ドキュメント【1】(手術室準備中)

 受付を済ませてから2時間以上待っている。

 手術開始予定時刻はもう、1時間以上前に過ぎた。

 聞けば、前の患者の手術が長引いているかららしい。何かあったのだろう。

 

 …私の身にも何かあるかも知れない。

 

 ところでこれは何度目のトイレだろうか。

 今日はこんなに水分を摂っていないはずだ。でも出る。

 収支マイナスではないか。

 私はこのままトイレで立ち枯れてしまうのだろうか。

 がんばれドキドキの木。

 

 「尿は心の汗である」

 

 ポカリスエットのキャッチコピーのように言ってみても、潤わない。

 

 手術やん?切るやん?

 痛いの、痛いの、どんだけ~。

 

 ドキドキが、尿意が、メランコリックが、

 ドラスティックに止まらない。

 誰かが私の中でドラムを叩く。

 前のめりで、エモく。エモく。エモく。

 おトイレで何ccb出すつもり?

 Fu-Fu

 

 声がした。

 

 「大変おまたせしました。」

 「さあ行きましょう。おトイレは大丈夫?」

 

 看護師に促され、私は行った。

 ワンモアタイム、ワンモア直立。

 こんなすぐに出るはずもないのに。

 

 でも出るから不思議だ。

 

 最後の用を足し終えた私は、看護師と手術室に向かった。

 

 「うふふ、おまたせしちゃったから、特別に近道♡」

 

 彼女は関係者以外立入禁止のドアを開け、私を誘った。

 ここに足を踏み入れた瞬間、彼女と私の関係は変わるのだ。

 彼女は私の半歩前を歩きながら、何度も「今日は特別。」と言った。

 

 確かにこの廊下から見る景色は初めての景色だ。

 同じ建物も視点が変われば違う建物のように感じる。

 二人は「医局室」の前を通り過ぎ、辿り着いた。そこは手術室。

 いや、正確には手術前の準備室だ。

 

 錆びたロッカーに間仕切りのカーテン。

 隅には割烹着みたいな手術着が置いてある。

 古い棟のせいか、天井が迫ってくるようだ。

 

 「はい、ここで着替えてください。」

 

 そうだね。

 もう特別じゃないきみがいる。

 

 (続く)

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参考)


C-C-B Lucky Chanceをもう一度 (1985)

 Ui‐Ui‐C。

 


山崎まさよし One more time , One more chance

 チャンスをチャンスと気づくのはいつもあとから。

 


夏が来た (カラオケ) 渡辺美里

 直感で決めたことを楽しんでいる自分に気づく必要はない。

 だって幸せだから。

ドラッグストア

 一昔前は「大型薬局」なんて呼ばれ方をしていましたけれど、近頃は「ドラッグストア」が定着。

 「ドラッグ=麻薬のイメージだし、そのストア=お店だなんて保守的な日本には馴染まない。」とずっと思っていた私にも今じゃすっかり馴染んでいます。

 薬売り場はあるものの、全体的な品揃えはどんどんスーパーみたいになってきているし、店内で薬を買ってる人あんまり見たことないし、どちらにせよ従来のように「薬局」と呼ぶには無理がありそう。

 もうドラッグストアはドラッグストア、薬局は薬局、タッちゃんはタッちゃん。みんな頑張れ。浅倉南はがんばるみんなを応援しています。

 

 というわけで、私の住むまちにもここ数年で次々にドラッグストアができまして、つい先日も別の大型チェーン店が新規オープン。年内にもう1軒増えるらしいです。お客より、従業員集めるほうが大変そうです。

 高齢化と人口減少が止まらないこの田舎まちでドラッグストア同士はもちろん、ドラッグストアとスーパー、薬局、ホームセンター、コンビニなどの似た者同士が、限られたお客さん(と人材)を奪い合うのですから、もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら、短期的には消費者にも恩恵があるけれど中長期的には叩き合いになってみんな仲良く「パンチ“ドランカー”だね!」みたいなオチがついて駄目だこりゃブッパッパ ブッパッパ ブッパッパー!に思えるのですがどうなのでしょうか。


ドリフ もしもこんな将棋の挑戦者がいたら.mpg

 現実には、

>そしてAmazonだけが残った。

 みたいなオチになるでしょうけれど。

 

 それはそうと、何気なくその新規オープンのお店の折り込みチラシを見ていたら、特売品の中にビールや焼酎がありまして。

 そういえば、私がカロリーメイトをよく買いに行くお店(ドラッグストア)にもいろんな種類のお酒がたくさん置いてあります。しかも安い。カロリーメイトだけじゃなく生鮮食品まで安い。もやし1袋18円とかホントもやし過ぎです。

 これまでスーパーやホームセンターの延長みたいにそのお店を使っていたので、あまり意識したことなかったのですが、(表向きには)医薬品の取扱いを本業とするドラッグストアが、人体(と社会)への悪影響のほうが大きい「アルコール」類を置くことは、本来なら駄目だこりゃではないのでしょうか。もしかして“消毒用”に売ってるとか?

 まさかと思ってタバコも調べてみたら、私が知らなかっただけで全国的には見事に売っているドラッグストアチェーンもあってびっくりしました。法的には問題はないようですが、これはアカンでしょう。寿司屋がウンコ握るようなものですから。

 お客にウンコみたいなお寿司を出す寿司屋は一応寿司屋だけれど、お寿司みたいなウンコを出すのは寿司屋ではありません。一般的にそこはトイレです。容姿端麗なウンコにガッツポーズが出たとしても、寿司を握る前には必ず掌を甲を指を手首を爪の間を石鹸でしっかりと洗い流し、口外することも口内することもありません。それが寿司屋です。

 以上、不適切な喩えはにこれくらいにしておきまして、私が言いたいのは酒とタバコなんて、いくら正当化しようともどこまで行っても結局アルコールとニコチン、、、依存物質(毒)であることは否定できないということです。

 白衣を着てそんなものを堂々と売るなんて…、それではまるで寿司屋がウn

 

 平和のための戦争や兵器

 ストレス解消のための酒やタバコ

 

 そんな矛盾に気付かぬふりして売る者、買う者、勧める者。そして、いつも一番割りを食うのはそれ以外の人たち。「依存」問題の本質はそこにあります。

 ドラッグストアはやっぱり“ドラッグ”ストアなのかしら。

 

 便秘みたいに固いこと言うなと批判されそうですが、ドラッグストアの取扱商品についてはきっちりと法的規制をするべきです。飲食店の全面禁煙やアルコール規制が議論されている時代に、薬剤師のいる店が酒やタバコ、体に良いとは思えない食べものなどを売っているなんておかしいです。それではまるで、寿司屋がウn

 

 まあ、それでも安さと便利さに惹かれて行ってしまうのですけれど。

 やったね今日はポイント◯倍デー!!

 ウハー!!たまんないね!!!

 

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参考)


タッチ 最高の瞬間 #1 HD Touch Best Moments part 1

  タッチをエッチと同じくらいに思っていたあの頃。

大人禁制

 土俵上での挨拶中に倒れた舞鶴市の多々見市長、この記事によると回復しているそうで安心しました。

 思わぬ「女人禁制」問題に発展して、炎上しているときには書くのをためらっていたのですが、世間様も落ち着いてきたようなので当時思っていたことを書きます。

 

 あとで知った方もいると思いますが、多々見市長は医師(循環器の専門医)です。市長になる前は舞鶴共済病院の院長をしていました。詳しくはわかりませんが、舞鶴市の医療体制の再編のために立候補されたようです。

 実は私の身内も、多々見先生に診てもらっていたことがありました。「いい先生」なのはよく聞いていましたが、医師としての使命感の強さと、こちらが心配するくらいタフな仕事ぶりに、倒れたとニュースで知ったときは信じられない気持ちとやっぱりかという気持ちが交錯しました。

 なので、土俵下に医療従事者がいたのも当然と言えば当然で、あの日土俵に上がった人たちはきっと反射的に体が動いたと思います。映像を見ましたが、心臓マッサージをする姿はプロフェッショナルでした。

 医師として政治家として成してきたことが、巡り巡って自らを助けた…、「情けは人の為ならず」とは少し違うけれど、自分が信念を持ってしてきたことが(思わぬ形で)還ってきたら、やっぱり自分のしてきたことが認められたような気持ちになるだろうな。もちろん、すぐにはそんな気持ちにはならない(なれない)だろうけれど。

 ご本人の知らないところで勝手なことばかり言っててはいけないのですが、とにかく何かの節目であることは間違いないと思うので、今はとにかく無理をなさらないように、次に向けて養生に専念して欲しいです。

 

 それで、大相撲の「女人禁制」の話なのですが、史実的には明確な根拠はなさそうで、“作られた”歴史的価値観みたいなものが、相撲“協会”の「伝統」として守られてきたのではないでしょうか。

 しかし、私はその「伝統」を差別とは思いません。それを守ることが角界(と協会)にとって良いのかは彼ら自身が考えることです。私は「いい相撲」が観たい、それだけなので待つ。

 ただ、一相撲好きとしては、相撲から“神聖性”が失くなって、無味無臭の「みんなのおおずもう」みたいにはなって欲しくはないです。

 格闘技でもスポーツでもショーでもなく、相撲は相撲。興行だけど興行ではなく、庶民の娯楽でありつつ、日本を背負っているかのような“ありがた感”も持ち合わせる。この清濁併せ呑むようなところが、相撲の懐の深さでもあります。

 

 私が小学生の頃、校庭に土俵があって、校内の相撲大会も開かれていました。生徒たちは先生から、

 ・(土俵は神聖だから)土足で上がってはいけない

 ・(怪我をするから)相撲は必ず真剣勝負をしなさい

の2つをきつく言われていた(女人禁制は言われなかったと思います)こともあって、今でも、「相撲と土俵」には気軽に触れてはいけない特別な“何か”があると信じ込んでいるところがあります。だから観る方もする方も熱くなったり。

 「格闘技とリング」「レースとサーキット」「劇団と舞台」「高校野球と甲子園」「トミーとマツ」、、、そういったものが放つ“精神性”、抱く“幻想”、それらが理性を超えて人を惹き付ける。

 大相撲の場合、それが一気に冷めるのが優勝力士の表彰式。

 政治家や組織の重役などが次々に土俵に上がるのですが、命を懸けた真剣勝負の場である土俵に、相撲と直接関係のない者が上がることがまず許せません。それこそ「穢れ」です。しかも、正装にスリッパ履いて上がるんです。なんと“締まり”のない姿。

 「せめて裸足で上がれ!このゆるゆるフンドシのバチあたり野郎が!!」

 

…って、先生が言っていました。

 

 会場のスペース上の制約もあると思いますし、スポンサーあっての興行なので“ご披露”が必要なこともわかるのですが、表彰式や挨拶は土俵下ですべきです。男も女も関係ありません。個人的には、女性は土俵から降りるようにアナウンスをしてしまった呼出さんも私と同じような思いを持っているような気がします。

 どうしても土俵に上がる必要があるのであれば、相撲関係者以外は皆の前で神主さんに(形式的にでも)お祓いを受けてから上がるようにしたらどうでしょうか。「相撲=神事」という構図には収まるので、見た目にも良いと思います。

 

 それともうひとつ提案があります。

 それは土俵の近くに、専属の看護師か医師を常駐させることです。

 去年だった思いますが、NHKの相撲中継を観ていたら、画面の向こうの溜席(砂かぶり)に座っていた老人男性が倒れたことがありました。私はその老人が具合悪そうにしているときからハラハラしながら見ていたのですが、ついに倒れてしまいました。

 画面から見る限り、会場では隣りに座っていた女性が気づくまで誰も気付いていない様子でした。

 その女性はすぐに係員を呼ぶ仕草をしたのですが、なかなか来ないし、来ても元力士っぽい係員の対応には明らかに迷いがありました。結局、会場の外へ運ばれて行きましたが、なんとも危なっかしかったです。

 おそらく、ああいうことは初めてではないのに、普段から体勢が整えられていないのが実状ではないでしょうか。本場所でさえあの様子なのに、巡業先では尚更でしょう。私の予想では、巡業先任せなのではないでしょうか。

 みんなが安心して相撲を楽しめるよう各自できることをお願いします。

 対立を煽るだけの方は速やかにそこから降りてください。

 

 以上、どすこい。

  

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参考)


【トミーとマツ】「トミー変身」シーンセレクション

 女人禁制。煽らないでマツ。

 

この春の写真【2】

 気象庁が出す各地の桜の開花状況には判断基準となる「標本木」があるそうで、例えば東京は靖国神社の桜。恒例のこのような場面、もはやちょっとしたコントですね。

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桜:東京都心、全国で最も早く開花 満開は7~10日後か - 毎日新聞

 現代人は忙しくて空を眺めることが少ないらしいので、この発達した情報化社会の中でも目視で開花状況を確認する気象庁の職員のように、電子機器から顔を上げて「(自分だけの)◯◯宣言」みたいな機会を作るのも良いかも知れません。

 例えば名古屋では、恋愛や仕事など人生に悩んだりしたときには、「スガキヤのスーちゃん」が、“宣言”のお手伝いをしてくれます。

 具体的にはまず、何かのきっかけや答えが欲しい人は、名古屋の中心地・栄のビル屋上にあるスガキヤのマスコットキャラクター「スーちゃん」の大ネオン看板を見上げ、スーちゃんに自分の悩みをしっかりとアイ・コンタクトで伝えます。

 次に呼吸を整え、ゆっくりと目を閉じ、心の中で「教えてスーちゃん」と唱えながら体内時計で33秒(スーちゃんは昭和33年生まれ)数えるのです。

 数え終わったらパッと目を開いて、その瞬間スーちゃんの、、、

 ◆顔だけが光っていたら

 → 必ず願い通りになるから自分の信念を貫く

 ◆目が点滅中だと

 → もう一度目を閉じてやり直し

 ◆顔が真っ暗だと

 → 自分の思いは捨てて一番最初に相談した人の助言に従う

 ◆それ以外は

 → スガキヤに行く


スガキヤ・ネオンサイン

  という風な、ちょっとした儀式を経て、それぞれの「恋人と別れる宣言」「転職宣言」「食って忘れるぞ宣言」など、悩める人々の決断につながるのです。名古屋の夜は、星に願いを込めるようにネオン看板をしばらく見上げては、頷くようにしてその場からスーっと立ち去る人の姿がしばしば見られます。というような話を作ったがや。さっき作ったがや。お城の天守閣は木で造るだがや。

 

 まあそもそも東京の「標本木」の桜が咲いたと言われても、行く予定もない私にはあんまり関係ないし、それよりも身近なところで春を感じたい。名所じゃなくても自分だけが春を感じる場所があればいい。私にとってはこんなところ。

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 以前に投稿した「春色ピットイン」というタイトルはこの風景を見て思いついたものです。田植えの時期が近づいて、トラクターが次の作業のためにスタンバイしてて、、花がコースに彩りを添えて、、、どうやら春にピットイン。というわけで。

 

 桜については、子どもの頃からちょっと寂しげな雰囲気のものが好きで、桜と朽ちかけたものなどとの組み合わせに惹かれます。人にはあまり言いませんけれど、病気でしょうか?

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 最近では症状が進んだのか、花の散ったあとの桜の木と老人用の手押し車との組み合わせにすごく惹かれまして、「あんた、あたしのクルマに何か用事かい?」とどこからか持ち主の声がしないだろうかとドキドキしながら何枚も撮りました。

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 ああ。このままでは、落ちた桜の花びらの上に梅干しの種を飛ばしては、これが侘びだ寂びだ芸術だと言うような複雑な人になってしまうかも知れません。

 「現代人よ、上を向きなさい」と言いながら、下向きなものを好んでしまう自分のこの志向、なんとかならないでしょうか。

 教えてスーちゃん、、、

 

 (パッ)

 

 見上げればそこに、芋虫が飛んでいました。 

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参考)

www.sugakico.co.jp

スガキヤ、コスパ最高。

この春の写真【1】

 野にも山にもあんまり緑が元気なので、もう春のことなど忘れそう。

 でも確かに春はあったから、ここに写真を貼っておこうと思います。

 

 まずは、観光パンフレットぽいのから。

 満開前、桜のフレーム越しに見る海岸線。とても綺麗でした。

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  でも、こういう「ザ・景色」を切り取るのって、感動の幅も切り取ってしまうので、なんというか、写真自体にはあまり価値はない気がします。綺麗だなーっと思うだけで、その向こう側がない感じ。私にとってはただの記録です。

 撮ってて興奮したのは、次の写真です。気に入ったので、このブログのヘッダーにもトリミングしたのを使いました。

 これ桜の花びらが散り落ちる瞬間を高速シャッターで捉えたように見えませんか?

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 でもこれ、花びらが蜘蛛の糸に絡まってぷらぷらと連なっていたのをフツーに撮ったものです。

 

 これも。なんだかイタリアの古い街の中に干してある洗濯物みたいだと思いながら撮りました。イタリア知らんけど。

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 これも。

 花びらが水路に落ちるまでの連続写真のようにも見えますが、花びら達が蜘蛛の糸に捕まっているのです。まさに小説「蜘蛛の糸」状態。落ちないようにぶら下がる花びらが哀れな人間に見えるから不思議。お釈迦様気分の撮影者。

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 こんな感じに、自由に遊ばせてくれる瞬間に出会えると、いつでも春な気分。