細意志の岩音鳴りて【追補】

 前回、今年のフジロック開催について書いてからおよそ1ヶ月、meganegadoushita.hateblo.jp

その間に見えてきたこともあったので、書き足しておくことにする。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「こんなときにロックフェスだと?しかも国からお金もらっているだと?フジロック許すまじ!」

 前回書いた時点の世間の雰囲気は、そうなりかけていたように思う。

 しかし、そこにラスボス登場。『NAMIMONOGATARI 2021』である。ネットで拡散されたド密な会場の様子の動画により、標的はフジロックから彼らに変わり、世間の雰囲気は完全に「成敗モード」に移行した。

 当初は私も、「こいつら日本もヒップホップも殺す気か!」などと思ったのだが、イベントの歴史は意外とあり、今回は新しい試みも始めようとしていた矢先だったYOだ。

www.barks.jp

 リンク先にもあるが、2012年からは子どもたちにストリートやサーフカルチャーに親しんでもらうプロジェクトも進めており、いったいなぜあんなことになってしまったのか、フジロックと同じく悔しい思いをした人も少なくないのではないだろうか。ちなみに、今年はこのキッズイベントは中止になったようだ。


www.youtube.com

 主催者と一部の観客・出演者によって、今後のあらゆるイベントの開催に決定的な悪影響を及ぼしてしまったことは事実で、報いを受けても当然ではあるが、私には納得できないことがある。

 まず、愛知県知事の対応である。自分が刑事か検事にでもなったかのように追い詰める態度に、世間的には好意的な声のほうが多いようだが、私は県側に全く否がないとは思えなかった。自分たちに矛先が向かわないように、全力で潰しにかかったと言えば言い過ぎだろうか。もし動画が拡散されなければどうなっていたことやら。

 

 次に補助金である。フジロックと同じくNAMIMONOGATARIの補助金も、経済産業省主管の「コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金」である。補助金交付規程には、

国内外の新型コロ ナウイルス感染拡大の影響が長期化する中、日本発のコンテンツの海外展開のプロモーションの機会が失われていることを受け、(中略)日本発のコンテンツの海外展開を促進し、日本ブーム創出を通じた関連産業の海外展開の拡大及び訪日外国人等の促進につなげることを目的とする。

とあるので、要するに景気対策。経済産業省版“GoTo”のようなものである。コロナ禍でも省の予算を確保するための“こじつけ”のように見えなくもない。

 日本発のグローバルな発信が要件になっており、インターネットによる配信は必須。フジロックのライブ配信の方法が少し変わったのも、UMIMONOGATARIのステージ側からの動画がいち早く出回ったのもおそらく、このことがあったからではないだろうか。

 そして、UMIMONOGATARI騒動の後に、『SUPERSONIC 2021』(旧SUMMER SONIC)の開催を巡り、千葉市が後援を取り消す事態が起きた。これは愛知県知事が強い態度をとって支持されたことも影響したと思う。

 しかし、このときは既に感染は減少に向かいつつあり、この期に及んで取り消すなら、なぜ最初から後援をしたのかという疑問は拭えない。これは憶測ではあるが、SUPERSONICも先の補助金を申請しており、後援を取り消されれば補助金が受けられなく可能性もあり、脅迫に近い行為だと思う。その意味では、フジロック主催者と開催地の信頼関係を裏付けることにもなった。

 

 さて、ここからが私の納得がいかない本題に入る。

 そもそも、国民はもう二年もあらゆる楽しみを我慢している。「石の上にも三年」のオチでも欲しいのだろうか、ここに来て更に締め付けが強くなっている。しかもその方法は、権力側からの「要請」と世間の「空気」だ。

 もちろん、いろいろと支援制度は用意されているが、必要なところに行き届いているとは思えない。

 この責任を誰が負うべきだろうか?

 「二度あることは三度ある」「仏の顔も三度まで」というが、感染の波は既に五度である。国が未だに法的に明確な補償制度や開催基準を作らないため、その都度主催者は世間の顔色を窺いながらやらざるを得ない。やると決めれば、皆の生活のために強引にもなるだろう。

 イベントの例を出すまでも無く、私の周りでも地域の祭りや行事を巡って、賛成/反対で意見が分かれてしまっている。それだけならいいのだが、人間関係までもおかしくなりかけている。もともと、考え方が違ってもひとつになれる場であったはずが、逆に互いの違いを顕在化させるという皮肉。これはこの先、思った以上に根が深くなる気がしている。

 私は、その“落とし所”として、政治があえて嫌われ役を引き受けるしかないと思う。これまでのように、感染対策の責任を個人に押しつけ、政治は景気対策と称して果実を獲ろうとするやり方は、ド短期ならウヤムヤにもできるだろうが、年単位では歪みが明らか。しかも、その謳われる効果すら疑わしく、ひとつのミスで炎上してしまう。そんな世の中で、これ以上個人がリスクを取ろうとするだろうか。

 

…随分と話が飛躍してしまったようだが、何党でもいい、今は嫌われても、後に歴史が証明する人が現れて欲しい。かつてのロックやヒップホップがそうであったように。

細意志の岩音鳴りて

  最初に言いたいことがある。ロックは若者の音楽ではない。若者から生まれた音楽なだけだ。

 マスメディアは、フジロックを若者の代名詞のように扱うのは、やめて欲しい。あのイベントは、もういい年こいた大人たちの精一杯の憂さ晴らし、オトナになりきれない大人たちによる自己表現の場だ。

 今の若者たちの多くは、音楽に多くのお金や手間を掛け(られ)なくなっている。この時勢に、チケット代だけで何万もするイベントにそんじょそこらの若者は行けない。そもそも、ロックなどという音楽の1ジャンルにこだわらないから若者は若者なのだ。

   ---------------------------------------

 2021年、新型コロナウイルスの感染拡大による非常事態宣言が全国に拡大される中、フジロックは開催された。感染対策を十分に行い、地元の同意は得られているとのことだったが、世間の風当たりは強かった。

 ん?“地元の同意は得られており、安全対策にも対策を講じている”?“世間は反発”?ん?ん?どこかで聞いたことがある構図だぞ。

 原発や米軍基地問題などに対して、これまでの為政者たちがとってきた態度そのものではないか。

 大義名分を掲げ、既成事実を積み上げながら批判を飲み込んでいく手法は、古今東西大なり小なり統治の王道。問題になるのは、“既成事実”の積み上げ方だ。

  今回のフジロックはどうだったか。

 感染終息期ならともかく、今首都圏で起きていることを見れば「抗原キットによる事前検査」 「会場でのアルコールの提供禁止」「スタッフのワクチン接種」をいくら徹底しても必ず感染者が出てしまうことは明らかだったはずだ。「私的キャンセル者へのチケット払い戻し」も本来なら“神対応”なのだが、まるで当然のように受け取られた。

 不安のハードルが上がっているところに、感染拡大の原因を“若者”にしたい世の中の空気が重なるのだから、この時期の開催は自ら生け贄になったようなものだ。

 こうまでして開催することの意義は何だったのか。第1回(1997年)の失敗を乗り越えたフジロックがそれ以降に大切にしてきたテーマは「自然との共生」であったはずだが、今回最も伝えたかったことは何だっただろうか。

  公式発表はこうだ。

「KEEP ON FUJI ROCKIN’」

昨年フジロックの延期を発表してから、このフレーズを掲げていろいろな取り組みを行ってきました。 開催を待ち望んでくれている皆さまやアーティストなど、たくさんの方々の理解と協力を得て、今日まで支えていただいたこと、本当に感謝いたします。

今年、フジロックは苗場での開催実現に向けて、新型コロナウイルス感染防止対策を徹底し、全ての方々が安心・安全に過ごせる「コロナ禍で開催する特別なフジロック」を目指します。
場内各所で混雑が生じないよう入場人数を減らし、苗場の広大な野外空間における大自然の恩恵を活かした「自然と音楽の共生」を目指すフジロックならではの創意工夫を図り、感染リスクの回避に取り組んでまいります。

また、開催するにあたっては、コロナ禍における新たな制約や制限へのご協力を皆さまにお願いすることになりますが、互いに尊重して思いやりを持っていただくことで、安心・安全に過ごせる空間を、一緒に創り上げられると信じています。

フジロックに携わる全ての方々のさらなるご協力の元、一丸となって開催に向けて動き出してまいります。 そして、今年8月約束の地「苗場」で再び皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

野外フェスティバルの未来は明るいと信じて。NO FESTIVAL, NO LIFE.

 文中の「フジロック」を「東京オリンピック」に置き換えると、恐ろしいくらいにハマることにお気づきだろうか。

>全ての方々が安心・安全に過ごせる「コロナ禍で開催する特別なフジロック」

目指したことが、あのやり方で実現できたと言えるだろうか。

 次にこの動画を見てもらいたい。(FUJIROCK EXPRESSさんによる全文書き起こしはこちら

[http://

:title]

 これこそが本当の公式見解ではないだろうか。

 私は、「THA BLUE HERB」の多くを知っているわけではないが、帽子を抜いでカメラの向こう側に頭を下げるのだから、相当な覚悟があったはず。その瞬間、彼らは生命線である“刃”を失ってしまうかも知れないのだから。

 それでも身勝手な主張だと言う人もいるだろうが、本来、国レベルの危機を個人の努力で何とかさせようなんて、身勝手なのはいったい誰なのか。

 このステージが、一人一人がギリギリの現状を打開するために決行したレジスタンスだったとしたら、その行動を責めることができるだろうか。そもそも、黙っていて事態がよくなる保証などないし、実際悪くなる一方ではないか。

 別のステージでは、「サンボマスター」が新型コロナウイルスの影響で中止になった各地の音楽フェスティバル関係者とその幻の観客たちにエールを送る行動に出た。フジロックしか頭になかった私は、恥ずかしく思った。あれで報われた魂もあったに違いない。

 しかし、私はそれでも今回の開催には賛同できない。延期または無観客にして欲しかったし、有観客にするなら開催規模を縮小し、ワクチン2回接種を義務づけるなど主催者にしかできない決定をして欲しかった。この期に及んで、感染拡大を個人の努力に委ねることは、政府のやっていることと本質的には同じだから。

 

 開催の報を聞いてからの私の正直な気持ちは、「なんでここで賭けに出ちゃうんだよ。また世間に嫌われたら取り返しがつかないじゃないか。大好きなフジロックがもうできなくなったら、何を楽しみにすればいいんだよ。」だ。

 本当はすっごく良い奴なのに、世間から誤解される奴になんてなって欲しくない。

 開催後の評価もまだできない状態で、公式が来年の開催予告までしてしまって、この先どうなるのか心配で心配で夜も眠無八幡大菩薩である。

-------------------------------------------

 私は今回の開催に反対していながらフジロックのライブ配信を見た。オリンピックも延期派だったけれど見た。音楽もスポーツも好きだから。

 実は少し悩んだが、よくよく考えたら、反対するなら見てはいけないなんておかしな話なのだ。「対案ないなら反対するな」とか「権利と義務はセットだ」とか「原発反対なら電気使うな」とかその種の主張と同じ。これに対する私の答えは、「それではまず屏風の中の虎を出してください」で完結している。

 それでフジロックもオリンピックも見ていて思ったのだが、見えているものと感情は切り離せるものではない。自分に好きなものはどうしても見てしまう。

 しかし、確かに好きなものを見られて楽しいことは楽しかったけれど、どこか楽しみきれなかった。家事より優先して見ることもなかった。

 突き詰めれば、音楽業界もスポーツ産業も人気がなければ残れないのだから、みんなが気持ちよく見られる(参加できる)ことは最も重要なはず。 大きなイベントなので、決定プロセスを公開することはとても大事だが、今回はあまりにも本筋と関係ないところで話題になり過ぎた。

 開催しなくてはいけない事情は分かるけれど、しなくていいはずの苦労をみんながしてしまった。そこが残念だったし、この経験を次に生かして欲しい。

 

 残念と言えば、タイムラインで、MISIAが『君が代』を独唱したと知ったときは驚いた。彼女にすれば、きっとこの場へのリスペクトの証なのだろうし、多くの観客は喜んだだろう。

 しかし、私のようなセミオールドファンの受け止め方は違ったはずだ。ロックフェスティバルでの国歌と言えば、今や伝説と化しているJimi Hendrixの『The Star-Spangled Banner』である。


www.youtube.com

 MISIAが知らないはずはないのだが、この彼の演奏の意味を、そしてフジ“ロック”である意味を理解した上で歌ったのだろうか。私には、彼女の天然ぶりが爆発したとしか思えない。

  これも後から知ったことだが、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERの一員としてエセタイマーズなるバンドが登場したそうではないか。この記事を読む限りは、本当に“エセ”でしかないという印象である。「替え歌」を披露したようだが、叫んだ言葉の中に遊び心はあっただろうか。そこにタイマーズ、というか忌野清志郎のロックがあると私は思う。


www.youtube.com

 MISIAが国歌独唱で清めたのなら、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERは皆でこっちの『君が代』で泥んこ遊びをするべきだった。そんな精神こそ永遠なれではないのだろうか。


www.youtube.com

 フジロックは、数年前からフェス離れの危機感からブッキングの方針が変わったと言われている。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやRADWIMPSのようなバンドは、以前ならお客が来ることは分かっていても出演のオファーはなかっただろう。MISIAもそうだ。そのさじ加減が、フジロックがアーティストから一目置かれる存在になった理由でもあったと思う。

 それが感じられなくなってしまったことが悪いと言うつもりはない。フジロックを続けるために必要な変化だったに違いない。しかし、名実ともにロックは死にかけていることは指摘しておきたい。

 

 今年のフジロックに関して、あとひとつ言わせて欲しい。今回のライブ配信はソフトバンクがスポンサーから離れた影響なのか、法的な制限があったのか、実情は分からないが、視聴者がお金を払えるシステムになっていなかった。

 批判と厳しさの中、無料で見せてもらえるだけでありがとうなのだが、ライブにお金を払うことができれば、もっと参加している気持ちになって楽しめたと思う。そういう人が全国にいることがフジロックの強みであるとも思うから。

 「KEEP ON FUJI ROCKIN’」 

 

  ---------------------------------------

(追記)

 これを書き終わってから、今回のフジロックへの批判が、政府補助金や後援の是非に発展していることに気付いた。『あいちトリエンナーレ』で問題となった「表現の不自由展・その後」の構図と同じだ。

 こんなク●ニュースを読みながら、ロックがロックであり続けるにはどうしたよいのか、表現の自由を守るのは誰なのか、みんなもうそろそろ真剣に考えて欲しい。

www.asahi.com

news.tbs.co.jp

 

【完】私のハートは菩薩モーション

(これまでの一覧はこちら)

meganegadoushita.hateblo.jp

 「コンチキチン、コンチキチン…」

 祇園囃子の鐘の音 我が青春の響きあり

 宵山だったか、宵々山だったか、私は菩薩様と待ち合わせをしていた。三条大橋東詰、高山彦九郎像前。

 こんなことは高校3年の冬、地元の駅で告白未遂に終わったあの時以来である。聞いてくれ、今回は夏の京都だぞ?

 お囃子ではbeatが足りない。私は完全に高ぶっていた。

 この幸運を与えてくれたのは、高校からの共通の友人ANさんだった。当時、私は大阪、菩薩様は京都、ANさんは東京でそれぞれ1人暮らし。離れてはいたが、ANさんは、菩薩様とよく連絡を取り合っており、私にも時々連絡をくれていた。

 ある日、ANさんから電話があり、菩薩様に元気がないみたいなので、私に様子を見にいって欲しいという流れになった。地方から都会に出た者によくあることだが、菩薩様も新生活に馴染めないでいるらしい。 そうなのだ、菩薩とは仏に導くと同時にまだ仏に達していない存在、つまり人間でもあるのだった。私にはいつも落ち着いている彼女の一面しか見えていなかった。

 思いがけないオファーにより、私は堂々と菩薩様に連絡をとれるようになり、本日晴れてここにコンチキチンの機会を得たのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 高山彦九郎像前には私の方が早く着いた。一応、最近買った服を着て頑張ってみたつもりである。遅れてきた菩薩様は、、彼女は、、、白い、、白い浴衣姿だった。先に言っておくが、私はこの時点で勘違いをし始めている。

 二十歳の夏、京都、祇園祭、初めて見る彼女の浴衣姿、、舞台は整った。かつて一目惚れをした時とは違い、もしかして今なら手が届くのではないか、そう思わせるのに十分だった。

 久しぶりに見た彼女は、顔がやや丸くなり、眉を整えていたからか、別人のようだった。一生懸命に都会の人になろうとしているようにも見え、戸惑ったのを覚えている。高校時代は、自分から容姿のことを言うような人ではなかったはずだが、この日は「私、太ったでしょ?」などと自虐気味な発言が続いた。大学で勉強についていけないようなことも言っていた。

 卒業アルバムの中に見つけた無防備な笑顔は、もう見られないのだろうか…。これはとにかく褒めなければ!!

 「浴衣、すごい似合ってる。」

 「ありがとう。そんなこと言ってくれるの、〇〇君だけ。」 

 彼女を喜ばせようと思って掛けた言葉であったが、嬉々としたのは私だった。

 (だけ!?だけってことは、彼氏はいない、近寄ってくる男もいないってことやん!)

 正直に言うが、私は卒業後も彼女への想いを忘れていたわけではなかったが、この待ち合わせの時点では、付き合える自信はなかった。

 しかしどうだろう、今目の前にいる彼女は、私が勝手に作り上げた菩薩様ではない、等身大の悩める一人の女子大生だ。

 ここからの私はこれまでになく強気になっていた。おそらく、プライベートに探りを入れたり、彼女を笑わせようと必死になっていたことだろう。雰囲気は悪くなかったはずである。…今だ、今しかない!南無八幡大菩薩!!

 私は、彼女に告白をした。

 この場では「少し考えさせて欲しい」くらいのことは言われても、結果には自信があった。エビデンスはさっき見つけた。

 彼女の答えは早かった。

「私、〇〇君のことは友だちとしか思えへんの。」

「トモダチ?」

 私はエビデンスを求めて質問を重ねた。

「え?彼氏おるの?」

「おらんよ。」

「じゃあ、好きな人は?」

「うーん…、おるといえばおるけど…。」

  彼女は答えを渋ったが、私はエビデンスを求め続けた。とにかく自分に諦めがつく言葉が欲しかった。そして、遂に意外な人物の名前を聞くことになる。

「TKさん。」

「TKさんて、あのTKさん?」

  あなたは覚えているかしら。TKさんとは、私が高校1年の時に告白してフラれた子が好きだった“クール”で顔が小室哲哉のTK先輩のことである。またしても彼が私の前に立ちはだかったのだった。

 コンチキショー コンチキショー 諸行無常の響きあり

 盛者総取り、滅びたの俺だけやないか!

 そう言えば、彼女とTKさんは出身中学が同じだ。彼女は何年間、彼に思いを寄せていたのだろうか。私が知らなかっただけで、過去に付き合ったりしていたのだろうか。

 さすがにそこまでのエビデンスは求めなかった。もう十分だった。

 それからどうやり過ごしたのかは全く覚えていない。

 しかし後から一つ、思い出したことがある。あの日の「ミス・ミスターコンテスト」のことだ。菩薩様はきっと、ミスターの欄にTKの名を書いたのだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

  祇園で滅びた後、ANさんから手紙が届いた。

 >菩薩ちゃんのことは、残念だったね。

 なんや、筒抜けやないか…。だから“トモダチ”なんて信用できないと思ったりもしたが、本物の仲同士なら話して当然かも知れない。

 菩薩様とはそれ以来会うことはなかったが、ANさんとはしばらく交流が続いた。私が東京に行った時には、二人で遊んだりもした。

 就職の話になったときのこと、彼女は空港のグランドスタッフになりたいと言った。今でこそ、グランドスタッフは人気職らしいが、当時は女性が目指す空の仕事と言えば「スチュワーデス(キャビンアテンダント)」が一般的だった。

「ふーん。そういう仕事があるのか。なんでスチュワーデスじゃないん?」

「わたし、背が低いでしょ?だから無理なん。でも空にかかわる仕事がしたくて…。」

 私はハッとした。私の中ではいつもどこかぼんやり屋さんのANさんに、こんな芯の強さがあったとは。高校時代、訛りが少なかったのも英語の成績が良かったのも将来を見据えてのことだったようだ。

  その後、何があったというわけでもないが、お互い就職活動や引越しなどでいつの間にか疎遠になってしまった。社会人になってから高校の同窓会があり、ANさんも来ていたらしいが、集まりが苦手な私はいつも欠席だった。

 結局、ANさんがグランドスタッフになれたかどうかはわからない。なっていたとしても、新型コロナウイルス蔓延以降、相当な苦労をしているだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 振り返れば、高校時代のANさんは、クールをこじらせて周囲にただの暗い奴と思われていた私にも抵抗なく接してくれる数少ない人だった。菩薩様と話せるようになったのも、「その子」のことを教えてくれたのも、卒業後につながりが保てていたのも、みんな彼女のおかげのようなものだ。もしかしたら、あのオファーも…。

 ANさんは、なんというか、誰かを応援できる人だった。地上から飛行機を見送り、乗客を迎えるグランドスタッフに向いているはずだ。

 私はなぜ、あのとき「You can fly!!」くらいのことを言ってあげられなかったのだろう。

 彼女こそが菩薩様だったのに。


www.youtube.com

 

【その子編】私のハートは菩薩モーション

(前回まではこちら)

meganegadoushita.hateblo.jp

  その日は、待ち合わせ場所で包みをもらい、少し話をして終わった。中身は、手紙とチョコレートだった。

 あとから聞いたことだが、その子は私と付き合うことになるとは思っていなかったらしい。気持ちを伝えるだけでいい、これを渡すだけで良い、その後のことは考えていなかったそうだ。そこが男女の差と言ってもよいのかはわからないが、私にはいつ何時も「COKUHAKU=付き合いたい」のサインだった。

 私は“求め”に応じた。

 付き合うことになってからも、心の中にはいつもそんな逃げがあったように思う。結局、その子とは1年足らずで別れ、、というよりも「先輩/後輩」の関係に戻った。「先輩/後輩」の壁を越えられなかったと言った方が正しいかも知れない。

 その後も近況報告をする程度の関係は続いていたが、その間隔はだんだんと長くなっていた。そんなある日、その子から久しぶりに手紙が届いた。その子も大学生になり、引っ越し先の住所が書かれていた。私の住む街からは、電車で1時間余りのところだ。

 私は連絡を取り、引っ越しの手伝いに行くことにした。約束の日、地図を片手に現地に行くと、手伝うはずが、既に引越しは終わっていた。その子は誰もいない部屋に、私を招き入れた。1人暮らしの女子大生にしては、さっぱりとした部屋だった。ラグが敷かれたフローリング、丸いテーブルの上には綺麗に盛り付けられたお菓子。子どもの頃、お金持ちの友だちの家に遊びに行ったときに、その家のお母さんがしてくれるような、あの感じだった。

 おそらくここでこれからすべきことは、出されたお菓子を食べることではない。そんな気はしていたのだが、私はひたすら、ポッキーを前歯でカリカリし、ポテチの油で指を汚しながら、会話が途切れる瞬間を恐れた。2、3時間くらいいただろうか、私はありもしないバイトを理由に逃げるように部屋を後にした。

 結果的に、その子と会ったのはそれが最後になった。

 その子はとても可愛い子だった。頭も良く、優しい子だった。振る舞いからは、恵まれた家庭で育った感じが自然に出ていた。そんなその子に私が劣等感を抱いていたのは間違いない。「先輩」という肩書きがなければ、うまくコミュニケーションできなかったのだった。

 しばらくして、また手紙が届いた。その手紙には、先日のお礼と大学で好きな人が出来たと書いてあった。そして、その人は“先輩”によく似ている、、と。私は、寂しくもあったが、妙にホッとしたのを覚えている。

 それから数ヶ月後だっただろうか、突然私のパソコンに見慣れないアドレスからメールが届いた。その子からだった。今、イギリスに留学していて、このメールは滞在先から借りて送ったものであるとのこと。

(当時の日本は、PCは普及し始めていたものの、インターネット人口はまだ少なく、その子はアドレスも持っていなかった。)

 添付されていた画像ファイルを開くと、それは台の上に乗り、長い棒を咥え、真っ赤に焼けたガラスに真剣に息を吹き込んでいるその子の姿だった。あのその子が単身留学?そしてなぜ、なぜ、この写真を選んだ?膨んだのは俺の方だぞ!

 もっと見たい!聞きたい!会いたい!その子のことをこんなにも熱く感じたのは初めてだった。私の中のその子が別人になった瞬間だった。

 メールには、また送りますなようなことが書かれていたような気もするが、その子からの次はなかった。

 歴史や恋愛に「たられば」はないけれど、偶然知り合ったような仲だったら、追うのは私の方だっただろう。

 そしてもう一つ、菩薩様と先に出会あっていなければ。

(最終回へ続く)

【続続々】私のハートは菩薩モーション

 今はどうか分からないが、高校3年の夏にはほとんどの生徒が部活動を引退、秋頃からは受験最優先モードとなる。出席日数に問題のある生徒以外は、積極的に登校しなくてもよくなり、この頃から、早々に指定校推薦を決める人、就職する人、粘る人、志望校に受かった人、諦めた人、、、人との間に見えない壁があちこちに生まれていたように思う。

 菩薩様は秋に、私は冬にはそれぞれ進学先が決まっていた。しかし、恋の進路は工事が止まったまま、その先に道は延びていなかった。そこで焦って行動に出た結果は、初回に書いたとおり。 

meganegadoushita.hateblo.jp

 菩薩様には、クラス違いの仲良し同級生「ANさん(仮名)」がいた。そのANさんこそ、“奇跡的に恵まれた共通の友人”で、私とはずっと同じクラス。ただし、高校三年間、私の菩薩様への気持ちは知らなかったはず。もちろん、あの日の行動も。(私がそう思っているだけかも知れないけれど…。)

 “あの日”からしばらく経ったある日のこと、ANさんが、私に「○君って、モテるんだぁ~?」と冗談交じりに話しかけてきた。

私>「な、なにが??」

A>「私の知ってる子で○君のこと好きって子がいて、私はさー、告白してみたら?っていうんだけど、遠くから見てるだけでいいって言うんだよ。かわいくない?」

私>「(あばばばばば!!)」

A>「○君さえよければさー、その子に言ってみるけど、どう?」

私>「え?誰なのその子?俺の知ってる子?」

A>「知ってるよ。」

私>「(あばばばばば!!)え!誰なん?」

A>「教えへーん。」

 みたいな青春のやりとりが何度か続いたあと、ついにその子が誰なのかが明らかになった。

 そう、その子は、なんと私の菩薩様だったのだ!!!

 …みたいな展開を期待してくれている読者の方はいらっしゃいませんか?実際のその子は、部活の後輩だった。2つ下の。

 正直言って、私はその子の気持ちに全く気付いていなかった。運動が得意そうではないのに、いつも頑張っているなぁくらいの印象はあったが、話をした記憶などはあまりなかった。

 それと、これも正直に申し上げるが、私には菩薩様以外に、中学の時から憧れというか、気になっていたというか、、好きだったSTという子が同じ部活にいたので、後輩、、しかも1年女子と仲良くすることなど考えられなかったのである。ちなみにこのSTさんには、高1のときに告白してフラれている。

 ついでに申し上げると、その告白に至った経緯というのが、同部員の友人2人に「あいつ、好きな奴おらんし、お前ならいけるって!」などとそそのかされたからであって、見事にフラれた際のやりとりは以下のような感じだった。

S>「ごめん。わたし、クールな人が好きなん。」

私>「クール…?クールって何?そういう人、誰かおるの?」

S>「うん、おるよ。TKさん。」

私>「え?TKさんって、あのTKさん?」

 TKさんは、同じ部の1つ上の先輩で、部活は常にサボりがち、制服の第1ボタンはいつも外していて、少し色を抜いたさらりとした髪、言葉数は少ないけれど笑いを誘う天然さを持ち、足はそんなに速くなくて、顔は小室哲哉だった。

(あー、TKさんかー、、、なら仕方ない、、か。)

 実際、TKさんは他の部員にも好かれていたし、私も優しくしてもらっていたから。

 あの頃の1つ上は、すごく大人に見えて、どうして勝てないのかと悔しかったのを覚えている。 もう一つ辛かったのは、その後STさんが、クールとはほど遠い男、しかも同学年の同部員と付き合うことになったことだ。二人は練習中もよくイチャイチャしていた。おかげで高校時代の私は、“クール”という言葉の呪縛から逃れられなくなり、話をしたこともない女子からは、ただの無口で暗い奴と思われるようになっていった。

 そんなこんながあり、高校生活最終盤に初めて“その子”を意識しだした私。この時点では、その子から告白されてもいないのに、菩薩様のことは諦めて、付き合うか?もし、付き合っても春になれば離ればなれ、いきなり遠距離恋愛だぞ。いや、まったく会えない距離ではないし、何とかいけるのでは?付き合ってから始まる恋もあるかも知れない、、、

 妄想上の私は、完全に主導権を握っていた。そしてバレンタインデーが迫ったある日、ANさんが私にその子からの手紙を届けてくれたのだった。細かい内容は忘れたが、「会えませんか?」的なことだったと思う。

 「…チョコだ。」

 あなたもそう思うでしょう?

 手作りチョコレート、告白を添えて。

 (続く)