なぜ働いているのに本を読めなくなるのかの本を働いているのに買うのか

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が売れているらしい。

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私はまだ読んではいないけれど、著者の三宅香帆さんの考えは何かのテレビ番組で聞いたことがある。今の若者は“タイパ”や”コスパ”を重視するので自分の欲しい情報以外は「ノイズ」であるという。「起承転結」が本づくりの正義であるならば、結、いや結の章の見出し以外はノイズか。近頃子どもに大人気の小島よしおさんのネタで言えば「おっぱっぴー」以外はノイズ。とまではいかないだろうけれど、学術っぽいことを言っているようで、実質は若者論をちょっとキャッチーなキーワードに乗せているだけのような印象を受けた。というような私の文体はほぼノイズでできています。

さて、その昔、辞書や図鑑で調べていたことをインターネットで調べられるようになってから、こりゃ将来記憶力は必要なくなるなと思ったことを覚えている。ブラウザのブックマークが自分の脳代わりというわけで、知識を詰め込むのは無駄と思うようになった。スマホを使うようになってからは、ブックマークも使わなくなった。こちらから情報をとりに行かなくても勝手に流れてくる、どの情報に反応するかどうかだけが私のお仕事みたいなことである。その結果、おかげ様で自分でも驚くくらい保守的になってきている。好奇心の源はどこへいった?それでも保守化を自覚しているだけまだマシかも知れない。

話を元に戻すと、想定外の情報を「ノイズ」と感じる気持ちはわかる。本を読むには、情報を仮置きする力が必要になる。それらの仮置きストックが約束の場所に収まることが読書の醍醐味でもあるわけだけれど、スマホ(SNS)依存の状態ではストックが必要ない(ストックする暇も無い)ために基礎体力が養われない。だから本を読むとやたら疲れる。若者が感じているらしい「ノイズ」というのは、この「疲れ」に似ているのではないだろうか。足りないのはコスパやタイパではない、少しの体力だ。今からでも鍛えれば戻るはず。私のこの疲れの原因は老眼ではないのだ!私はまだいける!

というわけで、来年は少し本を読んでみようかな?

 

ゆく鴨の流れは絶えずしてしかも元の鴨にあらず
2025年、みなさんどうかカモられませんように。


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