卒業

 平成が終わる。正式には4月1日に新元号が公表されて、施行は5月1日だけれど、区切りは見えているので、もう終わったような気でいます。

 それにしても、昭和から平成になったときのあの重苦しい空気を知っている世代からすると、このなんとなくハッピーニューイヤー的な雰囲気は悪くありません。寂しさと喜びとが混じり合うようなこの感じは、いわゆる“卒業”に近い。春という季節が緊張をほぐしていることもあるでしょう。

 ところで、これは誰も信じてくれないのですが、私は現在の元号『平成』を当てました。

 昭和のような戦争の時代ではなく、次は“平和な時代に成る”ように。だから“平成”。31年前の私は、そう思いました。

 結果として、この国が昭和の過ちを繰り返すことはありませんでした。でも、経済大国としての階段を上りきったあと、崩れ落ちそうな踊り場で、皆が“平静”を装っているようでした。

 それで自分はと言えば、いろいろあったけれど、今こうして振り返る余裕があるのだから、まあ平和だったのでしょう。そこそこ平成。

 そこで次の元号も当ててみようと考えてみたのですが、明治、大正、昭和、平成、M.T.S.Hとくれば、次はM.C.A.T 『Bomb A Head!』くらいしか浮かばくて、私の思考こそ本当に踊り場ですし、実質これが平成最後の投稿になるかと思うとやりきれない気持ちでいっぱいです。(いっぱいです!)

 というわけで、卒業式の思い出でも語ろうかと思ったのですが、あんまりなくて。

 ひとつだけあるとすれば、中学卒業のとき、同級生のRさん(※正確にはRさんから依頼を受けた友人のSさん)とのやりとりです。

 S >「Rから、〇君(=私です)のもの欲しいって言われてるんやけど、何かくれへん?ボタンとか。」

 私 >「え?…ああ。ボタンはないと困るし、、ンー、、あ。美術の授業で作った“手”ならあるよ。でもいらんよね。。。」

 S >「わかった!聞いてくる!」(スタタタタタ…)

 (…スタタタタ)

 S >「R、それでいいって!」

 私>「え?ホンマに!?手ぇやで!?」

 こんな感じだったと思います。

 この“手”というのは、自分の手をモデルにして、針金で骨格を作り、そこに粘土で肉付けをして完成させたもので、前腕から指先までのほぼ実物大の作品です。ポーズはこんな感じ。何を掴もうとしていたのかねキミは。

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 出来上がった作品は、自分ではけっこう気に入っていたのですが、家に置くにはちょっと、、な感じだったので、学校に置きっぱなしにしていたのです。

 私は、その手をSさんに託したのですが、Rさんは本当にその手を家に持って帰ったのでしょうか。もし持って帰ったとして、Rさんも美術の授業で自分の手を作っていたはず。Rさんの家には、私とRさんで一対になった手のオブジェが??いや左✕2の可能性もあるぞ。

 家族にしたら自分の娘の手はともかく、どこの馬の骨だかわからない奴の手というか私は馬じゃないし骨は針金なんだけど、とにかく気味悪かっただろうし、偶然部屋を覗いたら自分の娘がその手と手を絡ませてニヤニヤしていたり、バレー部だったからその手にアタック打ち込んだりしてたりなんかしたらもう…変態じゃないか。でも、変態でいいじゃないか!いいぞ娘!変態上等もっとやれ!父さんも母さんのそういうところに惚れたんだ。よしっ、父さんも今から手を作るぞ!いいだろ母さん!なあ母さん、針金~!みたいなことになってても責任とれないし、どうなったのかずっと気になっていました。

 実は、私とRさんは同じ高校に進学したので、聞こうと思えば聞けたのですが、果たせませんでした。

 結局Rさんは、高校に入ってすぐに別の人(同級生)と付き合ったので、私の手はきっとゴミとして棄てられたことでしょう。燃えなさそうだから、埋め立てかな。できればRさんの家の押し入れの奥とかで、何かを掴んで生き延びていて欲しいです。

 ちなみに、Rさんはその後、高校で付き合ったその人と結婚して、二児のお母さんになりました。もしかして、私のあの左手が幸せを掴ませたのかなと思っていたのですが、高校を卒業して十数年ぶりに見かけたRさんは、すごくやつれていました。

 私はまた何も聞けませんでした。夏。

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参考)


斉藤由貴 - 卒業