あれはまだコロナ禍前。日本中がインバウンドインバウンドしていた。
京都は訪れる度に外国人が、というか日本人も含めて観光客が増えていた。
タクシーの運転手さんが言うには、「昔は夏はオフシーズンやったんですけどねー。今は年中多いですわ。」とのこと。忙しくてなによりだと思ったのだが、外国人観光客は、巨大なスーツケースを持ち込むので、今までのようなセダン型の車輌のトランクでは入りきらず、断るしかないらしい。会社にもよるそうだが車輌は運転手が自分で購入しており、そう簡単に買い換えるわけにもいかず、「恩恵はあまりありませんどすえ。」とのことだった。
さて先日、いつもの用事で京都に行った。先月よりも人通りは落ち着いている感じだ。道路は思ったより混んでおらず、電車もバスも比較的空いていた。「全国旅行支援」のお得感がなくなり、国内旅行客が減っているのかも知れない。
それでも着実に増えているのが、駅前のホテルと大きな荷物が載せられるタイプのタクシーだ。コロナ禍で観光頼りの危うさを感じた人なら、再びインバウンドでカットインなんて躊躇するだろうが、日本人の忘れっぽさが幸い(災い?)しているのか、とにかく“勢い”を感じる。あの運転手さんもこれに乗じて車輌を新しくしただろうか。
絶景や文化財なら地方にも沢山あるはずだ。
しかし、圧倒的に「俗」が足りない。美しいものに触れ、汚れて帰る、それが観光の“真理”。元も子も無いことを言えば、京都や浅草、鎌倉を好むような人が田舎まちに向かうことはないだろう。“引力”が違う。
昼下がり、この車窓からの眺めを簡単に独り占めできてしまうことがそれを証明している。
この辺りまで来ると、乗ってくるのは地元沿線の中高生くらいだ。
反対側の窓に目をやると、いつの間にか通路を挟んで隣りの席に男の子が座っている。名前入りのジャージに短パン姿、膝の生々しい擦り傷がいかにも部活帰りだ。
懐かしい。私にもそういう時期があったよ。
UVケアなんて言葉、知らずにただ毎日走っていた。
で、たまに手紙をもらったりしてさ、でも今は部活に賭けてるから、、ゴメン。
みたいなさ。そういうことが、令和のキミたちにもあるの?
視線を湖に戻し、そんなことを考える。完全に厨年病だ。
次の駅で中高生の多くは降りて行った。あの子も降りたようだ。
電車がゆっくりと動き出し、改札へ向かう降客に追いついてゆく、、、、
ん?あの短パンはさっきの子?
あれ?女の子が振り向いて、手を伸ばしたぞ?
アイシテル?のサインかよ???
彼は即答した。
驚くほど爽やかに手を繋ぎ、並んで歩く二人。
貴様それでも日本男児か!私の方が照れてしまう。
すると突然、女の子が手に持っていたファンタグレープを空に向かって放り投げた。
今度はタメシテルのサインかよ!
どうする!?彼氏ぃぃーーーーーーーーーーー
加速する電車、止まらない鼻息とSentimental。
答えは車窓に消えていった…。
モヤモヤを抱えたまま目的の駅を降りたところで目に付いたのがこれだ。
チェリオの『スィートキッス』。
1982年の発売以来ずっと“未知の味”で売っているが、関西では未知やすえくらい既知の存在である。
懐かしい。
そして、「未知の味」「スイートキッス」「微炭酸」これらの単語すべてが、女の子が投げたファンタグレープの行方を知っているように思えた。
私も随分前に飲んだ記憶はあるのだが、どうしても味が思い出せない。
ここ数年、白湯の入ったマイボトルを持ち歩いているような私には、自販機のボタンを押すにも勇気が要る。
記念写真を撮り、期待を込めて一口飲む。
…あぁ。
二口目にはもう、甘ったるさで気持ち悪く…。
それでも残り半分までは頑張ってはみたが、持続不可能、吐きそうGs。ごめんなさい、棄ててしまいました。
結局、身に染みてわかったのは、もう昔には戻れないということ。
今の自分には若い子を遠くから眺めて思い出し笑いを浮かべるくらいのキモさが合っている。
これも「温故知新」っていうのかな。言わないか。