寂しい瞬間

 今週末にかけて5月としては記録的な暑さになると聞いても、“5月としては”、でしょう?まだいける。と思っているうちにタイミングを逃した昨年の反省から、今日はエアコンのフィルター掃除をすることにしました。

 掃除と言っても、ホコリを取って軽く洗うくらいのこと。我が家のエアコンには、「自動クリーニング」機能がついていて、掃除は滅多にしなくていい特別措置法が施行されているからです。

 ちなみに、2週間に1度フィルターを掃除すると、年間数パーセントの電気代の節約になるらしいです。すごいです、私のエネルギーがもたないです。

 さて、エアコンの電源プラグを抜き、本体カバーを開けると、いきなりポトッと落ちてきました綿埃と虫の死骸。この瞬間、覚悟を決めました。室内を開け放ち、鼻と口のマスクに加えて、両手に使い捨てのゴム手袋を装着。

 掃除機でホコリの粗落としをしてから、拭き掃除をし、自動クリーニングのホコリ受けを外してタップリの中身を捨てたら、フィルターを取り外し、水洗いして陰干し。その間に、吹き出し口の奥に見えるカビみたいな汚れをフィンの隙間から布を巻いた割り箸をつっこんで消毒液を噴霧しながらキレイにしたあと、フィルターとホコリ受けを元に戻し、本体のカバーを閉めたら、足元の床に掃除機をかけ、汚れた布と割り箸、手袋は外のゴミ箱へ入れ、そして手洗いとうがい励行。エアコンの電源プラグを挿して、リモコンで設定温度を18℃にして冷房の試運転、続いて除湿の試運転をして、運転中の室外機も含めて10分間程度問題がなかったので、異常なしと判断して作業終了!

 あぁあぁぁ、やっと終わった。さ、ゆっくり外に座って犬と遊ぼかなー。

 

 …って、あ。犬、死んでた。

 そうなんですよね、もう1年半になります。でもこのとき、自分でもびっくりするくらい自然に、生きているつもりになっていたので、次の瞬間ポッカリ寂しくなりました。

 これか。忘れていた悲しみが、ふとした瞬間に寂しさに変わる、っていうのは。

 でもまあ、これも心の中に生きている証拠には違いない。

 

 そして、これはちょっと出来すぎなのかも知れないけれど、夜、母の「蛍!」の声で外に出ると、椅子の上で1匹の蛍が元気にお尻を光らせていました。

 初蛍。なるほどこれに変わったか。

牛乳の味

 すぐにお腹を壊すわりには、牛乳を飲みます。

 その量は、1日に200~400ppくらい。

 朝食前か運動後にソイプロテインを溶かして飲むか、昼食にパンを食べるときに合わせて。

 別にダイエットやマッスル生活をしているのではないのですけれど、牛乳にプロテインを入れるのは、食事前に摂取することで血糖値の急上昇を抑えたり、タンパク質が運動後の筋肉の発達を助け、基礎代謝を上げるとかで、続けることでそれなりに効果を感じています。興味のある方は試してみてください。けっこうお腹が張るので、自然と食事量が調整されるのが一番の要因な気もしますけれど。

 そんなわけで、牛乳代もけっこう(牛だけに)馬鹿にならないので、近所のスーパーで一番安いお決まりの銘柄を反射的に買うのが常だったのですが、先日たまたま在庫がなかったとき、別のちょっと高めの銘柄を買ってみたのです。

 ゴクコク…(うまいな。)

 まあ、味は好みもあるので、一概には言えないのですけれど、プロテインの溶け具合が違うんです。

 同じ「成分無調整牛乳」なのに、プロテインの粉が“ダマ”になりにくいんです。気のせいだなんて言わないでください。科学的根拠?ないです。

 でもね、確かに違うんです。舌触りや喉ごしをロッテのアイスで喩えるなら『爽』と『Lady Borden』くらい違うんです。『ハーゲン・ダッツ』まではいきません。どうでもいい人にはどうでもいいのですが、戻れない人には戻れないくらいの差です。この感じ、伝わりますか?

 自分では、すごい発見をしたつもりなのですが、周りにはあまり伝わらないのが悔しくて、悔しくて、牛乳とプロテインをかき混ぜるときに力が入って、ちょっと飛び散って困ります。

 いやほんと、知らないうちに値段だけを気にするようになっていて、牛乳を牛乳としか見ていなかった、、いや、牛乳=安い飲み物くらいに見ていました。何なら牛乳が高いと腹立ててしまったり…。

 同じものでも値段が違うことの意味とか、いくつも銘柄がある意味とか、“定番”と言われる銘柄の意味とか、CDショップでジャケ買いしていた頃のこととか、いろんなことを差額30円で感じることができました。

 たまには違うものを試してみるのもいいな。値段て何だろうな。

 

パソコン替えたし 花を入れる花瓶もないし

 私はずっとWindowsユーザーです。本当はMacユーザーになりたかったWindowsユーザーです。ブルーな“プログラムの更新”に耐えてきたWindowsユーザーです。

 初めて買ったパソコンは、IBM(米国)のタワー型デスクトップPC『Aptiva』でした。当時は、価格や性能面でノートPCよりもデスクトップを選ぶ人が多かったように思います。

 次に買ったのは、東芝の『dynabook』です。初めてのノートPCでした。以降、SONYの『VAIO』、NECの『Lavie』と続きました。

 現在、これらのPCブランドは、、、

 『Aptiva』は消え、IBMのPC部門は中国のLenovoに買収されました。東芝のPC事業は、台湾の鴻海精密工業の傘下になったシャープの傘下に。SONYは、PC部門を別会社(VAIO株式会社)に移管し、NECのPC事業はIBMと同じくLenovo傘下に入っています。私が何か悪いことをしたのでしょうか。

 そして、私が先日買ったのが『ThinkPad』です。その昔、憧れていながら手が届かなかったノートPCです。

 日経新聞とThinkPadを持っていれば、“デキる”ビジネスマンに見えたあの頃。今ならスタバでMacBookを開く“ドヤド”ワーカーみたいなものでしょうか。


think pad cm IBM(1996年)

 近頃は、見た目にもMacに負けないWindowsPCが出てきていますが、素直に流行りに乗れない私は、一周回ってThinkPadでどうよ!というわけで、購入を決めました。

 ああ、そもそも『ThinkPad』を知らない方は、リンク先を御覧ください。ちなみに、知らなくてもまったく問題なく生きていけます。

maonline.jp 

 私が欲しかった頃とは異なり、今はLenovoのものとなっている『ThinkPad』。

 俗に言う“中国に買われる”ことを嫌う人は多いですし、正直なところ、私もLenovoに買収されてからは、これまで選択肢から外れていました。名前だけThinkPadでは意味がない気がして。

 でも今はLenovoに限らず、中国企業に買われた後に、全く違うものにされてしまう心配は、あまりしなくてもよい気がしています。実際のところ、中国企業傘下になって復活した会社(ブランド)が少なくないからです。

 その理由を考えているうちに、中国では、旧大日本帝国ゆかりの建物が商業施設などとして使われていることに思い当たりました。

shukousha.com


 日本が逆の立場になったならば、壊しチャイナで別のものに作り変えるか、資料館として遺しチャイナとなるでしょう。別のことに使っチャイナとはならなさそう。

 良くも悪くも、利用できるものはそのまま利用する“したたかさ”は、国際競争では有利に働きます。

 日本企業による海外企業の大型買収や政府の国際的なプロジェクトの失敗事例には、自前主義に拘ったり、結果よりも過程を重視したりする気質に関係がありそうです。

 価値を見極め、余計なコストは掛けず、実利を得ることに徹すれば、日本もまだまだやれるはずです。

 ちなみに、下の写真は、今回購入したPCに同梱されていたもの全てです。教科書のようなガイドブックやサービスの(?)ソフト類は入っておらず、代わりに1枚の紙にマニュアルへのQRコードが記載されています。

 これには少し不安になりました。おそらくこの漠然とした不安こそが、今の日本(と私)を停滞させている一因なのでしょう。

 そして、この買い替えたThinkPad、今のところ、大きな問題もなく使えていることをお伝えしておきます。

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 というわけで、今回はThinkPadユーザーらしく、ビジネスっぽいことも書いてみたのですが、私が本当に伝えたいことは、人には「ThinkPad、ThinkPad、ThinkPad、ThinkPad、ThinkPad…」を繰り返しているうちに、「ちんこバット」に変わる瞬間があるということです。

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参考1)


早口言葉_ 三船敏郎, 澤田研二, 五木宏, 角川博

 

参考2)


Donald Fagen - I.G.Y. (What a Beautiful World) 1982 HD & HQ

 

5月病きゃっつーの

 気候が良すぎるせいか、文字を打つのが億劫に。

 とりあえず、クレージーキャッツ × タモリさん(1986年)を貼っておきます。


クレージーキャッツ タモリ(1/2)

 それにしても、何なんでしょうね、この植木等さんの回収力は。お釈迦さまでしょうか。見ていてちょっと恐ろしくなりました。きっとタモリさんの心中は、蛇に睨まれたイグアナだったでしょう。

 あと、谷啓さんの控えめな位置からしっかり拾ってくる感じがいいですね。


クレージーキャッツ タモリ(2/2)

 お互い笑っていても画面から伝わる緊張感、音楽もトークもこれが“JAZZ”ってことでしょうか、みたいなわかったこと言っていると植木等さんに叱られそうです。

 ところで緊張と言えば、この映像、Miles Davisさん × タモリさん(1985年)ですけれど、何度見てもこちらが緊張してしまいます。気づけば必要以上に肛門が閉まっています。


タモリさんとマイルス・デイヴィスの対談

 10年後、当時の様子をタモリさん自身が振り返っている動画(2分58秒~)がこちらです。


タモリのジャズスタジオ マイルス・デイヴィスの話

 この番組の最終回で、司会のタモリさんがJAZZの魅力をゲストの方々に順番に聞いていくのですが、清水ミチコさんが、

 どんなに上手に“いい加減に”演奏するかってところが、JAZZが他の音楽にはない面白いところだと思うんですよ。

 それから、あの、ジャズミュージシャンの裏側のセコい話とか、ウフフ、やっぱり同じ人間だなって思うんですよ。

と答えていて、まさにそのとーーりと思いました。


タモリのジャズ・スタジオ1995年 最終回「ジャズの魅力とは」

 

 そして、その清水ミチコさんの十数年後の映像がこちらですけれど、矢野顕子さんとしっかりJAZZしているところを見ますと、あの番組ではJAZZ素人を演じさせられていたのか、それともその後の歩みの証明なのか、、


矢野顕子&清水ミチコ ピアノ講座

 

 答えはこちら。


Akiko Yano & Michiko Shimizu - Hitotsudake

なんで叱られなアカンねん【下】

 『チコちゃんに叱られる』については、ひとまず置いておきまして。

 今回は、フジテレビのワイドショー『バイキング』司会の坂上忍さんとDOMMUNEの一件についてです。

  私は、『バイキング』に限らず、この手の(内容のない)ワイドショーのことは信用していませんし、番組内での坂上氏やその他出演者の発言の是非についても、台本や構成がある以上、本人たちの意志ではない可能性があるので、ここでは言及はしま、、す。今回はします!ちょっとしまーす!

 子役としてデビューしてから、知名度が命、露出が命の芸能界に身を置き、特にテレビが絶対的な影響力を持つことを“身をもって”知っている坂上忍氏にとって、「知らない(知られていない)」ことは、「存在しない」や「価値がない」に等しいことかも知れません。

 一方、大手メディアや大衆からはまだ認められていない海外や若者らの新しいムーヴメントやアートに価値を見出し、いち早く世界に向けて発信することで自らも「知る人ぞ知る」存在となった『DOMMUNE』(というか、宇川直宏氏かな)には、今のマスコミや芸能人たちは、ビッグネームにあぐらをかいているように映るでしょう。

 これも育ってきた環境が違うからすれ違いは否めないの法則に従えば仕方のないことなのでしょうが、一人の人間としは、坂上氏も宇川氏もそれぞれの世界で努力や苦労を重ねてきたはずなので、セロリとパセリくらいには分かりあえそうな気がしてなりません。

 そして、メディアとしては、何となく棲み分けがあって、これまでなら互いに見て見ぬ振りをしていたであろう両者が、電柱グループ絡みとは言え、民放キー局のワイドショーがDOMMUNEのイベントを、DOMMUNEがワイドショーを相手にするに至ったことが、私には驚きでした。

 ですから、坂上氏の「DOMMUNEって知ってる人ってこの中にいます?」発言は、DOMMUNEは本来テレビが相手にするような相手ではないとも受け取れるので、ある意味正しい反応です。

 言われた方からすれば、「知らねぇのはテメェの責任だろうが!」「勝手に取り上げといてなんだその態度は!」となって当然。しかし、そこは気鋭のクリエイター集団。『DJ Plays“坂上忍"ONLY!!』を企画し、“とんち”を利かせた抵抗を試みました。

 しかし、残念ながら相手は洒落の通じる新右衛門さんではなく、まんまと有り難く炎上上等金閣寺となってしまった感は拭えません。

 結果だけを見ると、死んだおばあちゃんがよく言っていた「人の噂も七十五日、まともに相手したらアカン」は至言だなと思います。

 

 私は、『DJ Plays "電気グルーヴ" ONLY!!』も『DJ Plays“坂上忍"ONLY!!』も、視聴しませんでしたが、

DOMMUNEは既存の大手メディアの「知らない」に対し「知る」手段をとった。

 この対応には共感しました。

 『バイキング』がDOMMUNEに対してとった、“知らない”の根底にあるのは「排除」の論理です。これを打ち破るには「理解」と「寛容」の実践の積み重ねしかありません。

 DOMMUNEのあの“ノリ”には、寛容さは欠けていたかも知れないですが、彼らなりの「理解」への試みだったと思いたいです。

 

 『チコちゃんに叱られる』と『バイキング』に共通することは何でしょうか。

 それは、「知らない」への暴力的な態度です。これらが、“笑い”として成立する限り、生きにくい人にとっては、まだまだ生きにくい時代が続くでしょう。私もけっこう辛いです。

 だなんてことをまともに言っても笑われるだけの世の中ではありますが、私はこのインターネットの片隅で、電気グルーヴの『誰だ!』を叫びながら、細く小さく、そしてしぶとく生き残りたいと思います。

 よろしければ、ご一緒にどうぞ。

youtu.be

 「プールサイドを消火器を咥えて走っている奴は誰だ!!」

 「瀧だぁ!!」