神様お願い【前編】

 愛犬がまだ生きていた頃の話です。季節は冬。

 私は、犬の散歩に出かけました。

 あの日、辺りに雪はまだありませんでした。ただ風が強く冷たく吹いていました。

 

 犬というのは、マーキング(おしっこ)が仕事のようなところがあります。無表情に片脚を上げ、時には脚も上げずに遂行する姿を見ていると、人間と同じく、半ば義務的にさせられているのではないかと思うときがあるのです。

 よく犬は、“今”しか考えていないと言われます。しかし、私はそうは思いません。本当に、今しか考えられないのなら、膀胱に溜まった尿を残らず一気に出してしまうはずです。誰も止められないこのニョージック、あなたにも聞き覚えがあるでしょう。

 我が家の犬の散歩は、朝昼夕の3回が決まりだったのですけれど、よく考えたら自分がもし1日3回しかトイレに行けないとしたら、毎度間違いなくダムパンパンです。放流の際には勢いが凄すぎておまえ黒部かよ、みたいなことになるはずです。そして、脳内には一緒に一種の快楽物質が放出されますから、それを途中で締めるというのは、かなりの修行を積んだ者にしかできないはずです。

 本来、動物は、欲求(快楽)を抑えきれないものです。人間も犬も気持ちいいことしたいんですよ、いっぱい。したいの。いっぱい。ぜんぶしたいの。ぜんぶ。

 

 数えたことはないのですが、1散歩あたり、最低5回はマーキングしていたと思います。もちろん、最初の1回が最も量が多くて時間も長いのですが、残りが人間で言うところの残尿とも思えません。あれは間違いなく計画的犯尿です。

 つまり、尿に溺れるものは、人生に溺れる。生活(縄張り)を維持できなくなることを知っていたのです。欲求が10あるなら1くらいは、次のために残しておく。それを愚かという人もいるでしょう、できない人もいるでしょう、しかし知恵というのは、重ねた失敗から一歩退いた時に生まれる気付きの結晶であると、彼は私の心にマーキングして逝きました、めでたしめでたし、、にはなりません。

 後編に続く。

喧嘩は止めて私の芋煮

 新聞でこの記事↓を読んだからかも知れないけれど、新型コロナウイルス諸々のことを“敵”や“戦い”以外に表現できないものかと考えるようになりました。

www.asahi.com

 

 こういう記事↓を読んでも「進化とは?」への答えが変わったように思います。

diamond.jp

 今世界中に蔓延している新型コロナウイルス(COVID-19)も、「SARS」や「MERS」のように、いつか必ず“収束”します。そして、世間的には収束を以て人間の“勝利”となります。

 勝利の条件としては、第一には「ワクチンの開発」、第二に「既存薬の活用」、第三に「感染機会の減・滅方法の確立」が挙げられます。おそらく、それらの実績が伴わない場合は、引き分け~敗北に近い勝利という感じではないでしょうか。叩き、叩かれ、ボロボロになっても最後にリングに立ってさえいればチャンピオンだじょー伝説。

 

 しかし例えば、リングの上と社会、明日をどう生きるのかを考えてみたとき、“勝利”の意味も変わりはしませんか?

 

 自分らしくとか後悔のないようにとか、富や名声のためとかいろいろ考えれば、普通はリングの上の相手に勝つことが第一目標になるでしょう。しかし、「生きる」ただそれだけに徹すれば、ルール上の勝ち負けに意味はなくなります。

 勝利と引き換えに命という代償を払うことの意味をウイルスから学ぶことはできないでしょうか。

 

 実は私、「SARSもMERSも未だに抗ウイルス薬やワクチンはない」ことを最近になって知りました。人類が“勝利”したと思っていたのに…。 

 一説によれば、両ウイルスともに強烈であったがために、宿主である人間を殺し過ぎてしまい、自らが生きる場所を失ってしまったとのこと。なんだその孤独な能力者の末路みたいな話は。 

 そして、今回の新型コロナウイルス(COVID-19)は、どうやら致死力は低いが掴み所が無いトリックスターのような存在。同じコロナウイルスという枠組みで捉えるなら、状況に適応した最新形態と言えそうです。そう、“最終”ではなく。

 

 もしも「弱毒化」によって、新型コロナウイルス(COVID-19)が収束に向かっていくとするならば、それは、宿主と共に生きるウイルスが残った、いわゆるダーウィン的な“進化”が起きた結果であって、人間の“勝利”であるとはとても言えない、いや、そもそも、元から両者に勝ち負けなど存在しないのではないか。

 あえて言うならば、そう考えられるようになったことが、私の中の“勝利”なのだ。(はい、これであなたのハートをノックアウト!)


50周年記念期間限定「あしたのジョー」全79話予告を大公開③「力石戦編」

 「俺とウイルスを一緒にすんじゃねぇよ。」

好きな声

 いきなり愚痴っぽくなってしまうのですが、なぜに近頃流行りの曲は、みんなで同じパートを歌う(そして一斉に踊る)ものが多いのでしょうか。秋葉系も坂系もジャニーズ系も。一般的に、一人一人の声として認識できるのは5人同時くらいが限度では?

 80年代中盤以降、アイドルがグループ化を強めてきたことは承知しています。おニャン子クラブ、光GENJI、SMAP、モーニング娘。など。それでも、歌い手に個性はあったような気がするのです。ああ、この子は口パクだといい顔とか、この子はソロデビューしそうとか、その音程どうなの中居くんとか。そうなんですよ、下手でも何でも一人一人に見せ場はあったし、世間は歌手として見ていた感じがするのです。

 2000年代に入ると、1グループあたりの人数が随分と増えて、見た目もよく似ているし、みんな一緒に歌って踊って、なんだかもうグループと言うよりも組織、、いや、会社みたいです。人気投票の成績や立ち位置で存在感を示すというのも、すごく会社的です。

 メンバーが抜けることを、“卒業”だなんて言いますけれど、私には“人事異動”に映ります。歌は個性ではなく、全体パフォーマンスの一部になったように思います。

 もちろんファンから見れば、それぞれの“推し”は違って見えるのでしょうし、メンバーもそれぞれが差別化に一生懸命でしょうから、個性がないみたいに言っている私のほうが、頭おかCのはわかっています。

 ただ、あの表現的にも限られた「枠」の中で、個性を100%出すのは難しいし、自己表現として突き詰めていけば、いつか窮屈になるときが来るだろうな、と思うのです。

 

 って、そんなことを書いてるお前が一番窮屈やぞ!というわけで、ここらでニーナ・シモンさんの曲いってみよう。 


Nina Simone - I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free (Audio)

 私は彼女の歌声が好きなんです。決して透き通るような美声ではないけれど、人生を3回くらい見てきたような憂いを帯び、自分の心に残響が重なっていくような声。

 理屈人間の私が、歌っている内容よりも声に真実味を感じてしまうのはなぜでしょうか。人類の祖先は、夜は明かりではなく音を頼りに生きていただろうからその名残なのかと考えてみたり。(私が英語がわからないのは内緒!)

 

 さて、彼女がソロではなくグループで歌っていたらどうでしょうか。これはこれでしんどいと思うのです。彼女が大勢のメンバーと秋元康詞をユニゾンしても個性を打ち消し合うだけでしょう。

 ニーナ・シモンはソロ、寺門ジモンはトリオ、荒井注の抜けたザ・ドリフターズは志村けんが加入することで、逆にメンバーが引き立ったのも、自分の力を存分に発揮できる自由を得たことが大きかったように思います。そして、そこには自分なりの決断があったはず。(だからといって、前に出るだけが個性ではないことも付け加えておきます。)

 

 今年に入って突然、世界中が自粛ムードになって気付いたのは、今まで惰性で続けていたものの存在です。非常事態にあまり悠長なことも言っていられないのですけれど、光を失うと音や気配に敏感になるように、今は自分の声に耳を傾け、少し息継ぎをすべきときのような気がしています。

 それでは、God breath bless you.というわけで、この曲を。


ニーナ シモン ・マイ ウェイ ・1971年

 自分に正直に生きなければならないことはない。

 ただ、そのように生きた人がいることは知っておいてもいいだろう。

 

漠然と音楽のこと

 東日本大震災から9年が経った。

 音楽業界は、震災直後こそ自粛ムードだったけれど、その後は積極的に発信していたように思う。ミュージシャンはもちろん、音楽に携わる者たちは、被災地に出向いたり、被災地を思って各地でチャリティを開いたりしていた。それはたぶん、被災者というよりも、自分自身の心を落ち着かせることになっただろう。「音楽には力がある。」そう信じた人も増えたのではないだろうか。

 今回の新型コロナウイルス騒動ではどうだろう。あくまでも私の感覚ではあるけれど、一部のライブやコンサートがネットによる配信に切り替わったくらいで、今のところ、大きな動きはないように思う。

 昨今の音楽業界と言えば、カラオケブームが去り、CD売り上げは激減、頼みの音楽配信サービスも業界全体を潤すまでには至っていない。それでも、会えるアイドルたちの増殖や音楽フェスブーム(バブルと言ってもいい)によってなんとか持ち堪えている。

 

 この状況は、東日本大震災と関係はないだろうか。

 震災後、世の中に「絆」という言葉が溢れた。その善し悪しは別として、不安なときこそお互いの存在を確かめ合いたいという気持ちにうまくハマっていた。

 人とのつながりを求めて“震災婚”が起きたとされるように、人々が一体感を求めてライブに行くようになった、そしてハマっていった、、とも言えるのではないだろうか。

 つまり、みんなが求めていたのは音楽ではなく、“雰囲気”だった…。

 大阪のライブハウスで新型コロナウイルスに感染した観客の多くが40代以上、しかも遠くから足を運んでいた人も少なくないと聞いて、私は、突然そんなことを考えついたのでした。

 

 私が、今心配しているのは、新型コロナウイルスによる公演自粛中の影響ではなく、むしろ、その間に人々の“熱”が冷める(“酔い”が醒める)ことによって、この後もライブやフェスに客が戻らないことです。

 私も含めて、これまでの盛況ぶりに、音楽好きが増えている、底上げできていると勘違いしてしまっていたのでは?

 というのは、これだけ世の中に不安が広がっているのに、今ひとつ人々が音楽を求めている感じがしないし、人々の心に訴えかけるような業界の動きもないからです。

 サブスクリプションにすっかり慣れた今の世代からしたら、音楽の無料配信もそれほど魅力的ではないだろうし、政府に対してわれわれの生活補償が少ない!などと業界を挙げて訴えてみたところで、震災のときのように、人々が音楽に力を感じるとも思えません。

 

 じゃあ、どうすればいいの?と言われても正直なところわかりません。そもそも、心配どおりになるかどうかもわかりませんし。

 ただ、自分なりに考えたところでは、これを機会に楽器や歌を始めようキャンペーンをしたらどうかと思っています。ギターやピアノみたいな王道じゃなくても、小さな民族楽器や口笛などでもいいし、昔の曲をかけながら口ずさんでみるとか、自分の中にある音楽の種を見つけるみたいな自分だけの体験。

 聴き放題だと思い込んでいたサブスクリプション制のサービスも、「(CHAGE and )ASKA」や「電気グルーヴ」の例を出すまでもなく、いきなり聴けなくされてしまう現実があるし、ライブも今回のような突然の自粛だけでなく、今後は電子チケットの普及で融通も利きにくくなってくるだろうし、急に自分の腕からスルリと抜けてしまうことが増えるかも知れません。

 ライブに通ったりや音源を聴き漁るのも楽しみ方ではあるけれど、みんなが自分だけの音や声、リズムなどを見つけて大切にしていけば、音楽業界全体もまだ盛り返せるように思います。

 

 あぁ、こんなことを考えているうちに、この騒ぎが収まってくれないかなー。(エアボンゴをしながら) 


Olivier MOBELI

バレンタインとハートフルブレイク

 かつて、バレンタインデーは「質より量」の時代がありました。男にとっての話です。2月15日の会話は、「誰からもらった?」ではなく、「いくつもらった?」から始まったものでした。

 自慢ではないのですが、私はクラスメイトの女子の大半からチョコレートをもらったことがあります。まあ、小学生の頃の話ですけれど。わ、私にもそれくらいモテた時期があったのです。

 実は、これには少しワケがありまして…。今でもバレンタインデーが来る度に私の心の宿便が異臭を放ちます。

 

 あれは、小学5年生くらいの頃。当時の私は、けっこうお調子者気質がありまして、バレンタインデーの何日も前から、クラスの女子に「チョコちょーだい」と冗談でお願いして回ったのです。今ならわかるのですけれど、小学生もこの頃になると、女子はピュアではないものを嫌います。それに対して、男子というのは、相手の嫌がる反応をコミュニケーションと勘違いしてしまうようなピュアバカな存在です。

 女子にとって、そういう“汚れ”にチョコをあげることは、本命への純度や信頼を下げてしまうことにもなりかねません。でも、あとでいじけられるのも面倒だしなぁ。。あ!そうか、みんなで一斉にあげたら変に思われないし、ついでにきっちりお返しも要求したら、あいつも困るだろうし懲らしめてやれる!よーし、みんなで戦闘バレンタイン開始だ!

 みたいな話になったようで、のちに私はチョコ弾に倒れることになったのであります。

 その頃は、世間的に「3倍返し」という謎ルールがありまして、ホワイトデーには、バレンタインにもらったチョコの3倍の価値があるものをお返ししなければなりません。1ヶ月で3倍ですよ、当時の子に今の金利を教えてあげたいです。1個300円として×3=15個でも13,500円。プアな私は一瞬で破産です。

 次に襲って来るは羞恥心。飾り付けされた「ホワイトデーコーナー♡」に、お返しを買いに行く恥ずかしさったら…。そもそも何を買えばいいの?クッキー?マシュマロ?肉まん?買ったところで、「あー!これ、〇〇で売ってた!△△円!」「みんな一緒のやん!つまらんやん!」みたいなこと言われるの嫌やん!

 そして、男子は知っています。団結したときの女子の強さを。あれは各個撃破で崩せるような相手ではないです。下手に逃げれば背中から一斉に撃たれ、私は短い一生を終えるのです。

 こうなったら、頼れるのは友しかいない。でもそんなことを頼める友はいない。迫り来るXデー、ホワイトデー。

 もう無理だ…。困り果てた私は、ついに母に相談というか丸投げし、お返しを買いに行ってもらいました。値段は忘れましたが、ものは忘れもしません、ペコちゃんがプリントされた赤い缶、ミルキーはママの味です。まじでママの味です。それをクラスのボス的な女子に渡し、今で言うところの“手打ち”にしてもらいました。手打ちだけに痛い思い出です。

 

 さて、クラスの女子の中に、あかりちゃん(仮名)という子がいました。私は、算数、特に文章題が苦手で、よくあかりちゃんに教えてもらっていました。


算数授業小6 分数のかけ算・わり算②(文章題) 例2

 あかりちゃんは、目がぱっちりしていて、ポニーテール。身体は小さくて、少し色黒。目立つタイプではないけれど、頭が良くて落ち着いた雰囲気の子でした。私のチョコ要求にも嫌がったりせずに応えてくれました。

 彼女には、あさみ(仮名)という女の子の友だちがいました。あさみは、クラスのみんなからあまり好かれていなかったので、私はいつも二人の仲を不思議に思っていたのですが、家が近いこともあってか、二人はよく一緒にいました。

 

 ホワイトデーも過ぎたある日、あさみは私を呼び出して言いました。「あかりにお返しした?」と。そうです、私はクラスの女子から逆襲を受けたと思っていたので、一人一人に直接お返しはしていなかったのです。

 あさみによると、どうやらあれは本命チョコらしい。そう言えば、他の子のよりも違った感じだったような…。実際どうだったんだろう。

 義理チョコは要求できても、聞きたいことは聞けない私ピュア。結局、全てそのままにした。一度に多くのものを望んだばかりに、大切なことに気付けなかった。あの日のカカオ、70%ビタースイーツ。

 

 その後、あかりちゃんとは、中学も高校も同じだったのですが、二度と同じクラスにはなりませんでした。部活も彼女は文化部、私は運動部だったので、話す機会もあまりありませんでした。

 高校卒業後、彼女は工学系の大学へ進学しました。今で言う「リケジョ」です。当時は、まだそんな言葉もないくらい珍しかったので、彼女の芯の強さを感じました。

 あとから知ったのですが、あかりちゃんは中学・高校では、男子にコアな人気があったそうです。特に大学では、周りは男ばかりなので、めちゃめちゃモテていたと人づてに聞きました。大学卒業後は、化学分析の仕事に就いて、数年後に結婚したそうです。

 どうか今も、幸せ成分100%で暮らしていますように。