チェルノブイリはロシアじゃねぇ

 ロシア軍がチェルノブイリ原子力発電所を攻撃したとのニュースが流れたとき、真っ先に思ったことが、

 「え?チェルノブイリってウクライナにあるの!?」

 である。チェルノブイリ原子力発電所の事故をタイムリーで知っている世代でありながら、まったくお恥ずかしい私である。

 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が起きるまで、“チェルノブイリ”は、反核(反放射能・反原子力)のシンボルのような存在であった。そしてそれは「フクシマ」へと移っていく。

 私は、その片仮名フクシマに大きな違和感を持っていた。原爆の被害を訴えるとき、人は広島をヒロシマと書く。原発の危険性を訴えるとき、福島をフクシマと書く。

 爆弾が落ちたら、放射能が飛び散ったら、人は自分の住んでいるまちをカタカナで書くだろうか。一度自分に問うて欲しい。

 私も原子力は危険だと思う。特に古い原発を稼働させるのには反対だ。しかし、だからと言って、ヒロシマやフクシマを前面に出して反対するのは、勝手が過ぎるのではないだろうか。

 福島第一原子力発電所事故のあと、たくさんのミュージシャンが「NO NUKES」を掲げて原子力発電の問題性を訴えた。私も当初は賛同していたが、徐々に気持ちが冷めていった。七尾旅人 さんのように、地元のことを知ればこそ、“敢えて”距離を置くミュージシャンも出てきた。

 これを逃げと責める人もいるだろう。でも、周りを見て欲しい。それで仲間は増えたかい?世界は良くなったかい?

 原発のある町を訪れては、発電所員の出勤を妨害したり、テントを張って公園を何日も占拠したり、、、そして嵐のように過ぎ去るだけの人たちを実際に見てきた私としては、この人たちがつくろうとする未来に希望は持てなかった。こんなことを続けても、当事者たちが共に立ち上がることはないだろうから。

 

 …と、これくらい私は意識の高い人間に仕上がっていたはずだった。

 しかしそれがどうだ、チェリノブイリがどこにあるかすら知らないではないか。

 

 カーステレオに繋ぎっぱなしのiPod nano。2014年から止まっているリスト。最後に行ったフジロックの年だ。

 THE BLUE HEARTSの曲がいくつか入っている。私の好きな『青空』『ラブレター』の他に、『チェルノブイリ』も入れたんだった。


www.youtube.com

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 多分、曲が好きと言うよりも、反体制的なオレしゅごい!な気持ちからだっただろう。チェルノブイリをフクシマに変えて歌えるのか?なんて発想もこの頃はなかっただろう。

 今はまた違って聞こえる。

 戦争も事故もまっぴら、好きな子といたくて何が悪い。

 そうだ、それでいいんだった。