おみくじ2026

2026年も半分を過ぎたそうです。信じられますか?
というわけで、毎年恒例、初詣のおみくじ報告を今更。
半年を過ぎると、いつだったとか天気などはまったく覚えていないのですが、いつもの近所の神社へ。

まず番号を見てください一番ですよ、一番!
勉強でも運動でもまともにとった記憶のない、バババイチバーン!

なので、開ける前からわかってはいましたよ、はい大吉様、こんにちは!

2026年の私は最強です。ついてきてください。

と言いたいところだったのですが、今のところ特にご報告できるようなおもしろエピソードもなく。
何度ふり返ってみても、一番良かったことも悪かったことも思いつきません。
でも、考えようによっては、何気ない日常、これが幸せというものなのかも知れないですね。…って、いや!まだ残り半分ある!

お告げどおり、心楽しく、勇気と努力で思い切っていけばばば、言行一致BURN🔥!

それでは、答え合わせは年末に。
それまでどうぞみなさんお元気で。

顔が嫌い

お正月ということで、甥っ子が遊びに来た。中学一年生男子、会う度に顔が違う。絶賛造成中である。甘酸っぱいニキビなんかも実ってたりして、ついこの間までツルツル卵肌のお子様ランチだったというのに。声もずいぶんと低く太くなって、おせちを食べながらカルピスソーダを飲んで、急に冷めた口調の敬語を使ったりする。

とは言っても、やっぱりまだまだかわいい甥っ子くん、と思っていたのだが、テレビで箱根駅伝を見ていた時のこと、画面一杯に映ったレースを終えたある選手の顔を見て、「オレ、この顔嫌い。」と一言。

これはショックだった。一人称(オレ)やルッキズムの萌芽云々のことではない。すごく人見知りで、窓を開けて「あぁ、いい風~!」と言ったり、自分がもらったお菓子をみんなにどうぞしてくれる繊細な子どもだったんだよ、キミは。でも今、キミは明らかに自己と他者を区別している。
もう大人になってしまった、というよりも子どもではなくなったんだな。同じくその選手を見て「こいつ、なんかむかつく」と思った私のように。
そして、当たり前のことだが、私がどんなに気にかけていても彼は自分の子ではないという虚しさがひしひしと。

もう自分が好かれる存在でいればいい段階から次へ進まねばならないか…。
私が「いいか、○○君、○○君が、頑張って一番になったとき、全然知らん人から、あいつの顔嫌いて言われたらどう思う?」と問うと、彼は「う゛っ。」と言葉を詰まらせた。
「オレ、この顔嫌い。」は彼が自分の家のように安心していたからこそ出た言葉だろう。
しかし、おそらく普段親や友人からは面と向かって注意されたことはない。昔から記憶力が抜群で素直な子だったから。そして私が子どもの頃よりずっとずっと成績優秀だから。

さて、これからどんな大人になるか、陰ながら見守らせてもうらうぞ?

始末2025

どうした、今年まだ2本目だぞ。
年始に1本、年末にもう1本、それも大晦日て。
これが「スマホ脳」というやつなのか、それともただの老化なのか、とにかく話しても書いてもアウトプットがうまくいかない。
元々思いつきで生きてきた感のある私だけに、思ったことが瞬時に言葉として出てこないのは人生そのもののリズムが狂わされるに等しい

もう亡くなったけれど親戚のおじさんが、もたもた話してたのを生まれつきこういう人なのだと思っていた頃の私へ、

「そのおじさんは、お前だよ?」

さあどうするか、受け入れる?抗う?
いずれ受け入れる、というか諦めてラクになれればいいのだけれど、来年は少し抗ってみたい。とりあえずSNSとスマホの時間は減らさないとなぁ。十分依存症の域に入っていると思うので、報酬系を刺激するより強い何かが必要。やっぱ、犬かなぁ。でも飼えないから、AIに犬になってもらって話しかけたりしてみようかな。んで、来年の今頃には、アメリカ・ビッグテックの犬になってようかな。

それでは来年もよろしくワン!

おみくじ2025

今年は極々ふつうの正月を迎えられたことに安堵しながら、恒例のおみくじ報告を。

一昨年から始めた2度引きを継続中。まずはお寺で引いた30円おみくじから。

30円とは思えないサービス精神で大吉様頂戴しました!有り難うブッダ!
昨年のキーワードは「諸行無常」でなにがあっても柔軟に対処せよとのお言葉でした。

meganegadoushita.hateblo.jp

今年は「七転八起」だそうで、嗚呼、大吉なのに転ぶのかよ…。とりあえず、

【願望】思いまかせなり

とのことなので、謹んで杖を所望いたそう。

さて、お次はいつもの神社のおみくじへ。
昨年のブルーから今年は青山学院箱根駅伝総合優勝を予言していたかのようなグリーン。まあ、私は下から数えた方が早い末吉ですけど!

中身は変わらず和歌はなく、項目も8つのみ。100円。神様のお告げか省庁の標語かわからないような内容。
しかし、末吉なのにこれはどうでしょう。

【勝負】何をしても上手くいくでしょう。

先に引いたお寺のおみくじ(【願望】思いまかせなり)とのコンボで、ギャンブル必至の1年になりそうです。

それでよく見て欲しいのですが、【恋愛】の「恋」の部分だけ、剥がれかけていますよね?これは、糊で接着されていた部分で綺麗に開けられなかったためです。去年のおみくじ画像で確認したら、糊の跡がうっすら残っていたのですが、お告げには掛からない位置でした。開けるまで中身は見えないわけで、つまり全くの偶然です。

引いたときには、破れかけで「恋」が「変」に見えるなぁ、“変愛”かよアハハなんて思っていたのですが、先ほどこの記事を書くために、何気なく30円おみくじに記された和歌を調べたら“駆け落ち令嬢”こと藤原高子のものだと?

つまり結果を総合すると、願望剥き出し “いって恋”で賭けに出て、七転八倒、七転八起せよってこと!?

しかしまあこれまでの人生をふり返ってみれば、私に最も足りなかったのはそういう部分かも知れません。神様って恐い。

というわけで、今年のおみくじ計130円。
充分に楽しませていただきました。
ありがとう。今年もよろしく。

 

なぜ働いているのに本を読めなくなるのかの本を働いているのに買うのか

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が売れているらしい。

www.shueisha.co.jp

私はまだ読んではいないけれど、著者の三宅香帆さんの考えは何かのテレビ番組で聞いたことがある。今の若者は“タイパ”や”コスパ”を重視するので自分の欲しい情報以外は「ノイズ」であるという。「起承転結」が本づくりの正義であるならば、結、いや結の章の見出し以外はノイズか。近頃子どもに大人気の小島よしおさんのネタで言えば「おっぱっぴー」以外はノイズ。とまではいかないだろうけれど、学術っぽいことを言っているようで、実質は若者論をちょっとキャッチーなキーワードに乗せているだけのような印象を受けた。というような私の文体はほぼノイズでできています。

さて、その昔、辞書や図鑑で調べていたことをインターネットで調べられるようになってから、こりゃ将来記憶力は必要なくなるなと思ったことを覚えている。ブラウザのブックマークが自分の脳代わりというわけで、知識を詰め込むのは無駄と思うようになった。スマホを使うようになってからは、ブックマークも使わなくなった。こちらから情報をとりに行かなくても勝手に流れてくる、どの情報に反応するかどうかだけが私のお仕事みたいなことである。その結果、おかげ様で自分でも驚くくらい保守的になってきている。好奇心の源はどこへいった?それでも保守化を自覚しているだけまだマシかも知れない。

話を元に戻すと、想定外の情報を「ノイズ」と感じる気持ちはわかる。本を読むには、情報を仮置きする力が必要になる。それらの仮置きストックが約束の場所に収まることが読書の醍醐味でもあるわけだけれど、スマホ(SNS)依存の状態ではストックが必要ない(ストックする暇も無い)ために基礎体力が養われない。だから本を読むとやたら疲れる。若者が感じているらしい「ノイズ」というのは、この「疲れ」に似ているのではないだろうか。足りないのはコスパやタイパではない、少しの体力だ。今からでも鍛えれば戻るはず。私のこの疲れの原因は老眼ではないのだ!私はまだいける!

というわけで、来年は少し本を読んでみようかな?

 

ゆく鴨の流れは絶えずしてしかも元の鴨にあらず
2025年、みなさんどうかカモられませんように。


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