喧嘩は止めて私の芋煮

 新聞でこの記事↓を読んだからかも知れないけれど、新型コロナウイルス諸々のことを“敵”や“戦い”以外に表現できないものかと考えるようになりました。

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 こういう記事↓を読んでも「進化とは?」への答えが変わったように思います。

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 今世界中に蔓延している新型コロナウイルス(COVID-19)も、「SARS」や「MERS」のように、いつか必ず“収束”します。そして、世間的には収束を以て人間の“勝利”となります。

 勝利の条件としては、第一には「ワクチンの開発」、第二に「既存薬の活用」、第三に「感染機会の減・滅方法の確立」が挙げられます。おそらく、それらの実績が伴わない場合は、引き分け~敗北に近い勝利という感じではないでしょうか。叩き、叩かれ、ボロボロになっても最後にリングに立ってさえいればチャンピオンだじょー伝説。

 

 しかし例えば、リングの上と社会、明日をどう生きるのかを考えてみたとき、“勝利”の意味も変わりはしませんか?

 

 自分らしくとか後悔のないようにとか、富や名声のためとかいろいろ考えれば、普通はリングの上の相手に勝つことが第一目標になるでしょう。しかし、「生きる」ただそれだけに徹すれば、ルール上の勝ち負けに意味はなくなります。

 勝利と引き換えに命という代償を払うことの意味をウイルスから学ぶことはできないでしょうか。

 

 実は私、「SARSもMERSも未だに抗ウイルス薬やワクチンはない」ことを最近になって知りました。人類が“勝利”したと思っていたのに…。 

 一説によれば、両ウイルスともに強烈であったがために、宿主である人間を殺し過ぎてしまい、自らが生きる場所を失ってしまったとのこと。なんだその孤独な能力者の末路みたいな話は。 

 そして、今回の新型コロナウイルス(COVID-19)は、どうやら致死力は低いが掴み所が無いトリックスターのような存在。同じコロナウイルスという枠組みで捉えるなら、状況に適応した最新形態と言えそうです。そう、“最終”ではなく。

 

 もしも「弱毒化」によって、新型コロナウイルス(COVID-19)が収束に向かっていくとするならば、それは、宿主と共に生きるウイルスが残った、いわゆるダーウィン的な“進化”が起きた結果であって、人間の“勝利”であるとはとても言えない、いや、そもそも、元から両者に勝ち負けなど存在しないのではないか。

 あえて言うならば、そう考えられるようになったことが、私の中の“勝利”なのだ。(はい、これであなたのハートをノックアウト!)


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 「俺とウイルスを一緒にすんじゃねぇよ。」