰囲気からして、もしかすると本当にそうかも知れない。私は眼球に力を込めて彼女の顔を窺おうとした。ただならぬ圧を感じたのか、その瞬間彼女は顔を逸らした、、ように見えた。
んー、気になるなぁ。あれはいったい何者だったんだろう。ロケの帰りだったりして。そんなことを考えながら用を足していると、アッという間に感じた。用が済んだらトイレを出て、ホームに向かおう。
連絡橋を戻り、ホームへのエスカレーターを降りていくと、下から生ぬるい風が吹き上げてくる。こういう風になびくワンピースがいいんだよ。宮崎駿監督だってきっとそうだ。だからヒロインは南風に白い帽子を飛ばすんだろう?
ホームに降り、ベンチに腰を掛ける。一息つこうと水筒に手をやり、ふと前を見ると…、電車を待っているではないか、先ほどの彼女が。電車を待つキミの横でボクは何を気にしてる?来たのか運命、臭うぞ「GO!GO!意志の到来」。
しかしさすがにこの年になると、冷静さを保つための知識と経験が身についている。このホームには、行き先の違う電車が交互に乗り入れることを私は知っているのだ。細かく言えば、このホームを出た電車は、次の駅から一方は北へ、一方は東へと向かうのだ。
彼女はホームに立ち、私はベンチ。ということは、彼女は次の電車に乗る可能性が高い。行き先は、東だ。普段から、そちら方面に向かう人のほうが多い。
試してみるか運命の分かれ道。私は立ち上がり、少し離れた位置で待つことにした。電車が来た。彼女が乗れば賭けに敗れ、即お別れである。ある、…あれ?乗らないの!?
少し恐くなった私は、万が一のことがあっても同じ車輌にならないよう、足元の番号を確認した。
次の電車が来た。京都駅で乗客のほとんどが降りる。私は目の前だけを見るようにして電車に乗り込んだ。さて、彼女も乗っただろうか。
車内は席を選べる程度に空いていた。私は、いつものように湖の見える側に座った。普通に考えれば、彼女はこの車輌にはいないはずである。しかし、今、数列先斜め前方の席に彼女が座ろうとしている。なぜ?どこから来た?
…座った。
ここから先を整理してみる。乗客は、これより5駅以内は乗り降りが拮抗し、その先は降りる客のほうが多くなっていく。私が降りる駅は終点である。通常、この時間帯なら同じ車輌には2,3人しか残らない。つまり確立から言えば、お別れは近い。次の駅で降りる可能性も否定できない。
しかしまさかの展開は続く。彼女に、一向に降りる気配がないのである。キャップの角度からして、おそらく寝ている。ただの乗り過ごしなのか、それとも先が長いからなのか。ついに私が降りる駅まで来てしまった。
少ない降客の中に私と彼女がいる。キミはさっき京都にいたはずじゃないか。行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず、鴨長明、come on運命。
さて、確かにここは終点なのだが、この電車の場合、それは後ろ寄りの車輌のみ。前寄りの車輌は更にこの先に向かう。私(たち)が乗っていたのは、後ろ寄りだ。
つまり、この先に行きたい人が後ろ寄りの車輌に乗ると、一旦降りて前寄りの車輌へ移動しなければならない。これを知らない人が多く、困惑している人をよく目にする。
降りると、どうやら彼女も知らなかったらしく、不思議そうにスマートフォンの画面を眺めていた。
そうか、さすがにここでお別れだな。良い夢を見させてもらった、ありがとう。あとは駅員さんよろしく!
私はバスに乗り換えるために、改札を出た。乗り場には、まだ誰もいない。バスが来ても一人だった。
ICカードをタッチし、迷わず一番後ろの席に座る。いつものアナウンス、聞き覚えのある声だ。ベテランさんかな?
ここで彼女が乗ってきたら、これはもう運命を超えてミステリーだ。そんなことを考えながら、定刻までしばし待つ。
普通ならば、ここでバスが発車して物語は終わる。
…but,never ending story,窓の向こうに女ひとーりー。スマートフォンの画面を眺めながら現れたのだ。私は身を潜めるようにして彼女を観察した。
こっちに来る?来ない?来る?…うわ、来たーーーーーー!
そして、彼女はこのバスの前を、、、通り過ぎていった。
「発車しまーす。」
別れの合図だ。
それにしても、彼女はいったい何のためにこの駅で降りたのか。ずっとスマートフォンを眺めていたということは、ここは知らない土地のはずだ。友人を尋ねてきたのなら、迎えが来ているだろう。観光なら、歩いていった方向は明らかに間違えている。
もしかして、このバスの乗り場を探していた??
過ぎゆく景色の間にワンピース姿の彼女が見えた。立ち止まって、スマートフォンを眺めていたようだった。
一体、キミは何を捜しているの?
OK,Google,私を出して。