気まぐれバージンロード

 毎週土曜日のお楽しみ、ゴンチチ(と仲間たち)がお送りするNHK-FM『世界の快適音楽セレクション』が、今回で1000回目の放送を迎えたそうです。おめでとうございます。これからも、愉快な時間を僕にください。

 今回、番組中で紹介されていたこの曲(バージョンは違うかも知れません)、


Masabumi Kikuchi-Circle/Line

 私は、「アフロビートが入った、今っぽい踊れる感じだな」という印象だったのですけれど、これが40年ほど前の曲というのを解説で知って驚きました。

 あとで調べましたら、正確には、ジャズミュージシャン菊地雅章 が1981年に発表したアルバム『SUSTO』に収録されている曲で、なんというかジャズ~クラブミュージックをこよなく愛するその筋の方からは、「お前、この程度も知らんのか!もっかいTMネットワークから出直してこいや!!」と怒鳴られるくらいの名盤(名曲)だそうです。すみませんでした。

 それはそうと、解説の方(渡辺亨さんと思います)の「今この曲を若い人が聴いたらどう思うか?」「自分は、若い頃にこの曲に出会ってその後の音楽観に影響を受けた」みたいな話は、私もいつも思っていて、この“若い人”には、今流行している音楽しか聴いていない若者たちというニュアンスが含まれていて、「一回これ聴いてみて!ほら、まじスゲーでしょ!」な期待と、「いや、やっぱり自分の頃とは違うのかも…。」な不安が混じっている状態です。

 そんながんばれ負けるな中高年の域である私が、今回の放送を聴いてから少し違う境地に至りましたので、以下に書き残していこうと思います。

 

 それにはまず、「今の若者がこの曲を聴いたら」の前に、「自分が今の若者の曲を聴いたら」から語らなければ…、という訳で、今売れているアーティスト(の曲)と私の率直な感想を書いておきます。

 ただし、私は元々ラブソングの中身にはあまり興味がないこともあって、歌詞の解釈や評価は割愛させてください。

 ちなみに、どの曲もきちんとフルで聴いたのは今回が初めてです。 

 1.米津玄師 『Lemon』 


米津玄師 MV「Lemon」

 彼については、未だに「なんで袈裟着てないんだよ」くらいの理解度なのですが、楽曲を聴いて浮かんだのは、CHEMISTRY『PIECES OF A DREAM』(2001年)とレミオロメン『粉雪』(2005年)でした。CHEMISTRY×レミオロメンでケミオロメンとか言ったら、またその筋の人から怒られるんだろうな。


CHEMISTRY 『PIECES OF A DREAM』MV


粉雪 - レミオロメン(フル)

 

 2.あいみょん『マリーゴールド』


あいみょん – マリーゴールド【AIMYON BUDOKAN -1995-】

 彼女については、世間の評判からフォークやJロック的なスピリットを持った“期待の女性シンガーソングライター”という位置づけなのかな、とは思うのですが、私は、PVも含めてCocco『カウントダウン』(1997年)を聴いてから、その手の触れ込みのアーティストに対しては何を見ても聴いても物足りなさを感じてしまう症候群なので、この曲からも期待は感じなかったです。


Cocco - カウントダウン 【VIDEO CLIP SHORT】

 

 3.Official髭男dism『Pretender』


Official髭男dism - Pretender[Official Video]

  彼らの名前は知っていたのですが、本当に冗談抜きでごく最近まで「ルネッサーンス!」でブレイクしたお笑いコンビ「髭男爵」のパロディ的な何かと思っていました。楽曲的には、もうBUMP OF CHICKEN『天体観測』(2001年)しか浮かびませんでした。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」スペシャルMV

 

 4.King Gnu 『白日』


King Gnu - 白日

  彼らについては、バンド名がファンクバンドっぽい響きだったので名前だけは気になっていたのですが、これも本当に冗談抜きで、曲名をずっと『白目』と見間違えていて、こいつら正気か?と思っていました。楽曲的に浮かんだのは、『白日』と来たら吉田拓郎『落陽』でした。


落陽 (高中バージョン)

 

 もうおわかりかと思うのですが、これらは感想と呼べるようなものではありません。ただ単に、これまで自分が聴いてきた音楽を上位にして系譜の中に収めようとしている、、更に言えば、ディスって気持ち良くなりたいだけです。

 「今の若者がこれを聴いたら」を語る前に、私は今の若者の音楽を感じとることができません。正直なところ、Lemonのあそこがすごいとか、あいみょんは本物、みたいなことを言う中高年に対しては、どんだけ思春期やねんと思ってしまいます。そんな私に若者の音楽を語る資格などありませんし、そもそも若者と言っても一人一人違うし、十把一唐揚げに食べてはいけないですよね。

 

 そんなわけで、先に触れた“今回新たに至った境地”についてですけれど、結局は、若い頃の自分と今の若者を比べることに意味は無いし、いろんな曲を聴くというのも音楽というか、人生の楽しみ方のひとつであって全てではないと考えるべきと思うに至りました。

  年齢に関係なく、今この曲を聴いて幸せだとかカッコイイとか泣けちゃうだとか、そういう瞬間があることがまず尊い。そしてその瞬間とは、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。初めての感動はもう二度と味わえないのだから、ただただ今の己のために音楽を聴き、みだりに他人の楽しみに立ち入るべきではないのですこんばんはわしが米津老師じゃ。の境地にはまだまだ至らない私ではありますが、無理に今を理解しようとせずに、今年も自分の感性に従って愉快に音楽の世界を楽しみたい。今年は、そういう一年にしたいと思いました。

 

引いて納得

 元旦は寝て過ごし、昨日は寝ぼけて初詣に行ってきました。

 いつもの神社でいつものおみくじ50円。去年まで2年連続で大吉だったので、そろそろ、、と思っていましたら、やはり今年は末吉に。長男でも末吉に。

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 昨年までの勢いはないので、落ち着いて物事を運ぶように、とのお告げなのでしょうが、さすがに

>出来るだけ身をへり下って 何事にも我から進んでしないがよい
 これは、ちょっと…。流れに身を任せようにも、

>願事 他人に妨げられる恐れあり

>縁談 思わぬ人にさまたげられる当面控えよ

 とのことですし、抗っても

>争事 理ありても負けます

ですから、これまた辛い…。めっちゃストレスフル。

 でもまあ、気持ちを落ち着けて勉強していれば、体も大丈夫な感じなので、おとなしくユーキャンでも始めようかな。とりあえず、詳しくは明日の朝刊折込チラシで。

 それと、今年の注目は、

>恋愛 良い人ですが危い 

 これは今までのおみくじ歴で見たことのないお告げです。すごく想像力が働くお告げです。

 昭和風に言うところの“火遊び”みたいな展開が私を待っているのでしょうか。「危いけれど良い人」の底は知れていますけれど、「良い人だけど危い」の底は知れません。考えてみれば、これまでの人生、ご安全にご安全にと生きてきましたけれど、結局は幸せの縁をただ回っていただけ。今はもう生きているだけで危険と評される域に達しているのですから、ここはひとつリスク覚悟で勝負に出るしかないねそうねアムロ出ますくらいの気持ちにさせるお告げです。

 というわけで、今年はそんな危険な運勢を上書き保存するために、違うところでもう一度おみくじ(30円)を引きました、そうです私はいくじなしです。

 結果は、小吉。どうやら今年は小さくまとまるしかなさそうです。
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 でも、すごく素敵な歌が詠んであって、上書き保存して正解でした。 

>不幸にも強く 幸福にも酔わぬ不動の人

 もしこんな人になれたら、多分誰も近づいてこないし、友だちも恋人もできないだろうけれど、森の中で動物たちと仲良く暮らせそうな気がします。

 項目別に見ても、

>願事 人の助力ありて叶う

>縁談 決着遅けれど成る 

ですので、最初のおみくじよりも光が感じられます。

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 ちなみに、あの危い人との出逢いは、「恋愛」の“れ“の字もなくなりましたので、私は今年もまた大切な何かを失った気がします。

 それでは、貴重な読者の皆さま、今年もよろしくお願い致します。

よいおとしを

 今年を振り返ってみてましても、特にビッグニュースがあったわけでもなく、かと言って漢字一文字で表せるほど単純でもなく。でもとりあえず、自分なりにそこそこ頑張った一年だったと思います。

 ところで、私は大掃除というのはしない派なのですが、今日は天気が良かったこともあって、トイレをわりとしっかりめに掃除をしました。細かい話ですけれど、トイレの中って、トイレットペーパーのホコリがけっこう凄いですよね。“チリ”紙って言い方の由緒正しさを感じます。そして、チリも積もれば大和魂というわけで便器を磨きました。私ったら便器のこと全然好きじゃないし、綺麗にしたって誰に褒められるわけでもないのですけれど、夢はこの綺麗になった便器で一番にうんこをすること、それも子どもの頃夢見たでっかいうんこをしてやることだベベべベーン!そんなわけで、今日は綺麗になった便器で一番にうんこをすることのためだけに生きていたのですけれど、先程トイレに入りましたら、明らかにそれらしい残り香がしまして、誰だ!?苦労して手に入れた油揚げを横からかっさらうようなトンビ野郎は!ああそう言えば、さっきおかんがやたらすっきりした顔で話かけてきたな。さてはお前かーッ!私を生んだのは!違う!私の便器を汚したのはーッ!

 とはさすがにならなかったのですけれど、今年最後に小さな親孝行ができたような気がします。

 それではみなさん、今年も残りわずか。よいおとしをお迎えください。

命が惜しくなってきた

 最近、ネットで流れてきたのがこちら。


TBJ/1期・・モンキー・ダンス

 

 尾藤イサオさん、出し惜しみなしのテクニックがすごい。。私が物心ついたときには、“懐かしのあの人”的な扱いで、『あしたのジョー』のテーマとか往年のロックンロールを大げさに歌う人のイメージだったけど、根底には天性の器用さがあったんだな。

 谷啓・植木等のクレイジー・キャッツのお二人は、典型的なおもしろおじさんのダンスに見えるけれど、そのおもしろおじさんの典型の典型が、クレイジー・キャッツなんだなと再認識。

 青島幸男さんは、私には『意地悪ばあさん』とか突拍子もなく東京都知事になったイメージしかなかったけど、これを見ると、型やリズムに忠実で、壊れてそうに見せて壊れていない感じが、やっぱり物書きとしての冷めた頭を感じさせます。

 

 最近、歳のせいか、その頃見えていなかったものに気づくことが多くて、なんていうか、そんな自分がもったいなかったというか、相手に申し訳なかったというか、そんなことを感じるようになりました。本当に温故知新でうんこちんちんです。

 

 考えてみれば当たり前のことなんですけれど、死ぬまで知らないことがいっぱい。

 ああ、命がいくつあっても足りないな。

糸井重里を嫌いな人がいるなんて

 あ~、手帳売って暮らしてぇ。

 疲れた日本人なら誰もがそう思っているかどうかはわかりませんが、少なくともコピーライター(と埋蔵金ハンター)としての糸井重里さんを知っている世代は、彼のことを好意的に見ていると思っていました。

 しかし最近、彼を嫌う人たちがいることを知りました。

 

 確かに、「飾らない」「自然」「シンプル」、、、一見すると現代社会から距離を置いているようで、実はマーケティングにどっぽりな生き方を提唱しては、“おいしい”生活を手に入れる人たちと同じニオイがすると言えばしますし、もしかすると発臭源なのかも知れませんが、個人的には、彼のようなポジションが羨ましいです。

 以前に、インターネット上で“恋しさと せつなさと 糸井重里” というフレーズが流行ったことがありましたが、私が今そのような心境です。

 

 たとえば、この冬にあたたかくてしかも履いててラクな靴下が欲しいなーって思って、このような記事を見せられたとして、

 

チェコのおばあちゃんとの出会い

「かかとに据わる靴下」──チェコでは、履き心地の良い靴下のことを、そんなふうに表現するそうです。チェコのルジェナおばあちゃんが編んだ靴下に出会ったのは2006年でした。

東欧のチェコは雪国であるため、氷点下15度という日も珍しくなく、外出時はブーツに分厚い靴下を履いて足元もしっかり防寒しなければなりません。
ルジェナおばあちゃんが編んだ靴下は、「直角」の形をしていました。靴下の編み方は母親を真似て自然に覚えたそうですが、かかとの編み方はおばあちゃんが独自に考えたのだとか。
履いてみると、かかと部分がすっぽりと収まって余ることなく、ズレ落ちにくく、とても履き心地が良いものでした。

履く人のことを考えて、履き心地の良さを追求し、履く人に喜んでもらえる靴下――ルジェナおばあちゃんが編んだ「直角」靴下の心地良さを、もっと多くの人に手軽に味わって欲しい。そんな思いから、手編みで形作った直角を機械編みで再現するという、今まで誰もやったことのない挑戦が始まりました。

靴下と聞いてみなさんが普通に思い浮かべるのは、「くの字」に曲がったあの形。120度の靴下です。角度にするとたった30度の差ですが、これが大きな壁でした。 どうすれば、この「くの字」を「L字」に変えられるのか――靴下メーカーの方々とのミーティングがスタートし、早速、研究開始です。関係者みんなで、1足の手編み靴下を代わる代わる履いてみました。「う~ん、なるほど」かかとがすっぽりはまるその快適性は、誰もが実感できるのですが、ただただ唸るばかり。唸っては靴下を眺め、眺めては履き、を繰り返すだけで、なかなか答えは出てきません。

そこで、「実際に編み方を見て研究しましょう!」ということになり、チェコのおばあちゃんの娘さんに来日していただくこととなりました。2006年5月某日。社内の関係者全員が揃う中、チェコから来日した娘さんに、靴下の手編みを実演していただきました。そして、その一部始終を研究のためにビデオ撮影しました。ところが、撮影はしたものの、そのビデオを観ても、出てきた答えは「やっぱり、わからない...」。手編みの編み工程自体も非常に特殊なのですが、それを機械編みにしようとするとさらに難しく、関係者一同、首を傾げるばかりです。また振り出しに戻って、一からやり直し。そんなことの繰り返しでした。

一方、工場探しも難航しました。そもそも、一般的なものづくりに逆行して非効率的なことをしようとするのですから、そう簡単に見つかるはずはありません。何度も何度も問い合わせた結果、編み機を改造(調整)するしかないという結論に至りました。 そこから、試作と根気の戦いが始まりました。サンプルを作っては試し履きし、また修正をかけては試し履きをする、という工程の連続です。直角に編み立てては、かかとが余りすぎないか、足の甲がたるみすぎないか、ズリ落ちないか、と検証していきました。納得のいくサンプルができあがったのは、こんなやり取りを10回以上も重ねた後のこと。こうしてやっと、チェコのおばあちゃんの手編みの靴下を日本の靴下に反映した「足なり直角靴下」が誕生したのです。

2006年11月、たった3アイテムでスタートした「 足なり直角靴下」。2010年2月からは無印良品のおおよそすべての靴下が直角になっています。

 ああ、こういうおばあちゃんいいよね。

 でもこれ、結局おばあちゃん関係なくない?

 

 最初から、そうハッキリと言える心強さが欲しい。

 買ってすぐに毛玉いっぱい、履き口がよれよれになった直角靴下を握りしめながら。