今年のフジロック、良かったです。ライブ配信。
“supported by SoftBank”ということで、安かろう悪かろうな企画だろうと思っていたのですが、ゴメンなさい。Yahoo!BBのモデムの入った紙袋を配るお姉さんを避けながら街を歩いていた時代やフジロック会場に乗りつけるNTTドコモの移動アンテナ車を見ながら自分のケータイ電話を恨んだ時代はとうに終わっていたのでした。
初めて持ったケータイはJ-PHONE。その後、Vodafone→SoftBankとなっても持ち続けましたがサポートの悪さに耐えきれず、7年ほど前についにdocomoに乗り換えたのも今では良い思い出です。
私は2013年を最後にフジロックには行っていません。しかし、毎年夏が来れば思い出す遥かな苗場、青い空、、青過ぎる空、、、
【eastern youth】@ホワイト
ライブで泣いたのはこれが初めてかも知れない。
今まで、音楽で泣く自分を想像したことがありませんでした。
涙は心の汗
…そんなクサい台詞を抵抗無く吐けるような、3日で最も「沁みた」ステージ。
この日の天気予報は雨。
雨とまではいかないものの、朝から雲が太陽を遮っていました。
しかし、彼らが演り始めると、ホワイトステージに白い光が…。
『青すぎる空』『夏の日の午後』
曲と同じだ。
会場と天上がリンクしてる。
この日、観衆ともリンクしたと思いたい。
そういうステージでした。
スクリーンに映る吉野(ギター&ボーカル)の顔は、クシャクシャのひどい顔だったけど、そういうリアルさがまた、説得力となって。
足を前後に拡げ、ひたすら前のめりで弾く二宮のベースは、「地に足をつけて進め」と言っているようで。
時々不器用さを曝け出すが、ひとつひとつが重い田森のドラムは「目先に囚われるな」と諭しているようで。
「つかみ」のMCで「今からやるのはなんの変哲も無いロックンロールです。」「分かって下さい。これがおじさんの精一杯です。」って言ってましたが、全てが終わる頃、その言葉には単なる「笑い」の要素を超えるものが加わっていました。
私は「ロック」っていうのは、「現状に満足しないことを表現する」ことだと思っています。それは単なる個人的な「不満」ということではなくて、かつてはベトナム戦争への「抗議」だったり、監視社会への「抵抗」だったり、見えない何か大きなものに対して、個人でできる小さな行動がロック。
今の冷めた時代に、そういう小さな行動が共鳴して社会現象にまで発展することは考えにくいですが、「ロック」が無くなったらあとはもう「惰性」とか「服従」とかそういう言葉しかなくなってしまいます。
最近、彼らの出す曲に当初の勢いが無くなったような印象を受けていましたが、この日それは大きな間違いだと言うことがハッキリしました。
「やっぱりeastern youthはロックな人たちです!」
青い。このパーフェクトブルーなレポを描いたのが、2006年。
そして、ライブ配信で見た今年のeastern youth。なんだよ、全然変わってないじゃないか。(メンバーは変わったけれど)
私は昔から、
> 青すぎる空 (『青すぎる空』より)
> 神様あなたはなんでも知っていて 心悪しき人を打ち負かすんだろう でも(『夏の日の午後』より)
のフレーズが好きで、時々頭の中でリピートするのですが、eastern youthの熱烈ファンということもなくて、単独ライブには行ったこと無いし、音源もアルバム『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』(1998年リリース)1枚しか持っていません。
だけど、フジロックでは涙が出てしまいました。今年のライブ配信でも。
最近巷ではキャッチーさを狙った“~過ぎる◯◯”という表現(「美し過ぎる海女」など)が多いですが、当時この青”すぎる”という表現が私にはすごく新鮮で、刺さりました。鮮やかな、でも爽やかな、でもなく青すぎる青。曲の歌詞全体の意味は正直なところよくわからないのですが、この部分だけが刺さったのを覚えています。自分が空の青に負けている気がして。
“神様”のことは、本当に子どもの頃同じように思っていて、最初このフレーズを耳にした時は驚きました。特に「でも」のところ。そう、“でも”なんだよ。その、「でも」の中にやるせなさとか怒りとかたくさんの思いが込められている気がして。
しかも真っ直ぐ生きようとするほどそれらは膨らむ。今でも神社に行けば手を合わせますが、「神様いるんだろ?いるなら力見せてみろよ!変えてみろよ!」みたいな罰当たりなことを叫びたい衝動に駆られることがあります。まあ、しないけど。
しかし、今回の配信ではこれらの部分では涙が出るまでには至りませんでした。
出たのはココ。
>何回だってやり直す 何回だってやり直す(『矯正視力〇・六』より)
そうだ。南海(ホークス)だってSoftBankでやり直して優勝したんだ。キミも変われる!やればできるはずだ。がんばれ!
みたいな応援ソングなら反吐が出て終わりですが、この曲は違う。
そんな華やかさは微塵もなく、ただ目の前のことを実直にやり続ける(しかない)人の歌。泥臭く骨太く、希望はないかも知れないがどっこい意志はある。なんだろうか、成果とか効率とか生産性とか、大事なことはたくさんあるけれど、自分は何を大事に生きているんだろうか。問い直してみたい。
とまあ、曲を聴きながら書いていてまた涙が出てきましたが、自分に何かあったらこの日を思い出してまた頑張れるかもしれないと思いました。
以上、ありがとう。