スニーカーブルース

 先日、用事があり京都の街へ。昨年ならばまだ寒さに震えていた頃だけれど、この日はまるで春はあけぼの やうやう欲しくなりゆくスニーカー。

 …な日和とは全く異なる用事を済ませ、京都駅に向かうバスの中。

 この路線は、人の乗り降りの少ない“穴場”路線なはずなのだけれど、進行方向に見える次の停留所(大学前)にはなぜか長蛇の列。しかも、みんなすこぶる若い。受験か?

 「なんて日だ…。」

 私は、人混みが苦手。元気がないときはなおさらである。

 バスのドアが開き、次々に人が入ってきた。受験生らしき子に混じって、保護者のような人たちも数人乗ってきて、乗車率は120~130 %といったところか。

 私の後ろの席には、女の子二人組が座った。

 

 車内は、予想に反して静かだった。

 大きな通りに入り、大型書店の前を通ったとき、後ろの女の子たちが言った。

 「ああわたし、本屋さん行きたーい。」「あ、わたしも!」

 会話の内容と発音から、どうやら遠くから泊りがけで大学受験に来ているようだった。がんばれ受験生。

 それにしても、京都まで来て、“本屋”に行きたいとは…。

 さすが、日本屈指の難関国立大を受験する子は言うことが違うと思ったりもしたけれど、そう言えば私も若い頃は、街へ出ると必ず本屋やCDショップに寄っていた。私にとって、そこは安心と煌めきが同時に感じられる場所だったような気がする。

 もしかしたら、この二人も私のような田舎育ちなのかも知れない。

 バスは進み、右手に東本願寺が見えると、彼女たちは、日本史(世界史?)の問題を思い出したのか、色々と情報を教えあっていた。残念ながら、私はまったくついていけなかった。

 すまない、私が東本願寺について知っているのは、西本願寺ではないことくらいだ。

 

 バスは終点・京都駅に着き、乗客は皆、足早に降りていった。私は一番最後に降りた。

 二人の姿はもうなかった。

 あの子たちは、無事に合格し、大学に入り、いい出会いをして、まっすぐに生きていけるだろうか。数年後、十数年後、数十年後、再びあのバスに乗り、今日二人で交わした会話を思い出すことはあるだろうか。そして、その時間がものすごく尊いものであったことに気づくことはあるだろうか。

 最近、『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』を聴いて、不覚にも涙が出てしまった私は、バスの中のことを思い出しながら、家に帰ったらしみったれた日記でも書いてみようと思ったのだった。


ゴロワーズを吸ったことがあるかい

 私は、大の嫌煙家だ。でも、確かに“シネマ”のような煙草には、憧れのようなものを感じることがある。もちろん、実際に吸うことはないし、Jean Gabinになる気もないのだけれど。

 思うに、吸えば害にしかならない煙草でさえも、好きで少し詳しく知っていれば、映画の中にでもどこへでも飛んでいける。気付けば自分が吸い殻になっていたとしても、それはそれでシネマのワンシーンにならないだろうか。

 私は、ムッシュからのそんなメッセージを聞いたような気がしていた。

 バス乗降場からエスカレーターを上がったフロアの隅にあるガラス張りの喫煙コーナーには、お互い肩が触れ合うくらいの距離で無表情に煙を吐き出している人たちがいた。

 いつもならば、中指立てて唾を吐きかけてやりたいとしか思わない人たちだけれど、この日だけは「ゴロワーズという煙草を吸ったことがあるかい?」と聞いてやろうかなどと、少しふざけていられた。

 

 さて、今頃あの二人はどうしているだろうか。

 できれば素敵な本と出会えていて欲しい。

 ゴロワーズなんて知らなくていいから。

 

 ところで君たち、かまやつひろしを聴いたことがあるかい?