旅のしおり(京都編)

 旅と言うわけでもないが、2ヶ月ぶりに京都へ。

 朝はそれほどでもなかったのだが、昼下がりにもなると大きなスーツケースを持った人が随分と目に付く。駅の構内を何やら相談しながら歩く卒業旅行らしき若者や外国人観光客を避けながら歩く。彼らの視界には、野暮用で来た私のことなどまるで入っていないようだ。

 新型コロナ第8波収束の兆しも見えてきて、次に来るときはもっと人が増えているのだろう。Have a good day、私はもう帰るよ。

 ん?

 改札を抜けた片隅にこんなものが。

 交差する駅と液。これは、“まちのほっとステーション”ということでよろしいでしょうか?

 ただの駄洒落なら、写真など撮らずに通過するだけだったのだが、よく見ると謎めいている。

 「鎧駅」と「光駅」がJR西日本管内にあるのはわかった。勉強にもなった。

 「消毒駅」には不覚にも笑ってしまったのでこれもヨシとしよう。

 問題はここからだ。下りが「よろい」で上りが「ひかり」?

 つまり、よろい駅でマスクをして、ココ(消毒駅)で手指を消毒した乗客は、ひかり輝く明るい未来が待っているという路線図というか、ストーリーが込められているということのように思うのだが、いくらなんでも「鎧=マスク」「光=明るい未来」は強引ではないか?そもそも「消毒駅」だけで充分ではないのか?

 いや、ちょっと待て。

ヒント:よろい駅は特急はまかぜが通過するよ

“通過”だと?それではノーマスクではないか!などと考えてしまい、停車せずにはいられない。

 傍に“切符”が忘れてあるところを見ると、私の他にもここで臨時停車した乗客がいるようだ。わからないでもない、改札を通った後に気付いてしまったのだろう、この“エキ”の存在に。こんなところに切符を忘れてしまった者に明るい未来が待っているとは思えないが、目的地でどうか優しい駅員さんに当たりますように。

 写真を撮り、ささやかな祈りを捧げながら、私は駅を発車した。

 …あれから、一週間が経つ。

 この投稿の前に画像を拡大してみると、あの忘れ物は切符ではなく、どうやら“領収証”らしい。京都駅でわざわざ240円の領収書をもらう人、、、、そんな細かい几帳面な人が、どうしてあそこに置き忘れてしまったのだろう。

 もしかして、わざと?そして私をどこかから見ていた?誰かが事件に巻き込もうとしていた?

 西村京太郎ミステリー。物語は再び動き出した。