あすなろう

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 先日、梅を見に行きました。もう見頃は過ぎていましたけれど、中には綺麗に咲いているものもありました。

 うれしくて写真を撮り、これはさぞかし良い春が来るのだろうと思いました。よし、次へ行こうと自分のクルマへ戻る途中に、ふと自分のクルマの排気マフラーの位置が、いつもより随分と下にあることに気付きました。

 近付いて、車体の下から覗き込むと、マフラーを支えている部分が錆びて壊れていました。このままにしておくと、自重でマフラーが完全に落ちてしまうと思い、近くにあったホームセンターで防水テープを買い、応急処置をしました。

 その時、私は指を切りました。先程、カメラのシャッターを切った同じ人差し指を。

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 さて、今日は用事で姉と甥っ子と3人で出かけました。用事を済ませ、“イオン”的なところで昼食をとった後に、姉が服を見て帰りたいというので、付き合うことに。

 最初は、姉はひとりで選びたいのかと思い、私は甥っ子を連れて同じフロアをうろうろしていましたが、なかなか決まりそうもないので、一緒に選ぶことにしました。

 甥っ子の意見も聞いたり(聞き流したり)しつつ選んだ服を手に、姉は試着室へ入りました。甥っ子は、カーテンの前でガードマンをしていました。

 「もう着た?いい?」

 「うん。」

 シャーっとカーテンが開き、いつもと少し違う感じのお母さんを見た甥っ子は、

 「わぁ!」と声を上げ、パチパチパチパチと拍手をしました。

 その瞬間、姉の脳から神経伝達物質が瀧のように流れ出たことでしょう。

 そこにいた人たちに影響を及ぼすほどのしあわせホルモン。私には、二人の世界が輝いて見えました。

 半額のブラウスに20%オフのカットソー。レジに行くと、2つ合わせて1万円を切っていました。

 今日は、本当に良い買い物でした。明日はさくらの木になろう。

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 本当はここで『Happy Birthday』を流したかったのですが、今は生憎このサンプルしかないようなのでこちらを。


Denki Groove - Asunaro Sunshine [Live at FUJI ROCK 2006]

 私もこの中にいたので共犯者になるのかな。

 

今日はなんだか、

 今日、Amazonミュージックを聴いていたら、荒井由実『卒業写真』が再生されまして。

 言わずと知れた名曲。しかし、私は名曲過ぎて歌詞をしっかりわかっていませんでした。確かめてみましたら、

✕ 悲しいことがあると 開くわあの表紙

◯ 悲しいことがあると 開く革の表紙

 

✕ あなたは ドキドキ 遠くで近くで

◯ あなたはときどき 遠くでしかって

 

✕ 裸足駆けるように ゆれる柳の下を

◯ 話しかけるように ゆれる柳の下を

でした。不思議なもので、一度正しい歌詞を見てしまうと、もう以前のようには聞こえなくなってしまいます。刹那。

 それともうひとつ。アルバム『COBALT HOUR』(1975年発売)で聴いて初めて気付きました。

>ゆれる柳の下を

の「“ぎぃ↑”」のファルセットが、こんなにもキュ↑ートだったことに。

 

 さて、ではなぜ覚え間違いをしていたのだろうかと、少し調べてみましたら、この曲を淡い恋の歌だと思いこんでいたのが原因のようです。

 アルバムの中で追いかけていたのは、当時好きだったあこがれの人(先輩かな?)の顔写真で、卒業後しばらくして姿を見かけたけど、当時も今も自信がなくて、ついに声を掛けられなかった、遠くで近くでドキドキしていただけの“わたし”、、もしくは、“あなた”も実は”わたし”のことが好きで、同じように内心ドキドキしていたのね、乙女の妄想ドッキドキ?と思っていました。

 と、まあ、それにしてはちょっと変な表現だなとは思っていたのですけれど…

 本当にすみませんでした。できれば遠くで叱っていただきたいです。

 

 もしも、私と同じような間違いをしていた方がいましたら、ぜひこちらの記事をお読みください。

www.tapthepop.net

 “あなた”は、お世話になった高校の先生。街で声を掛けられなかったのは、あの日の先生の熱意と自分への罪悪感のようなものがあったから。 

 それを知って初めて、メロディー、詞、声がつながりました。ドキドキしました。

 

 この曲の中の“わたし”は、決して後悔の中から出られない人ではありませんでした。あの頃の生き方を忘れないのは、“あなた”だけではなく、“わたし”も。人混みに流されて変わっていくことは、むしろ前に進んで生きていく宣言のように感じました。

 そう考えると、“あなたはわたしの青春そのもの”が、単なる懐かしい思い出としての表現ではなく、“あなた”は当時の“わたし”であり、今を生きる“わたし”を感じさせてくれる存在そのもの。

 「卒業写真」のあの人は、昭和風に言えば「街の灯」、今風には「ベンチマーク」、国土地理院風には「水準点・三角点」。

 

 ここで私は思ったのです。私は誰かの“あなた”になることができているだろうか。もし今、私がこの世からいなくなったとして、のちに誰かから“あなた”と呼ばれることがあるだろうか。

 

 今日はなんだか、自分がそういうことを考える年齢になったことを感じました。8年前の出来事などを思いながら。

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参考) 


SUGAR BABE - 今日はなんだか(L:1976 SONGS R:1994 SINGS)

スニーカーブルース

 先日、用事があり京都の街へ。昨年ならばまだ寒さに震えていた頃だけれど、この日はまるで春はあけぼの やうやう欲しくなりゆくスニーカー。

 …な日和とは全く異なる用事を済ませ、京都駅に向かうバスの中。

 この路線は、人の乗り降りの少ない“穴場”路線なはずなのだけれど、進行方向に見える次の停留所(大学前)にはなぜか長蛇の列。しかも、みんなすこぶる若い。受験か?

 「なんて日だ…。」

 私は、人混みが苦手。元気がないときはなおさらである。

 バスのドアが開き、次々に人が入ってきた。受験生らしき子に混じって、保護者のような人たちも数人乗ってきて、乗車率は120~130 %といったところか。

 私の後ろの席には、女の子二人組が座った。

 

 車内は、予想に反して静かだった。

 大きな通りに入り、大型書店の前を通ったとき、後ろの女の子たちが言った。

 「ああわたし、本屋さん行きたーい。」「あ、わたしも!」

 会話の内容と発音から、どうやら遠くから泊りがけで大学受験に来ているようだった。がんばれ受験生。

 それにしても、京都まで来て、“本屋”に行きたいとは…。

 さすが、日本屈指の難関国立大を受験する子は言うことが違うと思ったりもしたけれど、そう言えば私も若い頃は、街へ出ると必ず本屋やCDショップに寄っていた。私にとって、そこは安心と煌めきが同時に感じられる場所だったような気がする。

 もしかしたら、この二人も私のような田舎育ちなのかも知れない。

 バスは進み、右手に東本願寺が見えると、彼女たちは、日本史(世界史?)の問題を思い出したのか、色々と情報を教えあっていた。残念ながら、私はまったくついていけなかった。

 すまない、私が東本願寺について知っているのは、西本願寺ではないことくらいだ。

 

 バスは終点・京都駅に着き、乗客は皆、足早に降りていった。私は一番最後に降りた。

 二人の姿はもうなかった。

 あの子たちは、無事に合格し、大学に入り、いい出会いをして、まっすぐに生きていけるだろうか。数年後、十数年後、数十年後、再びあのバスに乗り、今日二人で交わした会話を思い出すことはあるだろうか。そして、その時間がものすごく尊いものであったことに気づくことはあるだろうか。

 最近、『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』を聴いて、不覚にも涙が出てしまった私は、バスの中のことを思い出しながら、家に帰ったらしみったれた日記でも書いてみようと思ったのだった。


ゴロワーズを吸ったことがあるかい

 私は、大の嫌煙家だ。でも、確かに“シネマ”のような煙草には、憧れのようなものを感じることがある。もちろん、実際に吸うことはないし、Jean Gabinになる気もないのだけれど。

 思うに、吸えば害にしかならない煙草でさえも、好きで少し詳しく知っていれば、映画の中にでもどこへでも飛んでいける。気付けば自分が吸い殻になっていたとしても、それはそれでシネマのワンシーンにならないだろうか。

 私は、ムッシュからのそんなメッセージを聞いたような気がしていた。

 バス乗降場からエスカレーターを上がったフロアの隅にあるガラス張りの喫煙コーナーには、お互い肩が触れ合うくらいの距離で無表情に煙を吐き出している人たちがいた。

 いつもならば、中指立てて唾を吐きかけてやりたいとしか思わない人たちだけれど、この日だけは「ゴロワーズという煙草を吸ったことがあるかい?」と聞いてやろうかなどと、少しふざけていられた。

 

 さて、今頃あの二人はどうしているだろうか。

 できれば素敵な本と出会えていて欲しい。

 ゴロワーズなんて知らなくていいから。

 

 ところで君たち、かまやつひろしを聴いたことがあるかい?

 

フランス語で春を語る

 「三寒四温」

 立春も過ぎてからのこの寒さ。先週まではずいぶんと気温が高かったので、言葉通りならば、今は寒のターンといったところでしょうか。そして、必ず春は来る。約束を果たすかのように。

 

 と結びたいところではありますが、私は昔から「さんかんしおん」という言葉を聞くとフランス語に聞こえて仕方ありません。 誰もわかってくれなくても、タモリさんか中川家礼二さんがわかってくれればそれでいいです。

 ちなみに、私の中ではこのように聞こえています。→このように

 

 ご存知の方も多いと思いますが、フランス語をタモリ変換するとこんな感じです。


タモリ これは笑う!伝説のベッドシーン3連発&おまけ

 何事も勢いって大事ですね。  

 完成度という点では、礼二変換も聞いてみたかったのですが、見つかりませんでした。やはりアジア系と車掌語が専門のようです。

 そこで、偶然見つけたのがこの方、藤村有弘さんなのですが、私は映像を見て、サングラスもマイクも吹っ飛びました。


SUKIYAKI 上を向いて歩こう

 私は、「芸=笑わせる」とすっかり思い込んでいましたが、“唸らせる”芸の面白さに気付きました。

 自分や誰かを貶めるわけでもなく人を笑わせる(楽しませる)ことができるのは、子どもか動物だけだと思うのですが、それらは“芸”とは言えないわけで、職業として人が人を笑わせることの難しさがわかります。

 でもまあ、おかしなことに、上手過ぎると笑えないということも世の中にはあって、その辺りのさじ加減が「お笑い」と「役者」の違いなのかな。


タモリ対談_1

 それでは。春再見音。

秘はまたのぼりくりかえす

Slow Down 日常にあふれる繰り返すリズムにのせただようRhyme

さまざまな事があふれてる今だからこそ伝えたいこのPoem

  というわけで、粉瘤が再発しました。

meganegadoushita.hateblo.jp

  あれは元日のこと。風呂で身体を洗っていたときに、お尻に大きいニキビのような膨らみがあることに気がついたのでした。

 なぜだ?まだ半年ほどしか経っていないのに!一生懸命耐えたあの日のドキドキはいったい何のためだったんだぁ!憤怒!

 早めに手を打とうにも、前回お世話になった病院の形成外科は、年始なので8日までお休み。救急外来に行って外科医でもない先生を尻込みさせるのも気の毒だったので、仕方なく様子を見ることにしました。過去の経験から、腫れと痛みのピークは1週間~10日後、2週間で痛みが引くと信じて…。

 結果から言いますと、今回は前回よりも腫れは大きくならずに済み、痛みも2週間でほぼ無くなりました。さすがおみくじで二年連続大吉だっただけのことはあります。

 発生場所は、前回よりも、やや光門に近い別の場所でしたので、厳密には“再発”ではなく、新たに火口が加わったということなのかも知れません。マグマには本当に静かに眠っていて欲しいのですが、今回の一件で、粉瘤は手術をしてもまた別のところからお出ましになることがわかりました。いつでも別れは出会いの始まりなのです。

 

 ところで、冒頭の引用は、Dragon Ash『陽はまたのぼりくりかえす』(1998年)の歌詞の一部です。先ほど、Amazonで確認したら、シングル盤CDが1円で売られていて、ちょっと悲しくなったりもしたのですが、“バズる”という言葉がもてはやされている今だからこそ伝えたいこのAlbum『Bazz Songs』に収録されています。

Buzz Songs

Buzz Songs

 

  これは、彼らのロックとヒップホップと青春エモーショナルが見事に噛み合った頃の間違いなく名盤なので、この次のアルバム『Viva La Revolution』以降、悪そうなヤツとだいたい友だちになる前のダミってない降谷建志を知らない人にはぜひ聴いてもらいたい一枚、私が過去に一生懸命ラップを練習したソングBEST5にも2曲がランクインしている思い入れのある一枚です。

 ちなみに、ベスト5は以下のとおりです。

 1位)今夜はブギー・バック/小沢健二 featuring スチャダラパー

 2位)Feel Like dance/globe (のマーク・パンサーのところ)

 3位)陽はまたのぼりくりかえす/Dragon Ash

 4位)Under Age's Song/Dragon Ash

 5位)さいだぁぶるーす/かせきさいだぁ

 

 ああ、無駄なことに一生懸命だったからこそ今でも時間にwrapしてチンしたように、いつでも思いはまたのぼりくりかえすのですけれど、思い出はどれだけ食べてもゼロカロリー。


MONKEY MAJIK × サンドウィッチマン / ウマーベラス(歌詞付き)

 進め自分。過去に生きるな。