わかりあえない前提

 子どもの頃、近所の同い年の三人でよく遊びました。

 小学校は地元の公立。誰かの家に集まって、部屋でだらだらテレビゲーム、おやつに漫画、みたいなことでした。

 中学校もみんな同じ地元の公立でしたが、クラスや部活が違ったこともあり、遊ぶ回数はかなり減りました。

 高校に入ると更に回数は減りましたが、集まったときには、当時流行っていたサッカーゲームをしたりしていました。

 

 私の住んでいたまちには、3つの高校がありました。いずれも公立校ですが、住民の間には暗黙の格付けがありました。私は、二人とは別の高校に通っていました。

 ある日、久しぶりに三人が集まったときのことです。

 どういう経緯かは忘れたのですが、ひとりが「◯高の奴は、俺らのこと馬鹿にしてるんやろ?」と言いました。

 子どもの頃から何度も喧嘩はしても、そういう話にはなったことがなかったので、私は目の前に突然壁が出来たようで動揺しました。自分なりに否定したのですが、「賢い奴に、アホの気持ちはわからんやろ!」と言われ、うまく返せませんでした。

 そのせいで更に疎遠に…、ということはなかったのですが、高校卒業後には住むところもバラバラになり、以来一度も集まっていません。

 ちなみに、偶然にもみんな長男ですが、ひとりは地元を離れて就職し、そこで結婚して暮らしています。ひとりは地元に就職しましたが、保守的な父親の元を離れて婿に入りました。ひとりは大学卒業後地元に戻り、インターネットの片隅で生きています。さて私は誰でしょう?

 

 というわけで、世間様の言う「相手の気持ちになればわかる」みたいなことに、私はずっと疑いを持っています。やっぱり、人間はひっくり返っても、同じ立場にも気持ちにもなれない部分があるはず。それなのに、わかったような(わかられたような)気になっては、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、勝手なことを言っているんだろうな、と。

 誤解のないように補足しますと、そういう前提でいたほうが良いと思うだけのことです。

 わかろうとすることに、きっと意味はありますから。

 

 実はこの度、こんなサイトをつくりました。

 わかってくれとは言いませんが、こんな人もいるのかと思ってもらえれば幸いです。