愛犬がまだ生きていた頃の話です。季節は冬。
私は、犬の散歩に出かけました。
あの日、辺りに雪はまだありませんでした。ただ風が強く冷たく吹いていました。
私は寒さが苦手なので、冬の散歩はどうしても億劫になります。さっとコートを羽織って軽やかに出掛けられればまだいいのですが、そこそこ寒いこの地方では、防寒ウェア上下に帽子、耳当て、マフラー、手袋、ブーツか長靴が標準様式。まず身支度が面倒。
しかも犬という動物は、気配を察する能力が非常に高いので、少しでも期待を持たせようものなら突然目を輝やかせ、クルクル回って、ワイルドワンズしだしますので、こちらものんびりなどしていられません。それは高齢犬になっても変わりませんでした。
話は変わりますが、盲導犬や介助犬などは、人間のためにワンズっ気を抑えるように厳しく訓練された存在ですので、見かけたら優しくしてあげてください。
さて、散歩スタート。雪はないとは言え、この寒さでは人通りはなく、近くの観光施設も閑散としています。広い駐車場に車が1台、寂しそうに停まっているだけ。正面から強い北風。私は背中を丸めながら、犬は南極観測船さながらに進みます。
すると、どこからか女性の叫び声が聞こえたような気がしました。
立ち止まって耳当てを外すとやはり、誰かが「キャー!」と言っているような気がします。しかし、辺りを見渡しても、特にそれらしい現場はありません。
けものの鳴き声か、風切り音か、でももし、事件とかだったらどうしよう…。私は、急に不安になり、とりあえず声?の正体を探すことにしました。
しかし、進撃の散歩犬に私の願いが届くはずもなく、先を急がざるを得ません。仕方なく、少し歩いては立ち止まって耳を澄まし、また少し歩いては立ち止まって、、を繰り返していたのですが、向かい風のせいもあってか、やがてさっぱり聞こえなくなりました。
やっぱり一回、戻ったほうがいいかな…。
そう思いかけていたそのとき、私は神社の前にポツンと停まっている車に目が留まりました。
あれって、さっきの駐車場に停まってたやつじゃないの?
少し距離をとりながら観察すると、どうやら誰も乗っていないようです。私は、犬の散歩を装い(散歩だけど)、さりげなく車内をのぞき込みました。
すると、座席の上にアダルトDVD的なものが…!
推理してみよう。
私がさっき駐車場の近くを通りかかったときには、奴は車内でこれを鑑賞中だった。女性の叫び声のように聞こえたのは、おそらく隠しきれない移り香が いつしかあなたに染みついた 誰かに盗られるくらいなら あなたをピーしていいですか のあえぎ越えだった。もしくは、そこに至る過程のものだった。
いや。もし、そうだったとしても、本来ならあの距離では私に聞こえるはずがない。ないのだが、あるとすれば、考えられる理由は一つである。
耳にはしっかりイヤホン(ヘッドホン)をしていた。しかし、機械にきちんと接続されていなかった。そうなると、機械上では音量十分なのに、耳から入ってくる音は、思っていたよりも小さいという現象が起きる。それはそうだ、耳栓をして外の音を聞いているのと同じ状態だからだ。
しかし、本当の悲劇はここから始まる。人間とは他人を疑う生き物である。聞こえにくいのを機械のせいにして、更にボリュームを上げてしまうのだ。この結末は、経験者なら痛いほど分かるであろう。
しばらくして、奴は気付いた、いや、誰かに気付かされたのかもしれない。音がダダ漏れだったことに。
…終わりだ。
逃げるように駐車場を出たところで、神社の看板が見え、奴は思い立ちハンドルを切った。神にすがろう。そして、今まさに手を合わせている最中に違いない。困った時の神頼み、溺れる者は魔羅をも掴むというではないか。
それにしても、いったい誰なんだ。どんな面して祈ってやがるんだ?見たい。知りたい。
しかし、犬を連れて鳥居をくぐってはならない。それが礼儀だ。置いていくか?焦るな。しばらく待てば、奴は必ずここに戻ってくる。
どうする?真実はすぐ目の前だ!
…やめておけ。
犬もおしっこを残しておくではないか。
今思えば、うちの犬は、全てを察して私をあそこまで導いてくれたのかも知れません。自らの任務を果たしながらも、私の願いもちゃんと聞き届けてくれた、、あなた、本当は神だったの?
もしそうなら、もう一度願いを聞いて欲しい。
出てきて。今すぐに。
フレームの向こうから。