生きる免許は更新された

 運転免許の更新かー。

 冷蔵庫に貼ってある更新ハガキによれば、期限は来月だ。まだ余裕だ。余裕だ余裕だと思っていたら、あっという間に目の前に。

 …そんなことを繰り返してきた。

 私は子どもの頃から期限ギリギリ。大人になってもそのまま。その意味ではまったく更新されていない。何も新たになっていない。それどころか最近は、“うっかり”も増えて来て、期限を守れなくなることも。冗談抜きで、不安になることがある。

 笑って許される年齢でもないので、今回は先週からこの日に行くと決めていた。7月8日、更新は金曜日だ。ハガキによれば、午前と午後どちらでもよい。私は、午前の部に行く予定をしていたのだが、案の定起きるのが遅れた。先生、あと30分あれば行けたんです!

 こうなったら来週でもいいのだが、ここで譲ればまた同じ事の繰り返しだ。ブランニューな自分を手に入れるために、自分との約束を守るために、何としても午後の部に行くと決めた。

 ところが、だ。

 早めに昼ご飯を済ませ、出かけるまでテレビでもと思い、リモコンの電源を押すと「安倍元首相撃たれる」の報が流れてきた。この時点では、動揺を感じながらも「あの人のことだ、そう簡単に死にはしないだろう。」そう思った。

 NHKは、明らかに混乱しているようだった。いや高揚か。

 とにかく情報が欲しい、その現れだろう、近くにいた人へのインタビューをモザイクも掛けずに当たり前のように流していた。単独犯とも限らないだろうに。よくもまあ、市民を危険に晒すことを平気でするものだ。津波や大雨には、命を守る行動を呼びかけていながら。

 

 こんな日は免許の更新に行かないほうがいいかな。なんとなく嫌な予感するし…。迫る不安から逃げるように、テレビを消し、車に乗り込んだ。行くぞ!

 道路は空いていた。バックミラーには、白いトラックに煽られ気味の後続車が映っている。あれがいなくなったら、次は私だろうな。予想通り、センターラインが橙から白に変わると、白いトラックは猛スピードで追い抜いていった。神戸ナンバーか…。その調子でどこまでいけるかな。

 会場に着くと、駐車場には車が1台しか停まっていない。もしかして、今日めっちゃ空いてる?更新ハガキを確認すると、私が受付開始の時間を間違えていただけだった。慣れないことをすると大体いつもこんなことだ。

 とりあえず建物に入り、時間を潰すことに。待合室のテレビは、銃撃事件の続報を流している。私はそこで安倍元首相が「心肺停止」なことを知る。それが何を意味するか、メディアは言葉にはしないだろう。事実を受け入れる準備ができるまでは。

 これまで私は、安倍政権のすることを何度も批判した。はっきり言って人間的にも嫌いだ。憎しみが無かったと言えば嘘になる。しかし、死ねと言葉に出したことはない。(アホ・バカ・やめろの類は言いました、ごめんなさい。)

 うまく表現できないが、死を望むようなことを口にしなかったことが、ニュース映像を直視できない自分を救ってくれているように感じた。

 

 受付が始まった。会場には早く来たはずが、あとから来た人が我先にと並び始める。納得はいかないが、これも毎度のことだ。まあまあの位置に付けたのでヨシとしよう。

 窓口の係員に更新費用3,000円を払うと、次に隣の交通安全協会の窓口に行くよう促される。ここでは、毎度会費500円×年数分をお願いされる。私は5年分なので2,500円だ。入会は任意である上に、協会への天下りが問題視されてから、全国的に窓口で拒否する人が増えた。前回の更新では、押し問答になる人もいたが、今回はみんなさらっと拒否するか、無言で支払っていた。係の人も追加のお願いはしないようだった。

 支払うことに釈然としない気持ちはあるが、実際に地域の子どもや高齢者に協会主催の交通安全講習会を開いているのは知っているし、今回も払うことにした。お決まりのノベルティグッズ(免許証ケースとキーホルダー)と引き換えに。

 ちなみに、さきほどメルカリを覗いてみたら、もらったグッズを売りに出している輩がいるではないか!グッズのデザインが各都道府県で違うようで、コレクターがいるのかも知れない。

 

 さて次は視力検査と写真撮影、、やっと悪夢のような5年前の自分から解放されるときがやってくる。今度こそいいの頼むよ!

 撮影を終えると講習を受ける教室へと案内される。しかし、開始まではまだ1時間以上ある。中に入ると、誰もいない教室に垂れ流しのテレビ。チャンネルはNHK。相変わらず銃撃事件の続報。

 とりあえず画面を見ないようにしながら座って待っていると、急にアナウンサーの声の調子が変わった「今、襲撃の瞬間の映像が届きました!」とのこと。

 映像を見なくても生々しさが伝わってくる。映画ならR指定だろう。これを流す必要はあるのだろうか。私はないと思う。まるで電車で人身事故が起きたときのSNSを見るようだった。人の不幸よりも、投稿やイイネを優先する人が世の中には確実にいるのだ。

 違う見方をすれば、そういう人がいる以上、今のマスメディアはこれまでの倫理観を捨てなければ埋没してしまうのだろう。もはや、NHKでさえインターネットの後追いメディアと言っていい。実質的に、自前主義を放棄した「スクープBOX」なども、その現れだ。

 かつては、各ワイドショーが報道番組では流せないような大衆紙の記事を扱うコーナーを持っていた。それが今は、マスメディア全体が素人の投稿を加工して自分の手柄のように流している。視聴者としては面白ければいいのだろうが、おそらく現場の取材力は低下する一方だろう。

 などと、誰もいない教室で衝撃のLIVE放送を前に考えられるはずもなく、嫌な胸騒ぎが止まらない私はとにかく教室の外で待つことにした。

 

 開始15分ほど前になると、係の人に中へ入るように促された。席は7割埋まっている。テレビは相変わらず流れていたが、ほとんどの人は下を向いていた。講習が始まるのをこれほど待ち遠しく感じたのは初めてかも知れない。

 DVDの視聴、法令改正の説明などを終えると、いよいよ更新された免許証の交付だ。番号が呼ばれ、真新しい免許証を手にすると真っ先に顔写真を確認した。

 悪夢からは覚めたが、その表情は明らかに年をとっていた。更“新”なのに古びるとはこれ如何に。

 

 死んだ人の顔が更新されることはない。記憶の中の安倍晋三氏の顔は、これからずっと同じだろう。

 しかし、もう自分の意志を表明したり、実現したりすることはできない。魂と同じく、意志は身体を離れてしまった。そして、私を含め、みんなが好き勝手に語り始めている。「レジェンド」「記憶の中に生きている」と言えば聞こえは良いが、これからは造られた「安倍晋三」が他人の意志で動いていくことになるのだろう。

 私はどうだ。とりあえずまだ意志を持って生きている。

 顔写真は古くなろうとも。