活気あふれるあなた自身

 「活気あふれるあなた自身」は、グーグル翻訳による「lively up yourself」の和訳です。

 そして、この『lively up yourself』は、世界三大ボブの一人Bob Marleyの曲です。


Bob Marley - Lively Up Yourself (Live)

 世界三大ボブとは言っても、私の場合、DylanとMarleyのアルバムを1枚ずつ持っているだけで、普段あまり聴かないです。

 『lively up yourself』は、私の持っているアルバム『LIVE!』にも収録されているのですが、一番好きな曲というわけでもなく、こちらの『Get up,stand up』のほうがよく聴きます。


Bob Marley and The Wailers - Get Up, Stand Up (LIVE!)

 では、なぜ『lively up yourself』のことを書いているのかと言いますと、あれは昨年の7月15日(土)だったと思います。NHK‐FMの番組「ウィークエンド・サンシャイン」内で、ピーター・バラカン先生が、アルバム『LIVE!』からこの曲を掛けたのです。

 先生の解説によると、このアルバムはロンドンでの二日間の公演が1枚に編集されていて、『lively up yourself』が収録された日は、どうやら私のバースデーだったらしい。

 自分が生まれた日に、ロンドンではBob Marleyが会場を熱くさせていた(かも知れない)なんて。そして、その曲の入ったアルバムを持っているなんて。これはある意味、産声の録音じゃないか!

 

 みたいな感動を、去年書こうと思っていたのですが、そのときの私は活気がないままに誕生日が過ぎてしまいました。もし、来年元気あったら書こうということにして、そのままに。

 そんなこんなでいましたところ、一昨日私の母親が新聞を読みながら、「マンデラさんと同じ日やなぁ。」とつぶやいたのです。聞けば、私の誕生日とネルソン・マンデラ元大統領が同じとのこと。そんな世界的な人と同じ誕生日だなんて、知らんかった…。

 あ、世界的と言えば、、、ボブ!

 

 というわけで、これはボブ神様からのGet Up,Stand Upメッセージだと思い、今日になって私は「下書き」フォルダに入っていた続きを書いているのです。

 「lively up yourself」は「元気出せよ」の意。

 歌詞の内容をミーグル翻訳すると、「落ち込んでも、ロックして、レゲエして、また明日!ドラッグになんか頼るな、お前ならできる、お前の中にもあるだろ?そうだろ?」みたいなことだと思います。

  実際には、元気なんて急に湧いて出るものでもないのですが、どんな状況になっても結局最後は信じる力がものをいうなぁというのが、一年経っての感想です。

 信じるきっかけ、そういう存在、そのありがたさ。その難しさ。

 

 それにしても、世界的なアーティストと活動家に縁を感じる日に生まれたなんて、自分にも何か特別な力があるのではないかとちょっと勘違いしそうです。

 ちなみに今日は、その昔、淫行で逮捕された板尾創路さんと奇行で世間を騒がせた広末涼子さんの誕生日でもあります。

 

 そうだ。人はみな、特別な“何か”を持っている。

 知らんけど。

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 参考)私の世界三大ボブ Bob Ross 


第16弾 BOB ROSS Joy of Painting ボブの絵画教室 「灰色の山並」

 私はこの番組で絵の楽しさとアメリカンジョークを学びました。

てとてしとし

思い出した。 

 TV>「おててのしわとしわを合わせて幸せ」

 私>「ほんまや、大発見や~!」


お仏壇のハセガワ CM

 

 しかし、それは単なる「しわあわせ」に過ぎないと気づくのに時間は掛からなかった。私は、そんな“幸せになれない”素質を持った子どもだったのかも知れない。

 

 今年に入り愛犬と伯父が続けて亡くなったこともあり、何かと手を合わせる機会が増えた。そして、今日ふと思いついた。

 「しわとしわ」ではなく、「死と死を合わせて=幸せ(死合わせ)」ではないか。生前の楽しかったこと、面白かったこと、あんなこと、そんなこと、数え切れない思い出や整理しきれない感情があっても、一旦それらを手と手の間にしまい込み、あの世での幸せを願う、その瞬間に「祈り」が生まれる。そして、もしかしたらその瞬間は、煩悩から解放され、ある意味“幸せ”な瞬間でもあるのではないだろうか。

 もちろん、その境地に至ったとしても、生死の事実は変わらない。生きるためには祈ってばかりもいられない。気が紛れることはあっても、悲しさや寂しさは必ず折に触れてやってくる。だけど、それこそが私たちがつながっていた(いる)証でもあるのだから、必ずしもマイナスと受け取るべきではないのだろう。大発見や。

 

 そんなことを思いながら、私は今日も頭の中で愛犬の顔の辺りを撫でている。

 次は腹の辺りを撫でてやろうか。優しく、ときに激しく。

 

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 参考)先日のNHKFM『世界の快適音楽セレクション』で紹介(A面のみ)されて知りました。ゴンチチさん、スタッフさん、ありがとう。

大発見やァ![EPレコード7inch]

大発見やァ![EPレコード7inch]

 B面 。。。

粉瘤、オレ流、brand new

 これまでドキュメント【1】~【3】で、私の「粉瘤」体験について書きました。

 私としては、自分の体験が今現在過去未来の悩める誰かのお役に立てればと思い、書き始めたつもりでした。

 しかし、終わってみれば、いつかキース・ジャレットの演奏スタイルについて書きたいと思っていた気持ちが勝ってしまい、結局誰の役にも立てていない気がしてきましたので、今回は真摯に「粉瘤」に向き合ってみたいと思います。

 

 私自身、臀部が腫れたときには不安で不安で、たくさんのネット検索(例:【おしり 腫れ ひかない】【できもの 切る 何科】など)をしました。参考になりそうなものから怪しいものまで、たくさんの記事に出会いましたが、「で、私はどうすればいいの?」という問いに確かな答えをくれるものはあまりなかったように思います。

 粉瘤体験談の類はありがたく読みましたが、粉瘤の苦しみから解放された喜びからか、粉瘤患者の習性なのか、面白おかしく書こうとしているものが多くて、今まさに苦しんでいる私には、楽しむ余裕がない感じでした。

 もし今、あのときの私と同じ思いでこの投稿にヒットした方がいましたら、心中おSuchmosます、、そう、こんな感じで無理に面白おかしく書こうとするの要りませんよね。

 

◆はじめに 

 病院に行く時間がない(行きたくない)と、対処法をネットなどで探しがちですが、素人による安易な自己判断はやめておいたほうがよいです。私のように、その間に病状が悪化したりします。腫れは待ってくれません。奇跡も起きません。結局、最後は病院のお世話になることになるでしょう。

 

◆粉瘤の基礎知識

 学会のホームページでご確認を。

アテローム(粉瘤) - 皮膚科Q&A(公益社団法人日本皮膚科学会) 

 

◆受診科

 何科に行けばいいのかは、私の経験からだけですと、初めてで“しこり”のようなものが気になる程度なら、いったん皮膚科で様子見。既に腫れや痛みがあるなら皮膚科で相談するか、形成外科へ。もし、再発の場合は迷わず形成外科へ行くことになると思います。

 形成外科と書きましたが、単に「外科」や「美容外科」などを標榜している病院もあると思いますので、その辺りは下調べが必要かも知れません。

 

◆腫れ・痛みなど

 悩ましいのは、腫れ・痛みは患部を切っても切らなくてもいずれ治まることです。

 私の場合は、切らなかったときの腫れ・痛みは約2週間続きました。ピークを通り抜けるまでには5日~7日くらいかかりましたし、その間はまともに座れない、歩くだけでも擦れて痛い、突然膿が出てきて下着が汚れるなど、生活には支障ありました。

 切った場合は、切った当日はかなり痛みますが、そこがピークです。1週間~10日ほどは痛みは残りますが、腫れは小さくなります。

 

◆(傷)痕

 初発のときは全く切らなかったのですが、腫れが収まっても黒い色素沈着が残りました。

 再発のときは、膿出しのみと本体摘出手術の2回メスを入れました。摘出手術は、ネットで調べると、傷が小さくて済む「へそ抜き(くり抜き)法」と呼ばれるものが出てきますが、私の通った病院はそのようなものではなく、単純切開法でした。

 傷痕は少しずつ薄くなってきていますが、やはり残ると思います。

 

◆通院回数

 皮膚科の場合、患部が悪性のものでなければ、「ひどくなったらまた来てね」な感じで終わりと思います。処方されても塗り薬程度かも知れません。手術についての考え方は、先生によりけりでしょうね。

 切る場合は、経過を見るための診察が必ず入るので、術前・術後は1週間~2週間毎に通院しなければなりません。そして、しばらくは瘡部に自分で消毒・薬を塗る、ガーゼを当てるなどの処置が必要になります。私の場合は、4回(初回、経過診察、手術、抜糸)で通院が終わりました。なお、摘出手術自体は、30~40分程度で終わりました。

 

◆費用

 自己負担(3割で)は初診料を除けば、診察だけなら数百円/回。病院からの処方薬があれば、+数百円かかります。

 私の場合、摘出手術は手術前の検査込みで1万数千円でした。ただし、部位や施術方法によっても違うと思うので気になるようでしたら診察時に確認してみてください。

 それと、病院からの薬以外でガーゼやテープ(シート)を自分で買わないといけないのですが、これが地味に出費でした。

 

◆切るか切らないか

 これは、結局私にもなんとも言えないです。他の病気の可能性もあるので、しこりがあって気になったらとりあえず皮膚科受診で間違いないと思います。あとは、医師の説明を聞いて納得するかどうか。私としましては、悩めるあなたが良いお医者さんに当たることを願うばかりです。

 私の場合は、初発よりも再発時のほうが程度がひどかったのと、3ヶ月も経たないうちに再発したこともあり、再々発に怯えながら生活するよりはよいと思い、切る選択をしました。そのことに後悔はしていないのですが、今思えば、膿出しだけしてもらって、しばらく様子をみてからの判断でもよかったかも知れません。

 

 以上、現場から元粉瘤患者がお伝えしました。

 Have a nice brand new day.

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参考)


オレ流(1)

 参考にするか、しないか、それが問題だ。

ドキュメント【3】(手術室手術中~その後)

  そして、翌々週の診察。

 先生>「あー、だいぶ良くなりましたね。しこりみたいなのは残っていますけど。このままでも前みたいな、すぐの再発はないと思いますが、どうしますか?手術しますか?」

  私>「再発の可能性はなるべく低くしたいので、お願いします。手術したらすぐ問題なく生活できますか?」

 先生>「うん、普通は2週間後に抜糸ですね。でも、中には4週間経っても傷口が良くならない人がいるんですよ。バスの運転手さんなんですけどね、その状態でずっと運転してるんですって。あはは。さて、それじゃあ手術の説明。」

  私>「…え?」

 

 その運転手さん、切った意味があるのだろうか、、、。全然発車オーライじゃないじゃない。

 やっぱり痛むから腰を浮かせながら運転したりしてるのだろうか。もしもその運転手さんのバスに乗り合わせたなら、降りるときに「キース・ジャレットのライブを見ているようでした。ありがとうございました。」と声を掛けたほうが良いだろうか。

 もちろん、手術のことにもお尻にも触れずに。


Keith Jarrett Solo Concert

 そして、走り去るバスに向かって私は5回大きく尻を振るのだ。

 「おだいじに」と願いを込めて。

 

 先生の話によると、1回目にしたのは腫れた患部から膿を出す“処置”であって、手術ではなかったらしい。そうだ、確かにあの部屋は「処置室」だった。

 今度は手術なので、事前の承諾書の提出やら血液検査もあるし、当日は「手術室」で血圧や心拍数のモニターもつけて、痛み止めも麻酔担当がする。それなりにリスクもあるとのこと。

 私はなんだか大げさとも思える事態に不安になってきた。もちろん、先生はそんなことを気に掛けている様子などない。

 おかげでこちらもあまり気を遣わなくて済むのだけれど、私のような考え過ぎるタイプの人間には刺激が強い感じもある。

 外科医というのは無邪気というか、面白がるというかそういう気質の人が多いのだろうか。そうではなかったとしても「身体を切る=迷いを断つ」みたいなことができる人たちであろう。

 先生、どうせなら無駄に揺れるこの心を断ち切ってください。 

 

 さて、そんなこんなで話は手術当日(ドキュメント【2】看護師の問診シーン)に戻る。

 

 看>「これも確認なのですが、今日手術する場所はどこですか?」

 私>「臀部、、、右臀部です。」

 

 この答えを聞いたとき彼女はどう思っただろうか。彼女の表情はマスクで見えなかったが、「素直に“尻”って言えばいいのに。」と思っただろうか。

 こういう場合、恥ずかしさの数だけ画数があるのだよ、“臀”部は何画だい?看護師さん、わかるかな?

 

 看>「はい。では、手術室に入りますね。こちらです。」

 

 彼女は、そう言って床のペダルを踏んだ。

 すると、目の前の扉が開き、その先にもう一つ扉が見えた。あれが我らが目指す「手術室」だ。

 前に進んでその最後の扉を開けるペダルを踏むと、萬斎先生と研修医らしい先生、そして麻酔担当医(?)の女性の姿が見えたのだが、この頃には胸のドキドキがかなり高まっていた。彼女が踏んだのは私の心のアクセル。

 

 手術室の中に入ると手術台にうつ伏せになるように促され、下着は膝のあたりまで下ろされた。煌々と照らされた照明の下でも決して輝くことはない尻を晒し、私は看護師に渡されたクッションを抱き、泣いた。

 

 と、そこまでのことはなかったが、とにかく緊張してしまい、目の前に置かれた(心拍や血圧などの)モニターをまともに見ることができなかった。うつ伏せなので、私の背中側の世界で何が起きているのかは想像するしかない。胸のドキドキはドッキンドッキンへ。時々機械が発する警告音?から推測するに、モニターの数値もかなり上がっていたことだろう。

 先生は私の様子を察したのか、前回の膿出しのときのように何やらいろいろ話をしながら手術を始めた。とは言っても、研修医?へのレクチャーのような、ただの世間話のような内容がほとんどで、この時私は、この先生がただのお喋り好きである可能性に気づいたのだった。

 さて、緊張の方は、お尻に局所麻酔を打つまでがピークだった。麻酔の効果なのか、それとも別の何かを打たれたのか。モニターで数字を確かめる気にはなれなかったが、しばらくすると体感的には不思議なほどドキドキは収まっていった。

  看>「名前を言ってください。」

  私>「は?私のですか?」

 

 意識の確認だったのだろう。この期に及んで、自分の名前以外(先生の名前や患部の名前など)を聞かれた可能性もあると仮定し、質問で質問を返すとは我ながら大したものである。もちろん褒めてはいない。

 

 手術は順調に進み、自宅の布団の上で尻を出しているかのような気分でいたところ、急に今まで一番大きな痛みが走った。

  私>「(ウッ!)先生、ちょっと痛いです。」

 先生>「あ。やっぱり痛いですよね。お尻の筋肉を焼いてますから。これしとかないと、あとで出血の量が全然違いますからね。」

 

 ここで先生について気がついたことが、もうひとつあった。この先生は基本的に「事後報告」なのだ。

 そうしてバチッ、バチッと音がする度に痛みが走る。仔牛の焼印押しってこんな感じだろうか。私のかわいい筋肉はどうなっちゃうの、教えてテリーマン。

 そんなことを考えているうちに、縫合に入り、やがて無事に手術は終わった。

 

 全てに「ありがとう」としか言いようがない。

 

 手術時間は、実質30分ほど。

 保険点数は3万3710点(内手術料3万2300点)、自己負担金額は3割負担で1万110円だった。

 

 ひとつだけ心残りがあるとすれば、

 

 先生>「よかったら手術室を出たときに、切ったものお見せしますよ?」

  私>「けっこうです。葬ってください。」

 

 と言ってしまったことである。先ほどまで自分の身体の一部だったのだから、ひと目見てお別れするべきではなかったか。次、あの世で会おう。私の粉瘤。

 

 そして、心配していた予後であるが、先生からお墨付きをもらい、予定通り術後2週間で抜糸も済んだ。投稿時現在、押さえれば少し痛みはあるものの生活にキース・ジャレットはない。

 

   (完)

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参考)

 下品なので見ないほうがいいです。見ないほうが、、


閲覧注意‼️お尻に牛の焼印を押される‼️

 だから言ったでしょう?

 

 テリーマンがわからない方へ


テリーマンのテーマソング

 額の印は肛門ではありません。

ドキュメント【2】(手術室手術注意)

 割烹着みたいな手術着に着替え、間仕切りカーテンを開けると、そこにはここまで案内してくれた看護師が待っていて、

 「わぁ、よくお似合いですね。女将さんみたい!」

 みたいな、お銚子一本的な反応などあるはずもなく、決められた手順どおりに手術室の看護師へと引き継ぎが始まった。

 来院時の血圧・心拍数・体温、アレルギーの有無、薬の服用状況など必要事項の報告が済むと、応対は手術室の看護師に替わった。

 まずは、私への問診である。

 濃い緑色の術衣に白いマスク姿の彼女、髪はキャップの中にきれいにまとめられている。声から推測するに年齢は20代後半から30代前半くらいであろうか。

 看>「これは確認のためにお聞きしますが、お名前を教えてください。」

 私>「◯◯◯◯です。」

 看>「これも確認なのですが、今日手術する場所はどこですか?」

 私>「臀部、、、右臀部です。」

 

 解説しよう。臀部とはつまり、お尻の部分である。

 ここで時間を遡ること、今年の冬。1月下旬。

 私の右臀部にゴルフボールがめり込んだかのような腫れものが生じた。つい2週間くらい前までは腫れはなく、つまむと小さなしこりがある程度だった。痛みもなかったので様子を見ているうちにどんどん大きくなり、痛みも出だした。

 どうにも治る気配がないので、私は地元の総合病院の皮膚科へ行くことにした。この日の担当医は、クマみたいな顔と体に似合わない声の小さい先生だった。

 熊さん先生は私に、立ったままでいいからお尻を見せるように言い、患部を何度かつまんだ。そして、クマさんのいうことにゃ、

 熊>「今は中に膿が溜まっている状態。いずれ固まって、治まります。多少塊が残るかもしれないですが、どうしようもありませんね。」

 私>「このまま何もしないということですか?薬もなしですか?」

 熊>「そうです。手術で取ってもいいかも知れないですね。その場合は形成外科へ行ってください。」

 私>(クマった…。)

 

 この病院の形成外科は、毎週1回しか診察日がない。診察日は最短でも4日後だ。しかも、その日はたぶん診察だけで終わりだから、実際に取るとしたら最短でもまたその1週間後だ。

 

 結局、気休めに市販の薬を買って塗って、様子を見ることにした。クマさんの言う通り、しばらく腫れと痛みは続いたが、少しずつ治まっていった。2週間ほど経つと、腫れも小さなしこり程度にまでに引いて、少し気にはなるものの痛みはなくなったのだった。

 腫れの原因について、クマさん先生の小さい声では聞こえづらくてよくわからなかったので、あとからネットでもいろいろ検索してみた。

 このしこりみたいなものは「粉瘤(ふんりゅう)」と呼ばれるもので、詳しい原因は不明。お尻や首、耳たぶなどに出ることが多い。悪性化するものは稀だが、ばい菌などが入ると化膿して大きく腫れる。一旦腫れが治まってもほぼ再発する。摘出手術を受ければ再発の確率はかなり低くなるということであった。

 問題は、再発の頻度である。個人差はあるが、もし数年に1度くらいでも、マジでクマるレベル。最低でも1週間は腫れと痛みで椅子や床にまともに座れない。キャント・ヘルプ・フォーリン・イン座布、座布を敷かずにいられない。しかも、死んだフリして災いが通り過ぎるのを待つしか解決方法がないというのはあまりにも受け身過ぎやしないか。

 などとアレコレ考えることも少なくなってきた4月頃。

 あれ?ちょっとしこり、大きくなってない??

 前回の腫れからたった2ヶ月くらいで再発なんてあるのだろうか。とりあえず、様子を見てみよう、今回は早めに薬も塗っておけば少しは抑えられるかも知れない。

 

 …甘かった。

 

 今回は、前回よりも成長が早く、腫れの大きさもテニスボールくらいはあったかもしれない。見る見るうちに全盛期のセリーナ・ウイリアムズのサーブを尻で受けたくらいのインパクトにまでなってしまった。新しく買ったステロイド入りの軟膏を多く塗れど  早く眠れど 僕らの燃ゆる熱き御霊は挫けなどしない さぁいざ征かんKEISEI-GEKAへ

 

 形成外科の先生は、私をベッドにうつ伏せに寝かせ、露わになった臀部に宿った燃ゆる熱き御霊を見て言った。 

 先生>「斬りましょう。」

  私>(…陰陽師や。)

 

 ここが皮膚科医と外科医の違いのようで、こういう場合は迷わずに切ると決めているとのことだった。

  私>「今、切ってくれるんですか?」

 萬斎>「このまま帰したら怒るでしょう。隣の処置室へ行きましょう。」

  私>「(あぁ、カッコええ!)ありがとうございます!」

 

 ただ、腫れている時は、ほぼ取り残すので2回に分ける。今日はとりあえず膿を出すだけで終わりとのこと。

 萬斎先生は、うつ伏せの私の右臀部に麻酔を打ち、何やらいろいろと話しかけながら患部を切って、体内に巣食う膿をギュギュギュ~ッと搾り出した。カルマだ、カルマが出たよ。

 さすがに痛みもあったが、ありがたさのほうが大きかった。

 搾り終えると、萬斎先生は、お尻丸出しの私に女豹のポーズをとるように指示し、患部に薬を塗り、ガーゼを貼った。その際に何度か「(お尻を)もっと突き出して!」と言われてとても恥ずかしかった。

 処置はここでひとまず終了となったのだが、たまたまその途中で処置室に入って来た看護師が調教中の私の女豹姿を見て、「ちょwww」と言って小走りに去っていった。いったい私は、何を失い何を得たのだろうか。

 

 先生>「お風呂は今日から入っても大丈夫です。再来週、傷口を見せに来てください。」

 

 私はこの時、これで治療はほぼ終わったと思っていた。2回目の“切る”作業も同じくらいに思っていたのだった。

 

 (続く)

 

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 参考)


Elvis the King - Can't Help Falling in Love Aloha from Hawaii

 座ってなんかいられない。

 


【 大沢たかおCM】キリン本搾り「沁みわたれ 水面」篇「草地」篇

 先生によると、“いかにも”なのがいっぱい出てきたそうです。

 飲んじゃダメ。